推しキャラになりきってたら、異世界転生してしまった件について
@GAYA_
役割のない漂流者
最初に目に入ったのは、赤黒い影だった。
それは霧の向こうで、ゆっくりと輪郭を結び、やがて形を持つ。
人の背丈をはるかに超える体躯。
節くれだった腕。
皮膚は岩のように硬く、ところどころが煤けたように黒ずんでいる。
頭部には、歪に湾曲した角が二本。
口は裂け、覗く歯は不揃いで、噛み合っていない。
息を吐くたび、熱を帯びた白い靄が漏れ出していた。
――デーモン。
その言葉だけが、説明もなく頭に浮かぶ。
男は、地面に立ち尽くしていた。
足元は、踏み固められた土。
周囲には、折れた枝と、えぐれた地面。
森の奥から吹き抜ける風が、焦げた匂いを運んでくる。
自分が、なぜここにいるのか。
どうやって立っているのか。
それは、わからない。
だが――
目の前の存在が危険であることだけは、はっきりしていた。
デーモンが一歩、前に出る。
地面が沈み、低い振動が足裏を打つ。
男の呼吸が、わずかに乱れる。
喉が鳴り、視界の端が暗く滲む。
身体が、言うことをきかない。
恐怖という言葉を使う前に、
膝が、わずかに震えた。
そのとき――
背後で、かすかな音がした。
布が擦れる音。
小さく、息を吸い込む音。
振り向くと、少女がいた。
年若い。
実戦用と思われる軽装だが、動きに迷いがある。
手にした短剣は、構えきれていない。
頬に、涙が伝っていた。
デーモンの視線が、ゆっくりと少女へ向く。
男と少女の間にあった距離が、
意味を失うほど短く感じられた。
次の瞬間、
男の身体が、前に出ていた。
理由は、ない。
計算も、判断もない。
ただ――
少女の前に、立っていた。
デーモンが低く唸る。
爪が地面を引き裂き、火花が散った。
男の視界が、揺れる。
鼓動が、やけに遠くで鳴っている。
音が、薄くなる。
それでも、身体は退かない。
頭の奥で、
どこかで聞いたことのある言葉が、浮かび上がった。
――女の子は、泣かせちゃいけない。
それは、信念と呼ぶには軽く、
理由と呼ぶには曖昧なものだった。
だが、その瞬間、
それ以外の選択肢は、どこにもなかった。
視界が、暗転する。
世界が、一歩、引いた。
代わりに――
何かが、前に出る。
男の意識は、そこで途切れた。
*
次に意識が戻ったとき、
森は静まり返っていた。
倒れた巨体。
地面に刻まれた、深い痕。
焦げた匂いだけが、遅れて残っている。
少女が、少し離れた場所で立ち尽くしている。
涙は止まり、ただ、こちらを見ていた。
男は、自分の足元を見る。
そこに至るまでの時間が、
ごっそりと、抜け落ちている。
――何が、起きた?
答えは、どこにもなかった。
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