第2話 獣人奴隷
○○○
「悪いチロル、小道具に衣裳引っ掛けたわ」
「はぁ?」
……と、今朝方兄バニラからの報告を受け、チロルのこめかみに青筋が走る。
朝食時の支度の為、蒸かした芋を潰していたところだった。早朝の白んだ光の下、青みの強くなった草木からは夏の足音が聞こえてくる。鼻歌交じりに作業を進めていたところで受けた兄からの報告に思わず表情が険しくなった。
「バニラさァ、
「か、返す言葉もありません」
鋭い視線を向けるチロルを前に、バニラは可哀想な程小さくなってしまっている。
「あー!! しかもお前、
「似たような奴付けておくとか……」
その言葉に、チロルはキッとバニラを睨み付けた。睨まれたバニラも自分の失言に気が付いたのだろう、気まずそうにサッと目を逸らす。
「適当な衣裳こさえろって? バカじゃないの?」
「す、すみません……」
「朝イチで店が開いたら手芸屋で使えるものがないか確認してくる。
その衣裳、ボクの部屋に置いておいてねとひと言物申してから、チロルはさつまいもを潰す作業に戻る。
「ホントにごめんな、チロル」
「気を付けろよなァ」
「お小遣いあげるから、好きなモン食べといで」
「それは有難く貰う」
朝の空気の中、大量の芋から立ち上る蒸気で手が熱い。季節はもう五月になろうとしている。日中、野外での作業をすると背中に汗が伝うようになってきた。
ぐにっと芋を潰してから、チロルは小さく息を吐いて空を見上げた。
「仕方ない。備品の買い足しもしておきたいし、朝飯が終わったら買いに行くか……」
朝食の片付けを終えるとチロルは予告通り、解れてしまった衣裳を修繕するためにマチへと繰り出した。
ゼノクリスト式で動く
現在シルクスが滞在しているカワセミマチは、濁った川沿いに栄えた交易のマチだ。木造の民家が立ち並び、蒸気機関の川舟が行き交う。舟の往来が多いせいか、都市部からは距離があるにも関わらず、蒸気機関の煙によりうっすらと空気が白んだマチだった。
(人口はそんなに多くないから、もう少しヒトの入りは少ないかと思ったけど……思ったよりも客入り良かったな。交易のマチだから商人とか、マチの外の人が多かったのかもしれない)
昨日の公演を思い返すと、自然の頬が綻んだ。
エンタメ産業の一端としてはやはり、客の喜んだ顔を見ると言い様もない達成感を得られる。獣人だけで興行を行うシルクスはイロモノやフリークショーと言ったレッテル貼りをされる事も少なくない。だがそこから観客が沸き立った時の喜びは何者にも変えがたかった。
(それにしても、やっぱりこの格好だとあんまりジロジロ見られたりしないんだな。なんか複雑……)
いつも身に付けている獣人の耳や尻尾を模した装飾品の類は外して来た。過剰な化粧も落とした今の彼女は、誰の目にも疑いようのない『普通の人間の少女』である。
獣人に似せた姿をしていると物を売って貰えなかったりと面倒事が起こる場合もある。市場に出向く際にはわざわざ人間の姿をしていた方が都合が良いのも現実だ。理不尽だとは思うが仕方がない、現実なんてそんなものだ。
「おい、とっとと運べ! このウスノロが!」
はるか昔の戦火でも崩れずに残ったのだろうか、苔むした古い鉄塔に視線を向けながら歩いていると、川辺に停泊した舟から怒声が聞こえてきた。
チラリと横目に視線を向ければ大柄な獣人が積み荷を運んでいる。分厚い鉄の枷が首に掛けられた獣人の隣には、チロルと同じ、身体的特徴を持たない『人間』が立っていた。
「……ったく、そのガタイでなんで使い物にならねぇんだよォ!」
「……ッ」
心無い罵声と共にビシッビシッと、痛々しい鞭の音が辺りに響く。
(ああ、これだからシルクスの外は嫌になるんだ)
獣人差別をなくしましょう、なんて言われているけれど現実は少しマチを歩いただけでこれなんだから。皆んな、口だけだ。
十年前、獣人奴隷禁止法の制定により奴隷制度は法律上撤廃された。社会は獣人差別をやめ、平等を求め、人間と獣人の共存をうたった。
だが理不尽な借金を仕立てられたり、就労支援による保護労働の名目の元、事実上奴隷と変わらない扱いを受けている獣人がこの社会には大勢いる。川舟で働かされているあの獣人も、きっと何らかの理由で強制労働を強いられているのだろう。
(シルクスで受け入れられたら良いんだけど……)
チロルは獣人達と共に暮らし、彼らと共に生きてきた。不当な扱いを受ける獣人の姿を目にすると、その度に心が軋んだ。
その時不意に川舟で働かされる獣人と目が合った。
黄金色の瞳がこちらを見ている。深く、深く、吸い込まれるような強い眼光。
「……ッ」
ギュッと心臓を握り潰されるような感覚を覚えた。掛けるべき声なんてあるはずも無いのに、口が中途半端に開かれる。瞬きの間程の時間が永久にすら感じられた。
だが彼はほんの一瞬の邂逅の後、ふっと視線を背けると作業に戻ってしまった。
「……」
チロルは市場に向かうべく足を前に進めた。背後から聞こえてくる怒号からは目を背けて、握る掌に力を込めた。
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