アストン

「……で、アス」


 少女は、急に思い出したように手を叩いた。


「着替えです! 着替え!」


「……だよな」


 アスは布団を首まで引き上げたまま、周囲を見回した。


 部屋は狭い。

 古い木造で、床板はきしみ、壁は煤けている。

 窓は小さく、薄い布が貼られているだけで、外の光が滲んで入ってくる。


 部屋の隅に木箱があり、少女がそこから布を取り出した。


 粗い麻布。生成り色。

 肌に当たれば痛そうな手触りだ。


「……これ、どこの服だよ」


「この小屋にありました!」


 少女は即答する。


「森に入る訓練のとき、昔から使われてる仮眠小屋があるって……聞いて。たぶん、その」


 言い方が曖昧だ。

 詳しいことを語りたくない種類の曖昧さ。


 アスはそれ以上を追わず、条件を口にする。


「着替えるけど」


「はい!」


「絶対こっち見るな」


「見ません!」


「絶対だからな」


「はい!!」


 返事が元気すぎて、アスは不安になる。


「……壁向け」


「壁です!」


 少女はきびすを返して壁の木目に向き直り、両手で目を覆った。


「目隠ししてます!」


「それ、隙間から見えるだろ」


「見てません!」


 アスは布団を巻き付けたまま、床に置かれた麻布の服に手を伸ばす。


 冷たい空気が肌に刺さり、鳥肌が立つ。


 そのとき。


「……あっ」


 少女が小さく声を出した。


「なに」


「いえ……」


 壁に向いたまま、なぜか弾んだ声になる。


「……アストンみたいです」


「やめろ」


 即答。


「やめろって」


「だって……毛布に潜ったアストン、ああいう動きします!」


「具体的に言うな!」


 麻布の服は、思ったより着にくかった。

 袖に腕を通し、紐を結ぶ。

 ズボンも同じ素材で、肌にざらつく。


 アスは布団を手放さないまま、なんとか形にした。


「……よし」


 布団の端を少しだけ下ろし、服が着られているか確認する。

 サイズは、合っている。

 中学生くらいの身体に、ぴったりだ。


 胸の奥が沈む。


「もう、いい」


「見ていいですか!?」


「見なくていい! 振り向け!」


「はい!」


 少女が勢いよく振り向く。

 桃色の髪がふわりと舞い、蝋燭の火が揺れた。


「……似合います!」


「そういうのいいから」


 少女は頷き、それから、思い出したように自分の衣服へ目を落とした。


 焼け焦げて破れた上着が、ベッド脇に掛けられている。

 布の端は黒く炭化し、縫い目がほどけていた。


 アスは視線を逸らしつつも、そこだけは見てしまう。


 ――素材が違う。


 麻布みたいに粗くない。

 糸が細く、織りが密だ。

 金糸の飾りがあったような跡も残っている。


 仕立ても、雑ではない。

 体に合わせた裁断の線が、焼け残りに見える。


 (……良いとこの服だ)


 (訓練? なのに、こんな……)


 アスは口に出さず、胸の奥だけで結論を転がした。


「……次、君の番」


 言った瞬間、少女の耳が赤くなる。


「み、見ないでください!」


「見ない!」


 アスは即座に壁へ向き直った。

 木目を無意味に凝視する。


 後ろで木箱が開く音。

 布が擦れる音。

 紐が揺れる音。


 その一つ一つが、やけに鮮明に聞こえる。


 アスは息を止め、口の中で唱える。


(落ち着け。俺はアストンじゃない)


(……いまは、状況整理)


 少女が小さく息を呑む。


「……服、これ……」


「どうした」


「……わたしのサイズ、合わないかも」


「は?」


 アスが振り返りそうになって、慌てて止める。


「見るな、俺! 見るな!」


 少女は焦った声で続けた。


「でも……あなたの身体、森で見たときより小さい気がします」


 アスの背筋が冷えた。


「……やっぱり?」


「はい……」


 アスは壁を見つめたまま、ゆっくり息を吐く。


 小さくなった。

 顔も違う。

 名前も曖昧。

 デーモンと魔法がある世界。


 そして、自分は――森を焼いた。

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