竜環(りゅうかん)のエイドス

「〇〇くんってさ」


 昼休み、向かいの席から声が飛んだ。


「はい」


「なんか、怒らないよね」


「……そうですか?」


「悪い意味じゃないよ。ただ、何考えてるかわかんないっていうか」


「……すみません」


「謝るとこじゃないって」


 そこで会話は終わった。

 いつも、そんな感じだ。



 夜。


 ベッドに腰を下ろし、スマートフォンを開く。


「……やっぱ、これだな」


 画面に映るのは、

 『竜環りゅうかんのエイドス』。


 ――古代文明と竜の力が交錯する世界で、

 伝説の竜の血を引く少年キョーヤが、

 仲間とともに世界の崩壊に立ち向かう物語。

 選ばれし存在でありながら、

 彼はいつも最前線に立ち、誰かを守ることを選び続ける。


 〇〇は、ページをめくる手を止める。


「……言い切れるの、いいよな」


 キョーヤは、迷わない。


「この星が闇に沈むなら、

 俺が夜明けになるまでだ」


 そんな台詞を、

 作中で当然のように吐く。


 独り言は、返ってこない。



 SNSを眺めていると、

 流れてきた投稿に指が止まった。


【なりきりチャット募集】

【キャラになりきって会話するだけ】

【被りなし/早い者勝ち】


「……なりきり?」


 タップして、説明を読む。


 キャラクターの口調や価値観を借りて会話する遊び。

 現実の立場や年齢は関係ない。


「……価値観、か」


 画面をスクロールする。


【キャラの判断基準を大切にしてください】

【中の人の感情は持ち込まない】


 〇〇は、しばらく画面を見つめた。


「……それなら」


 キョーヤの基準は、はっきりしている。


 迷ったら、前に出る。

 誰かが泣いていたら、守る。

 自分が燃え尽きても、光になれ。



 アカウント作成画面。


「名前……」


 キーボードを開き、

 一文字ずつ入力する。


【キョーヤ】


 送信。


 少しして、通知が鳴った。


【キョーヤ!?】

【マジで?】


 〇〇は、指を止めずに打つ。


〈星が瞬く限り、俺はここにいる〉


 すぐに返事が来た。


【その言い回し】

【キョーヤすぎる】


〈泣くな。涙は宇宙に流せ〉

〈この戦場は、俺が引き受ける〉


【それそれ】

【完全に本人】


 〇〇は、画面を見たまま動かなくなった。


 次に何を言えばいいか、

 考える必要がない。


 キョーヤなら、こう言う。


〈仲間がいる限り、俺は孤独じゃない〉

〈銀河が砕けても、背中は守る〉


【助かる】

【キョーヤがいると安心する】


「……そっか」


 声が、漏れた。



 数日後。


【別作品キャラで参加いい?】

【今日はこの設定で行きます】


〈歓迎する〉

〈この星系に来たなら、守る〉


 人が増え、

 会話が流れる。


 なりきりチャットは、

 やがてキャラでしか話さない小さなコミュニティになった。


 誰も、本名を呼ばない。


【キョーヤ、判断頼む】

【この状況どう見る?】


〈闇が深いほど、光は必要だ〉

〈俺が前に出る〉


【ありがとう】

【助かった】


 〇〇は、スマートフォンを握ったまま、

 ゆっくり息を吐いた。


 現実では、

 自分の判断を求められることはない。


 だが、ここでは違う。


「……ここなら」


 声に出した瞬間、

 少し遅れて、自分でも驚いた。



 帰り道。


「〇〇くん、最近なんか元気じゃない?」


「そうですか?」


「いや、なんていうか……雰囲気」


「……そうかもしれません」


 それ以上、聞かれない。


 電車に乗り、

 スマートフォンが震える。


【キョーヤ、来てる?】

【誰かが泣いてる】


 〇〇は、迷わず打つ。


〈なら、俺が星になる〉

〈泣いてる限り、俺は消えない〉


 送信。


 その直後、

 胸の奥が、わずかにざわついた。


 だが、〇〇は気にしなかった。


 キョーヤなら、

 気にしない。


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