第0.1話 部隊加入

「殺したりはしねぇから。ただ、お前にちとばかり協力して欲しいんだよ」


 低い声が、部屋の空気を撫でるように滑った。

 夕食の支度を始めようとしていた美咲タシキは、背筋を硬くして男を見据える。黒いフード。収容区で出会った、気配の薄い男――あの”不自然な自然さ”が、今度は自宅という逃げ場のない距離で迫っていた。


「協力……?」


「そうそう。お前さ、やたらと凶人の味方だよな」


「あ、あぁ」


 タシキの声は、自分でも分かるほど上擦っていた。喉が渇く。唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえる。


 男はゆっくりとフードを脱いだ。

 現れたのは、老人めいた白髪と、しわくちゃな唇。目の下には濃い隈が落ち、やつれた頬が骨ばって見える。生気が薄い――だが、それが弱さとは限らない。むしろ”削ぎ落として残ったもの”の気配があった。


「美咲タシキ。俺の計画に協力してくれねぇか? 革命の計画に……っと、自己紹介が遅れたな。俺は霧崎(きりさき)レイ」


 霧崎は手を差し出した。

 タシキは一瞬躊躇する。この手を握れば――何かが変わる。後戻りできなくなる。

 だが、収容区で見た光景が脳裏をよぎる。泥だらけの子ども。痩せ細った大人。誰も声を上げない、声を上げられない世界。


 タシキは、差し出された手を握った。

 掌が冷たい。まるで、もう長い間、温もりというものに触れていないような冷たさだった。


「さてと。少しばかり話そうぜ。これからの凶人の未来を」


 ※ ※ ※


 病院でリハビリを終えたカイトが、病室で本を読んでいると――扉がゆっくり開いた。


「あ、いたいた!」


 弾けるような声。反射的にカイトは肩をすくめる。


「ノア、ここは病院ですよ。もう少し声の大きさを考えてください」


「お堅いなー、ブーブー!」


 赤ん坊みたいな態度に、イノリが舌打ちをする。

 その音をしっかり拾ったノアは、すぐさま絡みに行った。


「ねぇ!? いま舌打ちしたでしょ!」


「してない」


「した!」


「してない」


 言い争いが幼稚な往復運動に入ったところで、カイトは遠慮がちに割って入る。


「……あの。二人はどうしてここに来たんですか?」


 ノアが”あっ”という顔をして、今思い出したように手を叩いた。


「カイト。君は明日から、私が指揮している特別部隊に入ってもらう」


「特別部隊……?」


 カイトは本を閉じ、ノアを見た。特別部隊――その言葉の響きは、どこか”普通じゃない場所”を想起させる。


「そう、特別部隊。まあ、君にとっては迷子センターみたいなものだね。親が見つかるまで、その部隊で一人前のGIQ隊員を目指してもらう。あ、安心して。君以外にも、あと四人いるから」


「え。私、その話聞いてないんですけど」


 イノリが即座に突っ込むと、ノアはとぼけた顔で首を傾げた。

 その瞬間、イノリの口が大きく開く。


「え、もしかして私が見るんですか? あの子たち含めて……嫌ですよ? 嫌ですよ! そんなの!!」


「えぇ、いいじゃんいいじゃん! 仲間は多い方がにぎやかで楽しいでしょ?」


「そういう意味じゃないです! ……ホントに私が、この子を含めた五人を見なきゃいけないんですか? 私、あの四人を見るだけでも結構疲れるのに……!?」


「まぁまぁ。私も手伝うからさ!」


 ノアは悪びれず、そして嬉しそうに結論へ飛ぶ。


「ということでカイト――いや、私の苗字をとって”青山カイト”! 君は明日から私たちの仲間。よろしくね!」


 ノアが笑顔で手を差し出す。

 カイトはまだ状況を飲み込めない顔のまま、差し出された手を握った。握手は、決定事項にサインする行為に似ていた。


 ――仲間、か。

 カイトは心の中で呟く。記憶のない自分に、仲間なんてものができるのだろうか。

 でも、断る理由もない。行く場所もない。

 ならば――


 ノアはイノリを連れて病室を出ていった。

 扉が閉まると、病室の静けさが戻り、カイトの胸の奥にだけ不確かなざわめきが残った。


 ※ ※ ※


 翌朝早く、カイトは目を覚ました。


「おっはよー! カイト!」


 タイミングを見計らったようにノアが入ってくる。

 彼女はカイトのベッドの上に、ノアが着ているものと同型で、色だけ違う服を置いた。


「これ、GIQの隊員服! 最高だよコレ! 着心地もいいし、なんと防刃防弾チョッキ並みの性能なんだぜ! あ、でも今私が着てる服と色が違うよ。君は白、私は黒。この色には階級があって、黒が一番上なの!」


「……もしかして、自慢してるんですか?」


「うん! 自慢だよ!」


 即答。清々しいほどの即答。


「そうですか……これを着ればいいんですか?」


「YES!」


 カイトは隊員服に着替えた。生地は思ったより軽く、動きやすい。鏡に映る自分は、昨日までとは違う誰かに見えた。


 ノアに連れられて退院手続きを済ませ、病院を出る。

 久しぶりに浴びる日差しが眩しい。目を細めると、ノアはニシシと笑い、当然のようにカイトの手を取った。


 そのまま、病院のすぐ近くにあるGIQ本拠地へ向かって歩き出す。


 ※ ※ ※


 GIQ本拠地のエレベーター。

 ノアは目的地へ向かう短い時間すら、会話で埋め尽くすタイプだった。


「ねね! 私って何歳くらいに見える?」


「……二十代くらい……ですかね……」


 ノアは「キャー!」と声を上げ、頬を赤く染めてカイトの背中をバシッと叩いた。


「痛ッ」


「そういうふうに見える? やっぱりー? 実はね、私三十一なんだ! やっぱカイトには私が若く見えるんだー!」


「……」


 カイトは沈黙で受け流す。受け流す術が、少しずつ身についていく。


 会話の最中、エレベーターが音を立てて止まった。ドアが開く。

 二人が降りると、直線の長い廊下が伸びていた。


 ノアが先頭で歩き、ふと足を止める。

 左手の部屋に「特別部隊」と書かれている。ノアはドアノブに手をかけた。


「みんなー! おはよー!! ノアお姉さんが新しい仲間を連れてきたよー!!」


 扉が開いた瞬間、空気が変わる。

 賑やか――というより、勢いが荒い。


「あぁ? 誰スか? アンタ」


 金髪。ヤンキー然とした口調。モヒカンのような髪型の少年が、距離を詰めてくる。

 カイトは一瞬、“ああ、面倒なタイプだ”と思った。


「誰よコイツ! 全然可愛くないじゃない!」


 青みがかった黒髪の少女が、敵視を隠さず言い放つ。見た目は清楚で可憐なのに、口が容赦ない。

 カイトは心の中で”見た目と中身が違うタイプか”と分類した。


「何この子……誰なの?」


 別の少女が、警戒の視線でカイトを値踏みする。小動物みたいに怯えた目だ。


「お、君! さてはこの”カニカマ隊”に入る子かい!?」


 爽やかな少年が歓迎する。歓迎の言葉なのに、なぜか不穏だ。

 カイトは直感した。

 ――カニカマ隊……?


 カイトは察した。

 ――自分、今、結構ヤバい場所にいる。


「んで、テメェ、どこ中スかぁ!? ゴラァ!」


 モヒカン少年――リュウが、モヒカンをカイトの顔面へ押し付けてくる。

 カイトは面倒くさそうに眉を動かしただけで、反応を抑えた。


「こらこら、リュウ。彼は新人なんだから、ガン飛ばさない」


 ノアに窘められ、リュウは一応離れる。だが離れ際まで睨んでいる。

 カイトは間の抜けた顔を作って、その場を丸く収めようとした。


 それが気に入らなかったのか、リュウは舌打ちし、中指を立てる。

 ノアが割って入り、「まぁまぁ」と雑に場を落ち着かせた。


「てかノアさん、その子誰なの? 名前聞いてないんですけど!」


 清楚可憐(自称含む)な少女が食い下がると、ノアは両手を叩いた。


「そうだったね! この子は青山カイトくん。親がいなくて今天涯孤独なんだ。だから私たちGIQで引き取ったの!」


 その説明に、カイト以外の全員がフリーズした。

 空気が一瞬、止まる。

 カイトは無表情のまま、心の中で呟いた。

 ――親がいない、か。まあ、事実だけど……こんな風に紹介されるのは、ちょっと居心地が悪い。


 数秒後、最初に復帰した清楚可憐な少女が、なぜか偉そうに頷く。


「ふむふむなるほど……よく分からん。……ま、まぁ自己紹介しとくわ。私の名前はカタリナ・グライアス! 清楚で可憐な美少女よ! 新人ってことは私の後輩ね。優しく見てあげるからよろしく」


 カタリナの自己紹介を皮切りに、全員がわらわらと前へ出てくる。


「ようこそ! カニカマ隊へ! 俺の名前は川崎(かわさき)ヨウヘイ!」


「カニカマ隊……?」


 カイトが困惑している間にも、次の自己紹介が始まる。


「わ、私は敷島(しきしま)アカリ……よろしく……」


 小さな声。視線が泳ぐ。恥ずかしさが先に立つタイプらしい。

 カイトは頷いた。


「よろしく」


「俺は青(あお)霧(きり)リュウ! 夜露死(よろし)苦(く)ス!」


「うわぁ……」


 カイトが思わず漏らすと、リュウはまた目くじらを立て、モヒカンをカイトの顔へ押し付ける。

 カイトはついに堪えきれず、鋭い眼光でリュウを睨みつけた。


 その目は、リュウを一瞬で黙らせるほどの圧を持っていた。

 ――何だ、この目。

 リュウは一瞬、心臓が跳ねるのを感じた。まるで、獣に睨まれたような錯覚。


「す、すいません、カイトさん……」


「お、あのリュウがビクついたぞ!」


 ヨウヘイが面白がると、リュウは強がるように睨み返す。


「あ? 俺、ビクついてないスけど」


「まぁまぁ落ち着いて。みんなには、まだ報告があるの」


「「「「「報告?」」」」」


 全員の声が揃う。その揃い方が、妙に”隊”っぽい。


「そう、報告。みんなはGIQ隊員適性検査を受けてもらったよね。でもカイトだけ、まだ受けてないの。だから、カイトの適性検査も含めて、君たちには簡単な任務を受けてもらいます。まぁ任務って言ってもホント簡単なやつだから安心して! それで、こっからが本題なんだけど――その任務を三つくらい受けて遂行したら、GIQの試験があるから! もしその試験に失敗したら……」


 カイト以外の全員が、ごくりと固唾を呑んだ。


「どうなるか、私にも分かんない!」


「「「「「……」」」」」


 沈黙が落ちた。ノアの笑顔だけが、やけに明るい。


 カイトは心の中で溜息をついた。

 ――やっぱり、ヤバい場所に来てしまった。


 ※ ※ ※


 とあるバーにて。

 美咲タシキは、ある男と落ち合っていた。


「よう。まさかお前が俺を呼び出すなんてな。もしかして、俺の計画に協力してくれるのか?」


 カウンター席に腰を下ろしたのは霧崎だった。

 薄暗い照明の下でも、あの白髪と濃い隈は目立つ。霧崎はニヤリと笑い、顎で隣を示した。


「お前も座れよ」


 タシキは言われるまま座る。逃げるなら今だ――頭のどこかがそう囁くが、足は動かない。

 バーの空気は重く、甘い酒の匂いが鼻をつく。


 霧崎は間髪入れずに本題へ入った。


「んで。俺の計画に協力してくれるか、アンサーをくれるか?」


 タシキは一度、深く息を吸った。

 収容区で見た光景が、また脳裏をよぎる。泥だらけの子ども。痩せ細った大人。誰も声を上げない世界。

 ――このままでいいのか?

 答えは、とっくに出ていた。


「……出来る限りの協力はしよう……」


 タシキが答えると、霧崎は「そうかそうか」と満足げに笑った。


「それじゃあ、前に話した”凶人の未来”についてだがな。まず、凶人の希望を作らなきゃいけないと思うんだよ。だ・か・ら――組織を作ろうぜ?」


「組織? 組織って、凶人のか?」


「ピンポーン。そう、凶人の組織。名前を付けるなら……『アーク』ってのはどうだ?」


「アークか……いいな、それ」


 話している間に、バーテンダーが水を置いていく。氷が小さく鳴った。

 タシキは少しだけ水を飲み、喉の渇きを誤魔化した。


「んで、それでだよ。美咲には国会議員の権力を使って、色々と宣伝して欲しいんだよ。もちろん、力は貸す」


「宣伝って言っても、何の宣伝を?」


 霧崎は不敵な笑みで言った。


「革命の宣伝さ。お前は国会議事堂で堂々と『革命を起こす』って言えばいい。そうすれば俺たちがテレビやネットやらをハックして、それを全国に報道させる」


「『俺たち』って、他にも協力者がいるのか?」


「あぁ、いるさ。凶人(仲間)たちが作った反社会組織なんて、今じゃ結構ある。自慢じゃないが、俺は東京――いや全国にあるその組織と知り合いなんだ。もちろん、そいつらは俺の計画に賛成してくれたぜ。結構金がかかったがな。だから人員は十分足りてる」


「そうなのか! じゃあ後は――」


「そう。後は邪魔なGIQを潰すだけだ。GIQは今じゃ世界の警察官。その警察官を潰してしまえば、世界は混乱に陥る。そして、そのGIQを釣る餌がお前だ。国会議事堂でお前が革命を起こすと言えば、GIQは容赦なくお前を始末する準備を始めるだろう。だからそれと同時に、アーク組織は全勢力を使ってGIQを叩き潰しに行く」


 霧崎の言葉は、乱暴なのに手順としては妙に整っていた。

 タシキは息を吐いてから、一つだけ問いを投げる。


「霧崎……君に一つだけ頼みたいことがある。私もその戦争に参加してもいいか?」


「そう来ると思ってたぜ? もちろんお前の席は用意してる。特等席でな」


「本当か」


 霧崎は不気味な笑みを崩さないまま、バーのカウンターに一本の瓶を置いた。

 中の液体は紫色。照明を受けて、毒々しく光った。


 それを見たタシキは、思わず息を呑む。

 何か――とんでもないものを見ている気がした。


「……これは何だ?」


 霧崎はニヤリとし、その液体の”用途”を淡々と語り出す。


「これは疑神液。簡単に言うなら、コレを飲めば――たとえネズミだろうが何だろうが疑神になれる代物だ。それを三本、お前に託す。自由に使ってくれ」


 タシキの背筋に、冷たいものが走った。

 ――疑神に、なれる?

 あの、化け物に?


 霧崎は言うと、テーブルに三本の疑神液を置く。

 タシキはそれを受け取ると、その代わりに――と、テーブルに沢山の札束を置いた。


 それを見た霧崎は目を煌めかせ、乗せられた札束をさっと素早く掻き集めると、


「ありがとうございます神様!」


 と大真面目に叫んで懐へ突っ込んだ。厚みのある紙束が衣擦れの音を立てる。


「それじゃあ俺はこれで帰るとしますか!」


 霧崎は椅子から立ち上がり、ルンルンとした足取りでバーを出ていった。

 残されたのは氷の溶けかけたグラスと、妙に軽くなった空気だけだった。


 一人残されたタシキは、テーブルに置かれた疑神液を眺める。

 紫の液体は照明を受けて、毒々しいのにどこか神秘的に揺れていた。――これが”人間を疑神にする”など、理屈で受け止められる話ではない。


 タシキは一度、息を整えるように吐き出してから、ポケットから携帯電話を取り出した。

 画面の光が、暗いバーの中で妙に眩しい。


 タシキは、ある人物へ電話をかけた。


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