八節
コンコンと優しさまじりのノックで私は目を覚ます。
「……ぁ、だ。だ、だれでずが」
寝起きなために嗄れた声は相手に届いたかどうか分からない。
返答はなかった。
やはり声量が充分なものではなかったのだろうか。
肺を膨らませ、すうっと一気に酸素を取り込む。
上体のみを起こして声を張り上げた。
「だれでずか……! ゴホッゴホッ」
「はいは〜い。おはよ、モフィリア。大丈夫?」
戸を叩く主は意外にもウルカだったらしい。
ノックなんてらしくなかった。
「ちょっとむせてしまって。ゴホッ、ん、んん!」
「朝方から災難だね〜。あ、もしかして起こしちゃった? それならごめんなんだけど」
「それはいいのだけれど。ん、それで? どうして今日はノックなんかを。あなたならいつもは我が物顔して入ってくるでしょう」
「知ってる? 冬眠している動物を急に起こしちゃうと、さいあく命に関わるらしいよ」
「私は動物じゃないのだけれど」
そもそも今は春だし。
それからというもの普段通り、なんら中身のない会話を繰り広げる私たち。
けれど、その一方で私はあの音が頭から離れなかった。
――ノックする音を聞いたのはいつぶりなんだろう。
「それよりウルカ。あなた、鞄をここに置き忘れたわね」
私は床にどっしりと放置された鞄に目をやる。
「あっ、――そうそう! 昨日の夜走り出した時、やけに身軽だな〜と思ってたんだよ! いやー、困ったもんだったね。用事があるって言ったじゃない? 身分証が必要でさ。鞄に財布が入っていたせいで何も出来なかったし、宿にも泊まれずじまい。結局野宿しちゃった」
「は、はぁ……」
やけに饒舌な彼女に溜め息だけがこぼれる。
全く呑気なものだ。
私なら思い付きの行動で走り出すことなんて絶対にしない。
彼女は息をするように感情の向かいたい方向へと足取りを進める人間。
私と何もかもが対極的で。
やはり、私たちは一生分かり合えない人なんだと実感する。
「ねぇねぇ、――鞄の中身って、見た?」
「別に見ていないけれど。何か見られちゃ不味いものでも?」
「いやいやっ! そんなものないって!」
「そう」
急に彼女は両手を大きく振ってみせる。
「あ、そうだ! 今日はまた頼みごとがあってね」
「はぁ、また仕事かしら」
「そうそれ! 仕事なんだけど、早速次の行き先が決まったの」
「そう、どこにいくの?」
「仕事の行き先はね――って、それよりこれ! フィナンシェまだ食べてなかったのモフィリア」
大きな声に耳を砕かれる気分だ。
彼女の人差し指を追う前に私は耳を塞いだ。
「こんなところに置いちゃって。湿気てるじゃん、可哀想に」
私は写真の横に置かれたものに目を移す。
そこにはなんとも悲惨な、生気を失ったフィナンシェがあった。
「これじゃあ美味しく食べれないよ。私が代わりに食べてあげるね」
「あっ――――」
むしゃっと一口で。
彼女によってフィナンシェは丸呑みだった。
彼女はくちっぱいに頬張っている。
「どうしあの、もふぃりあ」
「い、いえ。なんでもないわ。それより食べたまま話さないで」
彼女は喉を鳴らして完食を告げる。
両手を合わせながら、
「あー、もしかしてお腹すいちゃってた? ごめん、すぐ作るね」
彼女はとても世話焼きの性分。
ああして衝動的な反面、私と接するときは和やかな顔を見せてくれる。
それがなにより安心感を与えてくれた。
「いつも助かっているわ」
「いいえ~。だってさ、モフィリアはいつもパンとコーンスープばかり食べるでしょ。それじゃあ栄養が偏っちゃう」
「私なりの節約術よ。あれが一番コスパ良くお腹いっぱいにできるのだから」
「それでもダメ! 色んなもの、しっかり食べてね」
それからというもの、彼女はキッチンに足を運んだ。
いつものことだった。
私は、窓から差し込む弱い太陽の光を浴びながら身体を伸ばす。
「はぁ……眠い。こんな朝早くから何よ」
そうこうしているうちに、彼女は部屋に帰ってきて。
「はい! 私のお手製ミネストローネ~。召し上がれ!」
彼女が持っているトレイは机の上に置いてくれる。
ついでにスプーンを手渡してくれた。
「いただきます」
若干冷え込んだ朝。
湯気だたせるスープで、私は身体を温めながら。
すっかり、ミネストローネをペロッと平らげてしまう。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした~」
今日の彼女も早朝ながらとても元気だ。
「それで? 仕事の行き先って……」
私は首を上げる。
そのまま目を瞬かせてから。
彼女に本題を切り込んだ。
「あっ、そうそう。――モフィリア、次の仕事先は〈地下都市・ソッテラネア〉だよ」
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