第3話 饅頭精霊マリス


「ゆっくりしていってね!」



 饅頭顔の何かが、場違いに明るい声でそう言った。


 俺の周りには数十体のグール。

 腐臭と呻き声。迫り来る死。



 なのに、この饅頭は何を言っているんだ。



「ゆっくりしてる場合じゃねぇだろ!!」


「おっと、そうだったな。じゃあ手短に解説するぜ」



 饅頭が俺の周りをふよふよと漂う。


 グールたちは、なぜか饅頭には興味を示さない。

 というか、見えていないのか?



「まず自己紹介だ。私の名前はマリス。勝利を司る精霊さ」


「精霊……?」


「お前がさっき私の祠を綺麗にしてくれただろ? あれで封印が解けたんだぜ」



 さっきの石碑か。

 汚れを拭っただけで封印が解けるって、どんな封印だよ。



「で、助けてもらった礼に、お前に勝利をプレゼントしてやろうと思ってな」


「勝利って……こんな状況でどうやって──」


「だから言っただろ? そのナイフは正しく使えばぶっ壊れ性能なんだぜ」



 マリスが俺の右手を見る。

 臆病者チキンのナイフが、ぼんやりと光っている。



「攻撃力ゼロなんだぞ!? どうやって戦えってんだ!」


「いい質問だなラン!」



 また言った。さっきから「いい質問だな」しか言ってない気がする。



「じゃあ解説していくぜ。まず、臆病者チキンのナイフの基本性能だ」



 マリスの周りに、光の文字が浮かび上がる。



臆病者チキンのナイフ』

『攻撃力:0(+???)』

『すばやさ:+5』

『特殊効果:???』


「見ての通り、表示上の攻撃力はゼロだ。だが、隠しパラメータがある」


「隠しパラメータ?」


「そう。このナイフには『逃走カウンター』という隠しステータスがあるんだぜ」


『逃走カウンター:256』



 光の文字に、数字が表示される。


 二百五十六?



「この数字は、お前がこれまでの人生で『逃げた』回数だ」


「は……?」


「戦闘から逃げた回数、嫌なことから逃げた回数、決断から逃げた回数──全部カウントされてる」



 マリスがにやりと笑う。



「そして、臆病者チキンのナイフの真の効果はこうだ」


『特殊効果:逃走カウンター÷2の攻撃力を加算(最大127)』


「……は?」


「つまり、お前のナイフの本当の攻撃力は──」



『攻撃力:0+128=128』



「百二十八だぜ。ちなみにこれ、カウンターが二百五十四を超えてるから実質カンストだな」



 頭が真っ白になった。


 百二十八?

 攻撃力が百二十八?



「……嘘だろ」


「嘘じゃないぜ。参考までに言っとくと、聖剣エクスカリバーの攻撃力が百十、世界最強と言われる魔剣ラグナロクですら百四十だ」



 エクスカリバーが百十。

 ラグナロクが百四十。

 そして俺のナイフが百二十八。



「ラグナロクよりちょっと低いぐらいの強さって……」


「ところがどっこい、ここからがこのナイフの真骨頂なんだぜ」



 マリスが得意げに言う。



「ダメージ計算式の話をしようか」


「ダメージ計算式……?」


「この世界の物理ダメージは、だいたいこんな感じで計算される」



 また光の文字が浮かぶ。



『物理ダメージ =(武器攻撃力)×(倍率)』

『倍率 =(レベル × ちから ÷ 128)+ 2』



「攻撃力に倍率を掛けたものがダメージになる。で、倍率は『ちから』のステータスが関係してるんだ」


「うん……」



 いや、こんなやりとりをしてる場合じゃない……。

 だが、どうもこいつとの会話は脳に直接超高速で叩き込まれるらしく、周囲の時間はほとんど動いていないみたいだ。



「ところが、チキンナイフだけは計算式が違う」



『チキンナイフの倍率』

『=(レベル × ちから ÷ 128)+(レベル × すばやさ ÷ 128)+ 2』



「『ちから』だけじゃなくて、『すばやさ』も倍率に加算されるんだぜ」


「すばやさが……?」


「そう。普通の武器は『ちから』だけで倍率が決まるけど、このナイフは『ちから』と『すばやさ』の両方が倍率に乗るんだ」



 マリスがふよふよと俺の肩に乗る。



「お前の今のステータスを確認するぜ。レベルは……十五か。ちからは二十六、すばやさは本来三十三だけど、今は装備のせいで十二まで落ちてる」


「……はい」


「じゃあ計算してみようか。まず普通の剣──例えばラグナロクを装備した場合のダメージだ」



『ラグナロク(攻撃力140)の場合』

『倍率 =(15 × 26 ÷ 128)+ 2 ≒ 5.0』

『ダメージ = 140 × 5.0 = 700』



「ラグナロクでダメージ七百か。まぁ強いな」


「す、すげぇ……」


「で、今のお前がチキンナイフを使った場合」


『チキンナイフ(攻撃力128)の場合【現状】』

『倍率 =(15 × 26 ÷ 128)+(15 × 12 ÷ 128)+ 2 ≒ 6.4』

『ダメージ = 128 × 6.4 ≒ 820』


「今の鈍亀状態でも、ラグナロクを超えてるんだぜ」


「え……マジで?」


「マジだぜ。しかも、これはお前がブロンズアーマーとシールドですばやさを殺してる状態での計算だ」



 マリスがにやりと笑う。



「もし重鎧を脱いで、すばやさを本来の三十三に戻したらどうなると思う?」



『チキンナイフ(攻撃力128)の場合【装備最適化後】』

『倍率 =(15 × 26 ÷ 128)+(15 × 33 ÷ 128)+ 2 ≒ 8.9』

『ダメージ = 128 × 8.9 ≒ 1140』



「千百四十。ラグナロクの約一・六倍だ」


「せ、千超え……?」


「しかもこれ、まだレベル十五での計算だからな。レベルが上がれば上がるほど、すばやさが効いてきて差は開いていく」



 頭がくらくらする。


 今まで常識だと思っていたことが、全部ひっくり返されていく。



「でも待ってくれ。すばやさを上げても意味ないって──」


「回避率の話だろ? それ、嘘だぜ」



 マリスがあっさり言った。



「は?」


「王立学院の実験、あれ間違ってるんだよ。というか、この世界のシステムにバグがあるんだ」


「バグ……?」


「本来、回避力は『すばやさ×物理回避率』で計算されるはずなんだが、物理回避率の計算式が壊れてるんだぜ」



 マリスの周りに、また光の文字が浮かぶ。



『回避率の計算式(本来)』

『すばやさ × 物理回避率 = 回避率』


『回避率の計算式(実際)』

『すばやさ × 魔法回避率 = 回避率』



「物理回避率じゃなくて、魔法回避率が参照されてるんだ。だから普通のシールドをいくら装備しても回避率は上がらない」


「魔法回避率……」


「王立学院の実験では、被験者に普通のシールドを持たせて回避率を計測したんだろう。そりゃ差が出ないわけだぜ」



 逆に言えば、魔法回避率が高い装備をつければ──



「そう、すばやさが高いお前は異常な回避率を叩き出せる」


「マリス、俺の心読んでる?」


「顔に書いてあるんだぜ」



 饅頭顔でドヤ顔をされると、妙に腹が立つ。



「まぁ、魔法回避率が高い装備は今は持ってないだろうから、とりあえずブロンズアーマーとシールドを外すだけでいい。すばやさを本来の値に戻せ」


「わ、分かった」



 俺はスフィアを操作し、ブロンズアーマーを解除した。


 ガシャン、と重い音がして、エーテル体の鎧が消える。


 体が、嘘みたいに軽くなった。



「シールドも外せ。ブレイスも邪魔だから外していいぜ」


「で、でも防御が──」


「お前に必要なのは防御じゃない。火力と機動力だ。さっさと外せ」



 言われるままに、ブロンズシールド二つとブロンズブレイスも解除した。


 さらに体が軽くなる。



 今の俺の装備は、臆病者チキンのナイフだけ。

 防御力は限りなくゼロに近い。


 だが──



「すばやさ、確認してみろ」



 ステータスを確認する。



『すばやさ:33』



「三十三だ」


「よし。普通の冒険者のすばやさがだいたい二十五から三十くらいだから、お前はちょい速い程度だな。まぁ、それでも十分だ」



 普通より少し速い程度。

 だが、さっきまでの十二と比べれば、三倍近い。



「よし、じゃあ実践といこうか」



 マリスが俺の後ろに回る。


 グールが、ついに俺に飛びかかってきた。



「避けろ!」



 マリスの声。


 体が、勝手に動いた。


 グールの爪が、俺の頬をかすめる。

 紙一重。だが、当たっていない。



「すげぇ……」


「お前のすばやさなら、グール程度の攻撃は見てから避けられる。自信を持て」



 二体目のグールが襲いかかる。

 今度は意識して避けた。


 体が軽い。信じられないくらい軽い。



 ブロンズアーマーを着ていた時とは、まるで別人だ。



「よし、次は攻撃だ。一体斬ってみろ」


「お、おう……!」



 俺はナイフを構え、目の前のグールに斬りかかった。


 ナイフがグールの首に触れる。



 瞬間──


 グールの上半身が、消し飛んだ。



「……え?」



 斬った、というより、触れた瞬間に蒸発した。

 そんな感覚だった。



「はは、やっぱりすげぇな。ダメージ千超えは伊達じゃないぜ」



 マリスが楽しそうに笑う。


 俺は、自分の手を見た。



 震えている。

 だが、恐怖ではない。


 興奮だ。



「俺、強い……?」


「ああ、強いぜ。攻撃力だけなら、今のお前はラグナロク持ちより上だ」



 ラグナロクより上。


 さっきまで最弱だった俺が。

 外れジョブの臆病者が。



「さぁ、残りも片付けようぜ。全部で三十体くらいか? お前なら二分もかからないだろ」



 グールたちが、一斉に俺に向かってくる。


 だが、もう怖くない。


 俺は地面を蹴り、グールの群れに突っ込んだ。



 ***



 二分後。


 本殿には、グールの残骸が散らばっていた。



 いや、残骸というより、塵だ。

 俺のナイフに触れたグールは、例外なく消滅していた。



「お疲れさん。なかなか筋がいいじゃないか」



 マリスが俺の肩に乗る。

 ふわふわした感触。饅頭というより、マシュマロに近い。



「……本当に、俺がやったのか?」


「お前以外に誰がいるんだよ」



 信じられなかった。


 三十体のグールを、俺一人で全滅させた。

 傷一つ負わずに。



「なぁ、マリス」


「なんだ?」


「お前、何者なんだ?」



 マリスが、少し考える素振りを見せる。



「さっきも言ったろ? 勝利を司る精霊だ」


「それは聞いた。でも、なんでこんなことを知ってるんだ? ナイフの隠し効果とか、回避率のバグとか」


「ああ、それか」



 マリスがふよふよと宙を漂う。



「私はな、この世界の『裏側』が見えるのさ」


「裏側?」


「この世界には、表向きのルールと、裏のルールがある。表向きのルールは、お前たちが知ってる常識だ。すばやさは死にステータス、とかな」



 マリスの目が、一瞬だけ真剣になる。



「でも、裏のルールは違う。バグとか、隠し効果とか、誰も知らない仕様がいっぱいあるんだぜ」


「それを、お前は全部知ってるのか?」


「全部じゃないけどな。かなり知ってる」



 マリスがにやりと笑う。



「そして今日から、私はお前の専属解説者だ。困ったことがあったら何でも聞け。だいたいのことは教えてやるぜ」


「専属解説者……」


「礼はいらないぜ。お前が私の封印を解いてくれたからな。これはそのお返しだ」



 封印を解いた礼。

 石碑の汚れを拭っただけで、こんな存在が味方になるとは。



「……ありがとう、マリス」


「おう。これからよろしくな、ラン」



 マリスが、にっこり笑う。


 饅頭みたいな顔で、にっこり笑う。


 なんだか、無性に蹴り飛ばしたくなる顔だった。



 ***



 神社を出ると、外はすっかり暗くなっていた。


 ドルクたちの姿はない。

 本当に俺を置いて逃げたらしい。



「さて、どうする? 街に戻るか?」


「……ああ」



 俺は、アスクルの方角を見た。


 あの街には、俺を馬鹿にした奴らがいる。

 俺を捨てた元婚約者がいる。

 俺を見下してきた冒険者たちがいる。



 でも、もう怖くない。


 俺は強い。


 逃げ続けてきた人生が、最強の武器になった。



「なぁ、マリス」


「なんだ?」


「俺、冒険者として成り上がりたい」


「いいじゃないか。具体的には?」


「まずは、Fランクから抜け出す。で、どんどんランクを上げて──」



 俺は、拳を握りしめた。



「いつか、Sランクになる」


「Sランクか。なかなか大きく出たな」


「無理か?」


「いや、お前のポテンシャルなら可能だと思うぜ。ただ──」



 マリスが、少し真面目な顔になる。



「火力だけじゃ冒険者は務まらない。装備も、知識も、仲間も必要だ」


「分かってる」


「本当に分かってるか? お前、さっきまでブロンズアーマー着て自分の長所殺してたじゃないか」


「うっ……」



 痛いところを突かれた。



「まぁ、私がついてるから大丈夫だ。お前に最適な装備も、戦い方も、全部教えてやるぜ」



 マリスが、俺の肩にちょこんと乗る。



「あ、そうだ。さっき戦った時に気づいたんだが、お前足装備付けてないな?」


「グリーブとかブーツのことか? すばやさが死にステだから、誰も使ってなくて……」


「だからそれ間違いだって言っただろ。お前の場合、足装備でさらにすばやさを上げた方が火力も回避も伸びる」


「なるほど……」


「あと、魔法回避率のある装備を探さないとな。お前のすばやさなら、ちょっとでも魔法回避率があれば、敵の攻撃がほとんど当たらなくなる」



 マリスがふよふよと宙を漂う。



「まぁ、それは街に戻ってからだ。今は帰ることを優先しようぜ」


「……ああ」



 俺は歩き出した。


 ブロンズアーマーのない体は、羽が生えたように軽い。



 逃げ続けてきた人生が、今日から変わる。


 臆病者チキンのナイフを手に、俺は新しい一歩を踏み出した。

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2025年12月30日 12:05
2025年12月30日 16:05
2025年12月31日 12:05

臆病者(チキン)のナイフ ~逃げるほど強くなる外れジョブで最強を目指します~ ジュテーム小村 @jetaime-komura

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