2 試練
2
ジーグの故郷は辺境の小村である。
人口百そこそこの山間の小さな村で、復興の進んでいく「王国」との接点もなく、ゆえに、侵略的な敵対諸国の脅威もない。
毎日があくびの出るような平和すぎる日常。
農民は横のつながりと共同体の論理によって、若者らの村からの脱出を防ぐことに腐心していた。
それは洗脳的な支配とすら言えるもので、ときに、暴力さえ厭わなかった。
己に与えられたのは小さすぎる家と、猫の額ほどの畑。
出世の糸もない、どうしたって自分は労働力として使い潰されて死んでいく。それは目に見えていた。
こんなところで腐れるか。
ジーグは、死んだ父と同じ狩人を目指し、そして、その中で気づきを得た。
このまま苛烈な光のない、生ぬるい闇の中へと沈んでいくだけの――平坦な道が敷かれているだけの人生を、惰性で歩んでいくのか?
気づきというよりは、再認識であり、問いだった。
安全な、死んでいないだけの淡々とした日常が続く。
その先には、平凡な墓地が佇んでいるだけ。
――そんなつまらない未来へ、何を見出して生きていけばいい?
ばち、と薪が爆ぜた。
川沿いで、ゴルドと名乗った六十を超える戦士が、鍋から汁をよそう。
時刻はすでに夕刻。ジーグは与えられた水を飲んで、俯いていた。
「どうしたんだ」
「……情けないって、思わないのか」
「いや、別に」
ジーグはすでに、あらましを話していた。
思い出したくもないこともあって、だから――抽象的で断片的な、説明だったけど。
それでもゴルドは察したようで、黙って聞いていた。彼は肯定しなかったが、否定もしなかった。
だから余計に、自分の中でことばが空回りするような感覚を味わっていた。
どうすべきか、という問題ではない。――やらない言い訳を探しをやめればいいだけだ。
――すでに、結論は出ている。
「あんたは、……これからどこに」
「アテなんかねえさ」老戦士が言う。「そんなもん、なくたって生きていける」
黒黒とした目には、感情を感じさせない深さと暗さが同居している。
「教えてくれ、ゴルド」
自然と言葉が出た。
ゴルドは汁をたっぷりよそった椀を手渡してくる。
受け取って、ジーグはもう一度言った。
「俺に歩き方を教えてくれ。この世界で、腐らずに、――迷わずに生きていく……〝道〟の歩き方を」
ゴルドは焚き火に視線を落とす。
周囲で虫が鳴いている。
「まずは飯を食え」ゴルドはそう言って、獣肉と脂、山菜をたっぷり入れた汁をすすった。
ジーグも頷いて、スプーンで掻き込む。
空きっ腹に、塩味の強い肉の汁は最高に染み渡った。
夢中になって掻き込む。
ゴルドも食べ、二人、ほぼ同時に食べ終わった。
「俺はな、ジーグ」ゴルドが口を開く。「誰かに教わったことは一度もない。教え方なんかわからない」
それは、彼の過去が決して平坦なものではないことを、暗に示している発言である。
この時代、決して珍しくない――のだろう。あの村が異常なのだ。
平穏すぎて、あくびが出る故郷を思い出す。
剣よりも鋤や鍬を持て、槍じゃなくて、熊手を持て。
村に尽くせ、奉仕せよ、ここで骨を埋めよ。
――鉄砲なんか、いらんじゃろう。
――馬鹿ね、マモノ? あんなの、迷信でしょう?
――お前は、食わして貰った恩が、わからんか!
吐き気がする。
迷わずに、ジーグは言葉を返す。
きっとこれが、千載一遇のチャンスだ。これを逃せば、もう、次はない。
「ならついていかせてくれ。教えてくれなくていいから」
「そうか」ジーグが言わんとしたことを、ゴルドは察していた。「なら、勝手にしろ」
ゴルドは鍋の残りの汁に、砕いた乾パンを入れる。
汁を吸って柔らかくなった乾パン粥を食べて、二人は夜を明かした。
目が覚めた――体にかけられている布団を手繰ろうとした指が、空を掻く。
ぼやける視界に、徐々に森が像を結んでいく。
そうして緑に食われるようにして取り込まれている、旧文明の異物がはっきりと見えると、ジーグははっとして体を起こした。
空はもう、十分以上の明るさだ。
――寝過ごした!
「ゴルド」
あの老戦士がいない。
まさか、のんきに寝ているうちに行ってしまったのか。
慌ててジーグは毛布を丸めて革紐で留めると、ナップザックを背負った。
追いかけねば。
「馬鹿野郎」自分に呆れた。
最後にして最高のチャンスを、今、自分の不注意で見失った。
泣きたくなった。そのみっともなさを、廃墟の森が、笑っている気がした。
右か左か、どちらへ行くべきか。
そこでジーグは、ふと思うところがあった。
昨日ゴルドが座っていた丸太に、獣の骨と皮で作られた、簡易的な
これは自分のものではない。
勝手についていく。教えなくていい。
自分はたしかにそのような文脈の会話をした。
「そういうことか」
ジーグは無駄に歩き回る前に、まずはできることをする。
手元にあるのは、空気ライフルと、同じく空気ピストル。近接戦に使える武器はない。昨日失っている。
目の前のハチェットを掴んだ。グリップには、滑り止めのために目の粗い紐と皮が巻いてあった。
乳白色の骨は、ごつく磨き、圧着処理を済ませてある。
相当使い古されている。
これが意味するところは、
――ゴルドからの試練。
であった。
ジーグは骨のハチェットを手に握った。
(狩りの基本は、追跡だ)
故に、まずはその痕跡を探すこと。
足跡、擦過痕、匂い、呼吸音――振動も。
森で暮らして三日、ジーグは嫌でも、基礎を体感している。
ジーグは数回ハチェットを振った。それから腰のベルトにねじ込んで、周囲を観察する。
ゴルドの体格からして、まず、足跡が残りやすい。
そう判断する。
地面を這いつくばり、シャクトリムシのように動き、探る。
明らかに抉れた箇所と、すこし、腐葉土が盛り上がっているところがある。踏み込んで、歩を進めた痕跡だ。
歩幅は一定。しかし、足跡は左右一対ではない。重ねている。
(狩人歩き……)
一部の肉食動物に見られる独特な歩法であった。
見失わぬように進む。
そのとき、ジーグは異臭を嗅ぐ。
脳裏をかすめたのは、あの一匹狼――。
判断は、本能に任せた。
ジーグは右手の茂みに隠れて息を潜める。
呼吸を限りなく小さくした。
(なんだ、あの生き物)
それは、奇妙なものだった。
見た目自体は、
明らかに、「捕食者」から「殺傷者」の方向に、その進化の矛先が向いている。
ギリースーツのような苔と葉っぱの外皮に、所々から除く骨のように磨かれた鱗。
顔つきは爬虫類に近く、強靭な後ろ足で大地を踏みしめていた。
前足はそれに比してしなびたように細く短いが、しなやかに動きそうである。故に、生え揃った爪の威力を想像すると、胃のあたりに震えがした。
それらの様子を観察して、ジーグは狩ろう、と一瞬思った。
奴を仕留めて首を持っていけばゴルドは認めてくれるに違いない。
けれど昨日、自分は大ウサギ一匹仕留められなかった。
(今の武器じゃ、歯が立たねえ)
冷静に、あくまでもそう分析。
(俺が臆病になったわけじゃねえんだ)
そのように、一つ言い訳してしまってから――いや、一体くらいならばと自己顕示が湧き上がった。
背中の空気ライフルに手を伸ばしかけたその時、
「ォオッ、ォァアッ!」
野太く、響く声でそいつが鳴いた。
すると周囲の茂みから二頭の同種族が現れる。
そいつらは互いに目配せすると、どこかへ去っていく。
ジーグは呼吸を、無意識に止めていた。
(怖がるな、くそっ……)
ジーグは己を叱咤した。きっと、あんな奴ら雑魚だ。
雑魚だから群れていたのだ。
ならばなぜこの手は震えている……?
息を再開したとき、のしかかってきたのは安堵だった。
それからジーグはしばらくそこで呼吸を整え、追跡を再開した。
ラプター系統の、何かしらの獣が去ってしばし。
ジーグは慎重に追跡をしていた。
そのとき、異音が響いた。
甲高い金属の悲鳴。打ち合わさっている――それは、戦闘音だ。
そして、今度は悲鳴――。
ジーグは追跡すべきか否かを考えるより以前に、身に迫るなにかを感じ、そちらへ進んだ。
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