第2話 メタモルフォーゼ
「なんで、僕だけ左利きなのかしら」
祖母は、僕の左利きを幼い頃から快く思っていなかった。
その言葉は問いかけの形をしていたが、答えを求めてはいなかった。
それは、拒絶だった。
日本の習字文化に合わせて、文字は無理矢理右に矯正された。
鉛筆を握る手は震え、線は歪み、紙の上に僕の不器用さだけが残った。
書いているのは文字ではなく、否定だった。
——お前は、そのままではだめだ。
そう言われている気がした。
箸の左利きも、祖母は許さなかった。
右利きが圧倒的に多い日本では、食事の席で肘が当たる。
見栄えが悪い。
ただ、それだけの理由だった。
些細なこと。
だが、祖母にとっては譲れない「秩序」だった。
親族の集まりで、僕だけが浮いていた。
誰も声に出しては言わない。
けれど、視線が僕を「異物」として扱っていた。
——これが、僕が初めて自分を“異物”だと認識した瞬間だった。
先にメタモルフォーゼしたのは、兄だった。
兄は、僕とはよく話した。
笑い、愚痴を言い、弱音も吐いた。
けれど、両親や親族の前では、ほとんど口を開かなくなった。
感情を削ぎ落とし、存在感を薄め、
世界に拒まれない形へと、自分を変えていった。
兄は変態していた。
世界に適応するために。
拒絶されないために。
それが、僕を守るためだったと知ったのは、
何十年も後のことだ。
転校先の小学校は、前よりも酷かった。
クラス数は多く、人の波は濁流のようで、
僕はその中で溺れ続けた。
前の小学校で必死に覚えたルールは、
ここでは何の意味も持たなかった。
新しいルール。
新しい空気。
新しい「普通」。
それに適応することは、僕にはほとんど不可能だった。
気づいた時には、
また「ダメな子」のレッテルが、
音もなく背中に貼り付けられていた。
それでも、僕は地獄から逃げられなかった。
両親の期待に応えなければならない。
「頑張ればできる」
「みんな我慢している」
不登校は、許されなかった。
教室という檻の中で、
僕は一度も深く息を吸えたことがない。
笑顔を作り、
叱責に耐え、
壊れないように、壊れていった。
卒業式の日だけが、
僕の生きる意味になった。
——終わる。
——ここを出られる。
それだけを支えに、
僕は地獄の時間を数えていた。
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