始まりではない朝

凡人とは

低級魔物の討伐依頼。

 それが、フィン・アルダーが選んだ仕事だった。

 冒険者ギルドの掲示板に貼られた依頼書の中では、目立たない一枚だ。

 討伐対象は一体。生息域は街道から少し外れた林。

 報酬は最低限。危険度は低。ただのキングスライム討伐。

 ――簡単な経験値集め。

 誰もがそう思う内容だったし、フィン自身もそう判断した。

「……これでいいか」

 小さく呟いて、依頼書を剥がす。

 赤線は引かれていない。注意喚起もない。

 新人が最初に受ける仕事として、これ以上ないほど無難だ。

 周囲の冒険者たちは、誰も彼に声をかけなかった。

 逆に言えば、止める者もいない。

 それでいい。

 目立つ必要はない。競う必要もない。

 生きて帰れれば、それでいい。


---



林に入ると、空気が少し湿っていた。

 木々の間を縫うように獣道が伸びていて、足元は柔らかい土だ。

 魔物の痕跡はすぐに見つかった。

 荒らされた地面、引きずられた跡、微かな腐臭。

「……いるな」

 剣を握り直す。

 手汗で柄が滑るのを、意識して抑えた。

 ただのキングスライム、 言ってみればただのでっかいスライムだ。

 危険じゃない。

 そう、聞いている。

 草むらが揺れた。

 次の瞬間、影が飛び出した。

 思っていたより――速い。

「っ!」

反射的に剣を振る。

刃はかすったが、手応えは浅い。

魔物は毛皮に覆われた獣型だった。

低級、のはずだが、体格は想定より一回り大きい。

「……ヘルハウンドだって? 聞いてた話と違うぞ」

 後退する。

 だが、足がぬかるみに取られた。

 その隙を、魔物は逃さなかった。

 衝撃。

 視界が回転し、背中から地面に叩きつけられる。

「ぐっ……!」

 息が詰まる。

 立ち上がろうとした瞬間、鋭い痛みが腹を走った。

 遅れて、熱が来る。

 ――熱い。

 剣が手から落ちる音がした。

「……まずい」

 魔物はまだ動いている。

 なのに、体が言うことをきかない。

 視界の端で、血が広がっていくのが見えた。

 自分のものだと理解するのに、少し時間がかかった。

 低級魔物。

 簡単な仕事。

 経験値集め。

 全部、自分で選んだ。

「……これで、いいと……思ったんだけどな」

 笑おうとして、口元が引きつった。

 ヘルハウンドが、ゆっくりと近づいてくる。

 仕留めきれなかった失敗。

 逃げなかった判断。

 ああ、そうか。

 ――これが、“これでいい”の先か。

 意識が、薄れていく。

 世界の音が遠ざかる中で、

 ふと、声がした。

 はっきりとは聞こえない。

 だが、確かに。

「……やっと、0になりましたのね」

 女の声だった。

 冷たいようで、どこか退屈そうな声音。

「このままですと退屈ですので……

 ちょっとしたお助けを。最初で……最後ですよ?」

 意味は分からない。

 問い返す力も、もうない。

 ただ――

 その声が、

 この世界で初めて、自分だけを見ていた気がした。

 暗転。

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