未知との遭遇
少女は、立ち尽くしていた。
赤黒い影が、自分を殺害しようとしている。
その事実は、もはや疑う余地のないものだった。
森の奥、倒木の影から姿を現したそれは、歩くたびに地面を軋ませる。
皮膚は焼け焦げた鉄のように黒く、赤い筋が脈打つように走っている。
頭部には角。口は縦に裂け、歯が不揃いに並んでいた。
デーモン。
高位個体。
この訓練区域に現れるはずの存在ではない。
少女は短剣を落としかけ、すぐに左手を突き出した。
「――アーヴィ!」
唱えた瞬間、手のひらほどの氷塊が形成され、空気を裂いて飛ぶ。
鋭く尖ったそれは、デーモンの胸部に突き刺さった。
乾いた音。
砕ける氷。
デーモンは、止まらない。
「……っ」
少女は歯を食いしばり、続けて詠唱する。
「アーヴィ!」
「アーヴィ!」
「アーヴィ!」
氷塊が次々と生成され、突き刺さる。
肩。腹部。首の付け根。
十発近くを撃ち込む頃には、
デーモンの上半身は氷に覆われ、皮膚は裂け、黒い体液が流れ落ちていた。
それでも、動きは変わらない。
氷を引き剥がすように、腕が動く。
足が前に出る。
効いていない。
少女の呼吸が乱れる。
足が、後ろに下がる。
逃走距離。
詠唱速度。
残存魔力量。
どれも、足りない。
デーモンが、一歩、距離を詰めた。
影が覆いかぶさる。
熱を帯びた吐息が、頬にかかる。
――ここまで。
少女の視界に、過去の訓練風景が断片的に浮かぶ。
剣を振る。
詠唱を繰り返す。
「備えよ」という言葉。
どれも、今には繋がらない。
死、という概念が、具体的な形を持った。
そのときだった。
光が、森の空間を裂いた。
白い閃光。
空気が押し広げられ、音が遅れてくる。
少女は反射的に目を細める。
光の中心に、人影が立っていた。
男。
装備らしいものはない。
訓練兵にも見えない。
男は、片手を前に突き出していた。
指を折り、銃の形を作っている。
意味のわからない言葉を、男は口にした。
「――ガイア爆発!!」
次の瞬間、世界が壊れた。
爆音。
衝撃。
熱。
半径一キロメートルの空気が、一斉に燃え上がる。
森が光に飲み込まれ、木々が影になる前に消失した。
地面がめくれ上がり、衝撃波が少女の身体を叩きつける。
視界が白に染まり、耳鳴りだけが残った。
やがて、光が引く。
そこにあったのは――
デーモンの足だけだった。
膝から上は、存在していない。
胴体があった場所には、赤黒い肉片と、焼けた骨の断面が散らばっている。
周囲の地面には、蒸発しきれなかった体液が焦げ跡となって残っていた。
本体は、消し飛んでいた。
少女は、息をするのを忘れていた。
数拍遅れて、呼吸が戻る。
男の方を見る。
彼は、その場に立ったまま動かない。
腕は下がり、視線は宙を彷徨っている。
生きている。
だが、こちらを見ていない。
――意識が、ない。
少女は理解した。
この男は、
自分が何をしたかを、認識していない。
風が吹き、焼けた森の匂いが流れていく。
静寂が、遅れて戻ってきた。
少女は一歩、男に近づいた。
恐怖は、まだ身体の奥に残っている。
だがそれ以上に、
この現象を、目に焼き付けなければならないと判断した。
――これは、記録すべき事象だ。
少女は、そう結論づけた。
この男が、
何者なのかを、まだ何一つ知らないまま。
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