第2話 不可視の盾、雷光、集う役者たち
試験会場となる大講堂。
壇上に現れたのは、小柄だが背筋の伸びた老婦人――『結界の魔女』と呼ばれる校長だった。彼女はマイクの前に立つと、穏やかな、しかし講堂の空気を震わせるような声で短く告げた。
「諸君。魔術の本質は『自由さ』にあります。健闘を祈ります」
挨拶はそれだけだった。余計な訓示はない。代わって、厳格そうな教頭が進み出て試験ルールを淡々と説明する。
・試験は仮想空間にて行う
・制限時間は1時間
・制限時間内にポイントを稼ぐこと
・ポイントの対象は『魔物の駆除』および『要救助者の保護』
・HPという体力の基準があり、ダメージを受けると減る。
・HPが尽きると仮想空間から出されるが即刻不合格というわけではない
とのことだ。
仮想空間は自身の魔力で体が作られるらしい。ダメージなどを追うことがあれどそれを現実まで持ち帰ることはないようだ。
死ぬことはないが、経験した知識や技は会得できる。教育においてうってつけの家系魔法だ。
転送された先は、広大なスクランブル交差点だった。だが、そこはすでにパンドラの箱が開いたような有様だった。
明確にここまでが範囲としている壁があり、大きな十字路の通りの隅には4つのゲートのようなものがある。
「うわぁぁぁ! こっちに来るな!」
「助けてくれぇ!」
この空間で皆のやるべきことは一目瞭然であった。
試験開始のブザーと同時に、ゲートから魔物が次々と吐き出されている。どうやら戦闘の真っ只中に放り込まれるシナリオらしい。
「っしゃあ! 狩り尽くせぇ!」
「雑魚どもが、俺の炎の糧になりやがれ!」
多くの受験生が動き出す中、一際目立つ火柱が上がった。緋焔 烈(ヒエン レツ)。逆立った青黒い髪の少年。彼の掌から蒼炎が放たれ、オークの群れを一瞬で青い灰へと変えていく。周囲の受験生など眼中にない。
その横で、爆風と共に加速する影があった。大剣を振るう赤髪の男だ。彼は他の受験生が弱らせた魔物に、横合いから突っ込み、爆発の推進力を乗せた剣でトドメを刺していく。
「へっ、いただき! ポイントは俺のもんだ!」
「おいふざけんな! 俺が弱らせたのに!」
「取られたお前がトロいんだよ!」
罵声が飛び交うが、爆発男は意に介さず、他人の手柄を横取りし続けている。
周囲の狂騒を背に、俺は一人、逆方向へと駆けた。目指すは交差点の四隅――空間の歪みが最も激しい、ゲートだ。誰もが敬遠するその激戦区へ向け、俺は足裏に『膜』を展開する。
膜の内部で空気を極限まで圧縮し――踏み抜く瞬間に破裂させる。
パァンッ!!
足元で空気が爆ぜ、その反動が強烈な推進力となって俺の体を押し出した。一歩踏み込むごとの加速。俺は弾丸のような勢いで、北東エリアの奥へと肉薄する。
視界が捉える。ゲートの真下で身を寄せ合う二体の要救助者。彼らを取り囲むように、数体のゴブリンが武器を構えて迫っていた。
敵の戦力は低い。だが、距離が遠すぎる。この加速をもってしても、間に合うか――いや、ギリギリのラインだ。
その時。
バチィッ!!
青白い雷光が、俺の横をぶち抜いた。金髪の少年――鳴海光(ナルミ コウ)だ。
彼は最初から要救助者に気づいていたわけではない。周囲の雑魚には目もくれず、誰も行かない激戦区へ一直線に走る俺を訝しみ、その進行方向を確認したのだ。そして、俺の視線の先にいる二人の要救助者を認識した瞬間――彼は雷速で俺を追い抜いていった。
「――救助は任せて!」
すれ違いざま、彼は自信に満ちた声で叫んだ。ゴブリン数体なら、彼のスピードがあれば一瞬で殲滅できる。彼もそう確信しての加速だろう。
(速い……。)
彼なら間に合う。だがその直後、俺の肌がビリビリと粟立った。ゴブリンたちの背後の空間が、異常な密度で歪み始めている。
(……いや。何かデカいのが来る)
虫の知らせか、それとも忍びの勘か。俺は足を再び強く踏み込み、彼の背中を追いかけながら、指先から膜を弾き飛ばした。
「……保険だ。」
それは誰にも気づかれることなく、先行するコウの背中に張り付いた。杞憂ならそれでいい。だが、俺の予感が正しければ――。
コウは瞬きする間に要救助者たちの付近へ到達した。帯電した手刀を構え、ゴブリンの首を刎ねようと踏み込む。だが、その瞬間。
ズドォォォォン!!!
頭上から落下してきた巨大な影が、ゴブリンたちを纏めて踏み潰した。飛び散る光の粒子。土煙の中から現れたのは、牛の頭を持つ巨獣――ミノタウロスだった。
「なっ……!?」
コウが驚愕に目を見開く。想定外のボス級モンスターの乱入。しかも、ミノタウロスは出現の勢いのまま、目の前の要救助者を吹き飛ばそうと巨大な戦斧を振り上げている。
コウの脳内時間が極限まで引き伸ばされる。
(間に合う。だが――どうする?)
相手は重量級。ゴブリン程度なら倒せても、この分厚い筋肉の鎧をまとった巨体はどうだ? 俺の雷撃で、一撃で沈められる保証はない。蹴って体勢を崩すか?いや、もしあの巨体が怯まなかったら?賭けに出るにはリスクが高すぎる。なら、回避か? 駄目だ。要救助者を二人も抱えても逃れ切るのは厳しい。
(パワーで押し負ける。倒しきれない。回避もできない)
なら、最適解は一つ。コウは迷わず、要救助者の前に立ち背を向けた。クロスさせた両腕にありったけの雷撃を集中させ、魔力と電気信号で肉体の強度を極限まで高める。 自分が「盾」となり、衝撃を吸収するしかない。
(骨の二、三本は覚悟の上だ……!)
戦斧が振り下ろされる。コウが死の衝撃に備えて歯を食いしばった、その瞬間。
ガギィィィン!!!!
背中で、甲高い音が炸裂した。
「……え?」
骨が砕ける激痛を予想していたコウは、目を見開いた。痛みがない。それどころか、自分の腕の数センチ外側で、何かが斧を受け止めていた。先ほど、すれ違いざまに背中に張り付いた違和感。それが今、鋼鉄以上の硬度を持った『不可視の盾』となって展開していたのだ。
「グオッ!?」
予想外の反動に、全体重を乗せていたミノタウロスが大きく体勢を崩し、たたらを踏む。その隙だ。俺は滑り込みざま、膜をバネにして跳躍した。
「――正面、空いたぞ!」
「君は……!」
俺は空中で回転し、重力と膜の反発力を乗せた踵落としを、無防備になったミノタウロスの脳天に叩き込む。彼は状況を即理解して、雷を右拳に集中させ、がら空きの腹部へ突き上げた。
「――雷撃!」
ドンッ!上下からの同時攻撃。巨獣は断末魔を上げる暇もなく、光の粒子となって消滅した。
俺たちは着地し、残心をとる。
「今、何が……?君が何かしたのか?」
「さあな。見えない何かが守ってくれたんじゃないか」
俺はとぼけて、要救助者に目を向ける。コウはそれ以上追求せず、ただ短く「……ありがとう」とだけ言った。俺たちは即席のコンビネーションで要救助者を搬送し、安全地帯へと走った。
一方、現実世界。試験を監視するモニタールーム。無数のホログラム映像が浮かぶ薄暗い部屋で、教官たちは忙しなく視線を動かし、手元の端末に採点データを走らせていた。
「今年は豊作だな。特に戦闘センスに秀でた者が多い」
静かだがよく通る声で呟いたのは、学年主任の剛田(ゴウダ)だ。仕立ての良いスーツに身を包み、腕を組んでモニターを見つめる姿は、教師というより経営者のような知的な渋さを漂わせている。彼が視線を向けた先には、青い炎で魔物を焼き払う緋焔烈の姿があった。
「緋焔家の『蒼炎』……噂には聞いていたが、これほどの出力とはな」
「おーおー、怖っ。ありゃ完全な移動砲台だな」
隣でケラケラと笑ったのは、先輩教官の沢村だ。彼は椅子の背もたれにだらしなく寄りかかりながら、別のモニターを指差した。そこには、爆発を利用してピンボールのように戦場を跳ね回る赤髪の少年が映っていた。
「こっちの爆弾小僧も速ぇぞ。他人の獲物を横取りするハイエナ戦法……やってることはダメだが、腕は立つ」
「そうですね、身体制御は巧みですね」
冷静に分析を入れたのは、焔 京介(ホムラ キョウスケ)だ。彼は手元の端末でデータを見ながら、穏やかな口調で補足する。
「爆発を攻撃ではなく、純粋な機動力(ブースト)に変換している。発想が柔軟だ。……まあ、やり方は気に入りませんが」
「おっ、焔くん厳しいねぇ。ま、俺もこういう手合いは好きじゃないけどよ」
沢村が茶化すと、剛田が「次だ」と短く促した。
「……虚木 創(ウツロギ ソウ)はどうだ?」
「あー、この子!メンタル弱そうだけど、アタシ結構好きかも」
声を上げたのは、小柄で派手なメイクをした女性教官――白石だ。彼女は綺麗な爪で器用に画面を拡大し、焔に同意を求めるように小首を傾げた。
「ね? 焔っちもそう思うでしょ?」
「ええ、そうですね」
焔は、モニターの中で脂汗を流しながら剣を生成する虚木を見つめ、優しく微笑んだ。
「家系魔術のすばらしいが、生成の魔力消費は激しいし、あの万能な魔術で『ただの剣』を作るのは少し残念ですが、磨けば光る原石です」
焔は迷わず評価項目に目をやった。
さらに、別のモニターでは。花園聖奈がスクランブル交差点には似つかわしくない大樹を展開し、その付近では若草結衣が周囲の生徒に目を配りながら敵を倒していた。
「うわっ、花園の娘はバケモノだな。あんなデカい木を出したうえで五人を同時治療かよ」
沢村が呆れたように頭をかく。すると、白石が身を乗り出して叫んだ。
「待って待って! その横のちっこい子、若草結衣(ワカクサ ユイ)ちゃん? この子ヤバくない!?」
「ん? 空手使いのようだが……」
「違うって剛田主任!見てよこの数値!周りの男子のステータス、倍近く跳ね上がってるし!」
白石の指摘に、焔もデータを覗き込み、目を見開いた。
「本当だ……。かなり能力が強化されている。このエリアの脱落者が極端に少ないのは、彼女のおかげか」
「でしょ? 隠れMVPじゃん。こういう子がチームに欲しいんだよねー」
そして最後に、教官たちの視線は一点に集中した。北東エリア。巨大なミノタウロスが、光の粒子となって消滅した瞬間だ。
「おいおい!毎年恒例の初見殺しミノタウロスが倒されたぞ!?」
沢村が思わず椅子から立ち上がる。
「あそこの救助者が無傷で助けられたのなんて、十年ぶりくらいだろ」
「……ほう」
剛田も、わずかに眉を動かして感嘆の声を漏らした。モニターには、息を整える鳴海コウと、涼しい顔で周囲を警戒する須波レンの姿。
「鳴海コウの雷撃による瞬発力。……そして、あの少年」
「須波レン、ですね」
焔は静かにその名前を口にした。
「彼は何の魔術だ?あの推進力もそうだが、ミノタウロスの斧を弾いたのは彼だろう?」
沢村の問いに、焔は少し困ったように、しかし嬉しそうに首を振った。
「わかりません。事前のデータにも該当がない。……でも、理論だけじゃ説明つかない動きをしていました」
焔は資料の『須波レン』の項目を指で弾き、ニヤリと笑った。
「わからない……だからこそ、面白いじゃありませんか」
焔の瞳には、静かだが確かな期待の炎が宿っていた。 玉石混交の戦場で、本物の原石たちが輝き始めていた。
再び、仮想空間。俺とコウは要救助者を花園に託し、別行動を取った。あくまで同じ受験者、採点基準がわからない今ライバルであることは確かだ。俺は上空へ膜を足場にして駆け上がり、戦場全体を俯瞰する。魔物の湧き方が異常だ。明らかに自然発生ではない、作為的なものを感じる。だが、まだ決定的な証拠(ソース)が見つからない。
(……ん?)
眼下で、一部の受験生が苦戦しているのが見えた。相手は全身を金属の鎧で覆った『アーマード・オーク』。数人の受験生が火球や風の刃を放っているが、全て鎧に弾かれている。
「くそっ、硬すぎる!」
「魔法が効かねえ! 三人掛かりでも無理かよ!」
魔法防御(レジスト)の高い厄介な敵だ。俺が上空から援護に入ろうかと考えた、その時。
「とぉぉーっ!!」
間延びした、妙に可愛らしい掛け声が空から降ってきた。この声、聞き覚えがある。黒髪のショートカットの少女――今朝のフィジカルお化け、泡沫凛だ。
彼女は上空から落下する勢いをそのまま拳に乗せ、アーマード・オークの脳天目掛けて突っ込んだ。
「えいっ!」
パンチの瞬間、発せられた声は軽かった。だが、結果は破滅的だった。
ドガァァァァァン!!!!
金属がひしゃげる不快な音と共に、オークの鎧が紙屑のように潰れ、巨体が地面にめり込んだ。衝撃波で周囲の受験生が尻餅をつく。土煙が晴れると、そこにはクレーターの中心で「手が痛ぁい」と手を振る凛の姿があった。
「……ははっ、やっぱりあの子、規格外だな」
上空で見ていた俺は、思わず笑みをこぼした。魔法が効かないなら、物理で殴ればいい。あまりに単純で、痛快な解法だ。
役者は揃った。だが、この試験の本当の『異常』に気づいている者は、まだ誰も知らない。
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