六節
「ねね、次はどこ回ろっか!」
煩げな声が横から頭を揺さぶる。
「花屋さんも可愛げがあっていいし、それとも静かな路地裏? 展望台の上から眺める景色は最高だろうな~。んー、モフィリアはどこがいいと思う⁉」
「……知らないから」
そんなことを素人の私に訊かないで欲しい。
「モフィリア~。ずっと地面とにらめっこしてても、良い景色見つけれないよ~?」
「そ、そうね……」
スフォルツェスコ城を出た後から。
私はずっと何かに怯えていた。
そのためか、結局はウルカの先導あって街中を散策している。
なんとか顔を上げてみるが、どれを取ってもパッとしないものばかり。
クリーム色の漆喰は常に日の光を吸い込んでいる。
「おっと! あれは!」
甲高い声が私を突き刺す。
「今度はなに?」
「少し待ってて! すぐ戻ってくるからー!」
「ちょ、ちょっと!」
一目散に彼女は走り去ってしまった。
また余計なことをしでかすつもりじゃ……。
暫くしたら彼女はとても楽しげにスキップをして帰ってくる。
「はいチケット! 買ってきたよ~」
ピラっと二枚の券を当然のように見せつけられる。
「何をしているのよ」
「え? これであそこのデッカイ所に上ろうって思ってさ! 行ってみたら有料だったら買ってきた~」
彼女に指をさされて見上げると。
圧巻されるような巨大建造物が目に入る。
「もしかしたらそこでいい写真撮れるかもしれないし!」
「あなたは全く…………」
「ほらー、モフィリアも行こ?」
私は肩をすくめた。
「――仕方ないわね」
わざわざチケットを買ったというのに使わなかったら無駄になる。
これは普通の合理的判断。
少なくとも、私が歩く理由なんて考えなくともいい、のだから……。
けれど、
「仕事を達成するためにお金を使うなんて本末顛倒よ……」
彼女の懐事情が底知れない。
財布の紐が緩いなんてレベルではないだろう。
――その金銭感覚と、自由気ままな歩き方だけはどうしても理解できなかった。
× × ×
――サンタ・マリア・ナシェンテ教会。
ただただ大きい。
それを目にして単純な感想だけが先行した。
周囲の建造物とはさして色合いは変わらない。
けれど、惹かれる。
きっと造形が他の建物と有様がかけ離れているからであろう。
細部まで作り込まれたものは、複雑な組織の集合体。
目を凝らさなければ分からないほど、張り巡らされた彫刻。
――こんなの、『模倣』出来ない。
それは通称〈ミラノ大聖堂〉と庶民からは呼ばれているようだ。
ここでは、屋上にテラスがあるとのこと。
私たちはそこに向かっている。
そこでは街全体を望めるんだとか。
「世界最大級のゴシック建築ねぇ……」
歴史書にそう書かれていた記憶がある。
昔知ったことだ。
とにかく階段を上らないことにはテラスにまで漕ぎ着けないらしい。
「徒労だわ」
どうして私がこんなことを……。
「頑張って! モフィリア」
頭を抱えたくなったが、カメラを持っていたことに気が付いて手を下ろす。
そのまま長い長い階段を上り始めていった。
× × ×
九つもの階層を経て、私はとっくに息が上がり切っていた。
「ちょ……ちょっとまって。あの…………一旦休憩を挟んでは、くれないかしら」
「あはは、疲れちゃったよね。うん、そうしよっか」
抱えていたカメラだって、今では相当な枷となっている。
はぁ……そりゃ疲れる。
どれほどのスポットに足を向けたか解らない。
架け橋から銀行、ましてや図書館に至るまで。
これでもかと歩かされ、これでもかと写真を撮らされた。
さして同じような見た目のものばかりなのに。
胸からこみあげてきた溜め息がこれでもかと吐露する。
……ついでに、体力だけでなくフィルムも消費しまくり。
手持ちも残り僅かとなっていた。
肌に触る風を感じながら。
手前に座れそうな場所を発見して。
私はゆっくり腰を下ろした。
今日の身体をせめても精一杯労う。
「普段歩かないから、余計にしんどいわね」
「まさに運動不足だね」
当たり前だ。
歩く理由を探している私が、活発的に外を歩き回るはずもない。
いつしか額から垂れてきた汗を、私は袖で拭った。
「あっ、そうだ」
横に立っている彼女はポケットに手を入れて、
「んっふふ~ん、ここで食べちゃお」
片手にしていたのは先ほど買ったフィナンシェ。
そのまま勢いで頬張ってみせた。
「う~ん! やまぁんないねぇ」
咀嚼しながらそう感想を残す彼女だったが。
「あなた……ここは飲食禁止ってさっき書いていたわよ」
私の忠告を聞いてから、ゴグリとフィナンシェを飲み込んで、
「え、マジ⁉ ちょ、ちょ、早く食べないと!」
次にもう一つのスイーツにまで手をつけ始めた。
「どうしてマカロンまで…………理解不能だわ」
そうしてすぐに食べ終わったのだろう。
彼女は大きな息を吐いて口角を上げている。
「ふぅ~、なんとか食べ切ったー。危ない危ない」
「はぁ、呆れたわ」
「まぁまぁ、いいじゃん!」
「そう」
彼女がこうも笑顔なら、これ以上なにも言えなかった。
寄せていた膝に自然と力が入る。
すると私の横に、ウルカも腰を下ろして。
「モフィリアさ――」
二つ結びの髪を風で揺らしながら、
「どうして今日は、こんなに付き合ってくれたの?」
そう、私に問うた。
「……どうして」
「うん。モフィリアなら歩くたんびに理由を欲しがるじゃない?」
顔を見れば、とっくに彼女の笑顔だけは消えていて。
真剣な眼差しだけがこちらを捉える。
誤魔化すことは……出来なさそうだ。
「――納得いかなかったから……かしら」
「今日は納得できた?」
私は長い髪を横に揺らす。
それに次いで、胸のわだかまりが強く反応した。
「そっか、まだ見つけていないんだね。『最高の景色』を」
でもどうして、ここまで思い詰めてしまうのだろう。
最高の景色なんて言ったもの勝ちだ。
城塞跡地の写真が『最高の景色』と嘯くこともできたはず。
なのに、どうして。
解けない問いに、胸がきゅっと締め付けられる気がした。
× × ×
私たちは少しの休憩を挟み、とうとう屋上に差し掛かっていた。
そこから差し込んでいたのは、目を輝かせる夕日。
「……はーもうこんな時間かぁ。随分と歩き回ったね」
その流れで彼女は展望台の端まで身を寄せた。
「わぁ……! こっちおいでモフィリア! とっても綺麗だよ!」
顔だけを振り向かせて私に手を振る彼女。
けれど、やはり私の疲れだけは身体中を支配していて。
そのままテラス中央の段差に腰かけた。
私はそっと片手を胸に寄せる。
――やっぱり。
心中動き続けていた違和感。
鼓動さえも止めてしまうような、そんなものが。
今日はずっと、私の中に居た。
どうして……これも、『歩く理由』が見つかってないからなの?
彼女に隠れて、そんな気持ちだけが先行する。
顔を上げると、私を差す夕焼け。
頬を朱色に染めて。
すぅっと、息が漏れた。
私は、勢いよく跳ね上がる。
「――これだ」
すかさずカメラを操作する。
慣れない手つきでも、彼女を観察して覚えた扱い方。
「どうしたのモフィリア」
またとない。
これは逃してはならない。
そう直観が全身を支配した。
眼とカメラの焦点を合致させる。
呼吸を忘れるほどの没入感。
レンズの先にある言葉で言い表せないもの。
手の汗でさえ滲むことを気にしない。
目の奥に輝くのは、斜陽を反射する、〈ミラノ〉の景色。
――刹那、捉えた。
カシャっと。
今日この日、私が歩んだことを証明するように。
その最高の景色を、――切り取った。
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