第5話 メタモルフォーゼ

高校は、天国のように思えた。


僕を知る人間が、誰もいない。

名前も、過去も、貼られていたレッテルも、すべてがリセットされていた。


人間に擬態し続けてきた僕は、ここではうまく機能した。

世界から拒まれることは、もうない。

そう思えた。


順調だった。

何もかもが。


思春期らしい揺れはあったが、致命的な問題ではなかった。

少なくとも、外の世界では。


壊れたのは、家族の方だった。


母の癇癪は、次第に激しくなっていった。

暴力を振るわれることはなかった。

その代わり、僕の意見は徹底的に排除された。


母に従わなければ、僕は家庭という組織から排除される。

それが、この家のルールだった。


思春期の僕は、母に逆らうことが増えた。

比例するように、母の癇癪も増えていった。


家庭は常に緊張していた。

空気は張り詰め、いつ破裂してもおかしくなかった。


父は、何も言わなかった。

疑うことすらしなかった。


子は親に従うもの。

未成年なら、なおさらだ。


父は、僕を守らなかった。


僕を守ったのは、兄だった。


すでにメタモルフォーゼを終えていた兄は、静かに言った。


「無駄な抵抗をすると、こっちが殺られる」


兄はわかっていた。

その方法しか、生き残る道がないことを。


どれだけ裕福な環境を与えられても、

僕たちは親の所有物でしかなかった。


母は実に感情的だった。

メタモルフォーゼできなかった母は、自分の感情に飲み込まれていった。


「兄が、何を考えているのかわからない」


母は、そう言って僕に愚痴をこぼすことが増えた。


兄は母に、必要最低限のことしか話さなかった。

話す必要がなかったからだ。


衝突すれば、生き残れない。

兄はそれを、身をもって知っていた。


母と衝突の多かった僕は、

日々、生命の危機を感じていた。


家は、安息の場所ではなかった。

それは、生き残るための戦場だった。

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