四節


 歩くテンポが異なれど、いずれかのタイミングで歩調が重なるように見えることがある。斜め下に目を向けながら足を運んでいた私は、誰よりも早くその現象を目の当たりにした。

 道と方向を違わずしても、こうして志が違えた二人が歩くことをともにするのは貴重な体験だ。ついつい不要な力が入ってしまって。不器用な歩き方になってしまう。

 やけに覚束ない足取りは、立つことさえやっとの小鹿みたい。

 私は随分と恥ずかしい姿なのではなかろうか。

 人通りが多いせいで、その気持ちも増していた。

 軽いカメラでさえ重さを感じている。

 仕方ないとわかっていながらも……。

 私は嫌味をぶつけた。

「あなたは私のことを動く不良品の玩具かなにかと思っていないかしら。私はぜんまいを回しても最低限の行いしかしないわよ」

「そのぜんまいを回すためにモフィリアの傍にいるんだよ~」

「の割にはよく旅行に行くものね」

「旅に生きる者の宿命、ってやつかな!」

「筋が通っていないのだけれど……」

 ぎこちない私をさも気にしない彼女。

 ツインテールをこれでもかと振り上げている雰囲気から察せられる。

「まぁまぁ、そう気にしないで。私はただ、――あ! 聞いてモフィリア、大事件だよ!」

「何かしら」

「美味しそうなマカロン屋さんを発見しちゃったよ! やばいよ!」

 指さす方向を強調して、世紀の大発見かのごとく私に教えてくる。

 たかがスイーツショップの一つ。

 発見にさして意味合いが感じられない。

「そう。良かったわね」

 そう普段通りあしらったはずが、聞く耳を持たなかったのだろうか。

「じゃ、ちょっと行ってくるね!」

 一瞬だった。

 理性といった制御装置が外れたように、彼女は一点めがけて飛び込んでいく。

 その遠退く彼女をみて、試しに手を伸ばしてみた。

 それは空を切るように空振りしてしまったのだけれど。

 暫くその場で立ち尽くしていたのだろう。

 満足な買い物ができたのか、彼女は小包を二つ手にして戻ってきた。

 こめかみ辺りを押さえながら、私は溜め息をぶつける。

「少しは落ち着いていられないのかしら」

「ごめんごめん。ほれ、モフィリアのも買ってきてあげたから。これでチャラね!」

 紙にくるまれたマカロンを手渡される。

 私はなんとなくポケットに突っ込んでおいた。

「えー、今食べないのー? うーん……仕方ないなぁ。じゃあ私も後で食べる」

 大人しく仕事に専念してくれるようだ。

「でもでも、やっぱ私はいま食べたほうがいいかな~って?」

 反省の態度はまるでないらしい。

 第一マカロンなんて高級スイーツ、食べ歩きするようなものじゃないだろう。

「あなた、多少なりとも自制したらどうかしら。本業から道を外れた行為は無駄足よ」

「〇〇。人生は一期一会なんだから、目の前の出会いに全力でなくちゃ! そうしないと、次はもう巡り合えないかもしれないぞ~」

 ウザったらしく振舞い続ける彼女を私は無視した。

 けれど……

「あっ! 次は私を待ち望んでいたかのような――フィナンシェ屋さんが!」

 ぴくりと身体が芯から震え上がる。

 ゾワゾワっと胸の真ん中から、熱が一気に放出されるような。

「モフィリア、ちょっと待ってて! 私が買ってきてあげるから~」

 歯を食いしばって、瞳の奥に捕まえようと必死な私。

 この場から駆け出し始めた彼女の手首を。


 ――掴み取った。


 右に一歩、足を出して。

「どうしたのモフィリア」

「わ、私もそこに連れていってくれないかしら」

 今更我に返った。

 痛いほど彼女の手を握っていることに。


   ×   ×   ×


 カラランと鳴る鈴の音が入店の合図だ。

 ガラス張りのドアを開けると、フィナンシェの穏やかな香りが鼻を纏った。

 商品棚に陳列されているのは、金の延べ棒だと形容されるスイーツ。

 価格こそリーズナブルだが、その見た目から金運アップのスイーツとしても有名だ。

 そんなスイーツに思いを馳せているうち、私は私なりの宿命を忘れかけていた。

 途端に足先に力が入らなくなる。

 せめてもと、私は扉の横に立つ。

 私は静観するよう心掛けた。

「何が欲しい?」

「普通のもので構わないわ」

「そう? じゃあオーソドックスなやつ注文しておくね。すみませーん」

 厨房からパティシエが顔を覗かせる。

「プレーンを二つ! お願いします。あっ、食べ歩き用で!」

「はいよ」

 まもなくして商品棚から延べ棒が二つ取り出された。

 今回は紙にくるんでもらっただけらしい。

 買い上げた彼女は早速店外に。

 彼女の影を辿るように、私もついていった。


   ×   ×   ×


「それにしても意外だね。モフィリアはフィナンシェが好きだったの?」

「い、いえ……別段そういうことでもないけれど……」

 カメラを持つ手は汗を滲ませていた。

 私にとって、どうしてこれほどまでに全身が熱いのか。

 ……わからない。

「とにかく食べよ! 買ってすぐのフィナンシェが一番美味しいんだから!」

 彼女は一段明るい声色で、私の正面に立つと。


『はい、モフィリア! フィナンシェを召し上がれ』


「えっ?」

 パリンと聞きたくもないような音を耳にして。

 気が付けばおしりがとても痛く感じていた。

「だ、大丈夫⁉ モフィリア」

 しゃがみこんで、こちらの顔を窺うウルカ。

 けれど……

「カメラが……」

 手にしていたはずのカメラが地面に落ちてしまっている。

 ガラスの破片が軽く飛び散っていて。

 それでカメラのレンズが割れているのだと知った。

「いいのいいの。壊れててても、カメラは私のやつで代用できるから」

「…………そう」

 両手で身体を持ち上げてからおしりを叩く。

 そして地面に倒れていたカメラを持ち上げて。

 私は強く、握り直した。

「弁償しなくても大丈夫だよ~。それ、非売品だから」

「でも……」

「おっちゃんには、私が転んで落としてしまった~って伝えておくから!」

 彼女なりの優しさなのだろう。

「あっ、そうだ。はい! どうぞ」

「ありがとう……」

 彼女から改めてフィナンシェを受け取って。

 またもポケットに押し込んでおいた。

 壊してしまったことに不安を抱いていたけれど。

 それ以上に離れてくれないものがあった。

 彼女の柔らかい声は、やはりあの人のように――。

 私は俯いたまま、ウルカの手に引かれて歩いて行った。


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