第2話 ハクレイの廃神社

 ハクレイの廃神社は、アスクルから馬車で半日ほどの場所にあった。



 森の奥深くに佇む古びた神社。

 かつては何かの神を祀っていたらしいが、今は打ち捨てられ、モンスターの巣窟と化している。



「いいか、お前は絶対に戦闘に参加するな」



 リーダーの男──名前はドルクというらしい──が、俺に釘を刺す。



「荷物を持って、俺たちの後ろをついてくるだけでいい。余計なことはするな」


「わかりました」


「返事だけは一人前だな、臆病者」



 周囲のメンバーがクスクス笑う。


 パーティは五人構成だった。



 リーダーのドルクは【戦士】。アイアンソードとアイアンアーマーを装備した、典型的な前衛型だ。


 サブリーダーの女性、カレンは【魔術師】。アイアンローブを体装備にして、その他枠には「攻撃魔術Lv.2」と「ルビーの耳飾り」を装備している。


 前衛のゴツい男、バルドは【重騎士】。アイアンアーマーの上から、その他枠三つ全てにアイアンシールドを装備した、防御特化の構成だ。


 後衛の軽装の男、シドは【狩人】。アイアンクロスにアイアンブレイスを二つ。弓使いらしく、攻撃力重視の装備だった。



 そして、荷物持ちの俺。



 Cランクパーティとしては標準的な構成だろう。

 俺がいなくても問題なく機能するチームだ。



「じゃ、入るぞ」



 ドルクを先頭に、神社の鳥居をくぐる。



 中に入ると、空気が変わった。

 ひんやりとした冷気と、かすかな腐臭。


 ダンジョンの空気だ。



「足元に気をつけろ。床が腐ってるところがある」



 ドルクの指示に従い、慎重に進む。


 俺の背中には、大きなリュックが括り付けられている。

 中身は回復薬、携帯食料、松明、ロープなど。

 パーティ全員分の消耗品を一人で背負っているのだ。



 重い。



 普通なら、この重さで素早く動けなくなる。

 でも俺の場合、もともとブロンズアーマーとブロンズシールドで動きが鈍いから、今更だ。



「モンスターだ!」



 シドの声が響く。


 前方から、腐った肉体を引きずったアンデッド──グールが三体現れた。



「任せろ!」



 バルドが前に出て、三枚重ねのアイアンシールドでグールの爪を受け止める。

 その隙にドルクがアイアンソードを振るい、一体を両断。


 カレンが詠唱を終え、火球がグールに直撃。

 残りの二体も、あっという間に灰になった。



「ふん、雑魚だな」



 ドルクが剣の血を払う。


 さすがCランクパーティ。連携が見事だ。

 俺は足手まといにならないよう、後方で息を潜めていた。



 ***



 神社の奥へ進むにつれ、モンスターの数が増えていく。


 グール、スケルトン、ゴースト──


 アンデッド系のモンスターが次々と襲いかかってくるが、パーティは危なげなく撃破していく。



 俺はひたすら荷物を背負い、後ろをついていくだけだ。



「おい、臆病者。回復薬」


「はい」


「松明が切れそうだ。新しいの」


「はい」


「水」


「はい」



 言われるがままに、荷物から取り出して渡す。

 それが俺の仕事だ。


 悔しくないと言えば嘘になる。



 でも、これが俺にできる精一杯なのだ。

 攻撃力ゼロでは、戦闘に参加しても足手まといになるだけ。


 分かっている。分かっているけど──



「なぁ、こいつ本当に【臆病者】ってジョブなのか?」



 休憩中、シドがドルクに話しかける。



「ああ。ギルドで確認した」


「聞いたことねぇよな。どんなジョブなんだ?」


「さぁな。本人に聞けよ」



 シドが俺の方を見る。



「おい、臆病者。お前のジョブって、どんな能力があんの?」


「……特にありません」


「は?」


「固定装備で臆病者チキンのナイフってのがあるんですけど、攻撃力がゼロで。すばやさが五上がるくらいしか……」


「すばやさが五?」



 シドが鼻で笑う。



「死にステータスじゃねぇか。全然意味ねぇよ」


「……はい」


「つーか、お前全然素早くねぇよな。むしろ鈍重だろ」


「ブロンズアーマーを着てるので……」


「なんで重鎧なんか着てんの? すばやさ上げる装備なんだろ?」


「……攻撃力がないから、せめて防御を固めようと思って」


「は? 意味わかんね」



 シドが首を傾げる。



「お前がいくら防御固めても、守れるもんなんて何もねぇだろ。お前自身が戦えねぇんだから」


「……」


「それに、ブロンズアーマーにブロンズシールド二つって、どんだけ動けねぇんだよ。すばやさ、マイナスいくつだ?」


「……たぶん、二十以上は下がってます」


「はぁ? お前の素のすばやさっていくつだよ」


「二十八くらいです。ナイフで五上がって三十三になるはずですけど、今の装備だと十ちょっとまで落ちてます」


「すばやさ十ちょっと? そりゃ鈍亀だな。まぁ、すばやさなんか上げても意味ねぇけどよ」



 シドがケラケラ笑う。



「王立学院の実験でも、回避率に関係ないって結論出てるしな。足装備とかブーツとか付けてる馬鹿、見たことねぇわ」



 返す言葉がない。


 その通りだからだ。



 すばやさは死にステータス。

 それを上げたところで、移動が速くなるわけでも、攻撃回数が増えるわけでも、回避率が上がるわけでもない。



 せいぜい先手を取れる程度。だが先手を取ったところで、攻撃力がゼロなら意味がない。



「まぁいいや。荷物持ちとしては使えるし」



 シドは興味を失ったように、別の話題に移った。


 俺は黙って、水を飲む。



 ブロンズアーマーが肩に食い込んで痛い。

 でも、脱ぐわけにはいかない。


 成人の儀の直後、俺は調子に乗ってスライムに挑んで死にかけた。

 あの時の恐怖が、今でも体に染みついている。



 せめて防御を固めれば、死ぬことだけは避けられる。

 そう思ってブロンズアーマーとブロンズシールドを装備し続けているのだ。


 たとえ、それで唯一の長所を殺していたとしても。



 ***



 さらに奥へ進むと、開けた空間に出た。


 かつては本殿だったのだろう。

 朽ち果てた柱と、崩れかけた屋根。

 中央には、苔むした祭壇がある。



「ここが最深部か」



 ドルクが周囲を見回す。



「宝箱とか、なんかねぇのか?」


「あそこに何かあるぜ」



 シドが指さした先に、古びた宝箱があった。


 カレンが魔法で罠を確認し、問題ないことを確かめてから、ドルクが箱を開ける。



「おお、結構入ってるな。金貨が……二十枚くらいか。あと、魔石がいくつか」


「まぁまぁの収穫だな」



 パーティメンバーが喜んでいる。


 俺には関係ない。荷物持ちに分け前はないからだ。


 皆が宝箱を漁っている間、俺はなんとなく祭壇の方に目をやった。



 崩れた祭壇。

 苔と蔦に覆われて、原型をとどめていない。



 でも、よく見ると──



「……石碑?」



 祭壇の奥に、小さな石碑があった。


 表面が汚れで覆われていて、文字が読めない。

 なんとなく気になって、近づいてみる。



「おい、臆病者! 何やってんだ!」



 ドルクの怒鳴り声が飛んでくる。



「余計なことするなって言っただろ! さっさと戻ってこい!」


「す、すみません」



 慌てて戻ろうとして──ふと、足が止まる。


 石碑の汚れが気になった。


 別に、大した理由はない。

 ただ、なんとなく。



 汚れを落としてやりたいと思った。



「……ちょっとだけ」



 俺は手を伸ばし、石碑の表面を袖で拭う。


 苔と泥が落ち、下から文字が現れた。



『勝利を祈る妖精 マリス』



 変わった名前だ。

 妖精を祀っていた神社なのだろうか。



「おい! 何してんだ!」



 ドルクが近づいてくる。



「すみません、ちょっと気になって──」


「んなことやってる暇があったら、荷物の整理でもしてろ!」



 そう言って、ドルクは石碑を蹴り飛ばした。


 ガラガラと音を立てて、石碑が崩れる。



「あ──」



 思わず声が出た。


 せっかく綺麗にしたのに。



「何だその目は。文句あんのか?」


「い、いえ……」


「だったら黙ってついてこい。帰るぞ」



 ドルクがパーティに合図を送る。


 帰還の準備が始まった。


 俺は崩れた石碑を一瞥し、後をついていこうとして──



 その時だった。



「──ッ!?」



 地面が揺れた。



 いや、違う。

 何かが、下から這い上がってくる。



「な、なんだ!?」


「モンスターか!?」



 床のあちこちから、腐った手が突き出てくる。

 グールだ。しかも、数が多い。


 十体、二十体、三十体──



「くそっ、囲まれてる!」



 ドルクがアイアンソードを構える。


 今までとは比べものにならない数のグールが、俺たちを取り囲んでいた。



「撤退だ! 入口に戻るぞ!」



 パーティが動き出す。


 だが、入口への道はすでにグールで塞がれていた。



「カレン、道を開けろ!」


「分かってる!」



 カレンが火球を放つ。グールが数体吹き飛ぶが、すぐに別のグールが穴を埋める。



「キリがねぇ……!」



 バルドがアイアンシールドでグールを押し返しながら叫ぶ。


 俺は──俺は、何もできずに立ち尽くしていた。


 戦えない。

 逃げることもできない。

 ブロンズアーマーが重すぎて、足が動かない。



「おい、臆病者! 邪魔だ、どけ!」



 シドに突き飛ばされ、俺は地面に転がる。


 リュックが背中に食い込んで痛い。

 起き上がろうとするが、ブロンズアーマーのせいで体が言うことを聞かない。



「くそっ、このままじゃ全滅する……!」



 ドルクの悲痛な声が聞こえる。



「仕方ねぇ……おい、臆病者!」


「は、はい!?」


「お前、囮になれ」


「え……?」


「お前が奴らを引きつけてる間に、俺たちは逃げる。いいな?」



 囮。


 つまり、俺を置いて逃げるということだ。



「ま、待ってください! 俺も──」


「お前がいたら足手まといなんだよ!」



 ドルクが怒鳴る。



「いいか、俺たちが逃げ切ったら、ギルドに報告して救援を呼んでやる。それまで持ちこたえろ」



 嘘だ。


 そんなことをするはずがない。

 俺を見捨てて逃げる気だ。



「じゃあな、臆病者。せいぜい足掻けよ」



 そう言い残して、ドルクたちは走り出した。


 グールの一部が彼らを追うが、大半は──


 俺の方に向かってくる。



「……嘘だろ」



 腐臭が鼻を突く。

 うめき声が耳を塞ぐ。

 無数の手が、俺に向かって伸びてくる。



 逃げなきゃ。

 逃げなきゃ死ぬ。


 でも、体が動かない。



 ブロンズアーマーが重すぎて。

 恐怖で足が竦んで。


 これが、俺の最期か。



 逃げ続けてきた人生の、情けない終わり方。


 セラに振られて、仲間に見捨てられて、モンスターに食われて死ぬ。



 笑えない。全然笑えない。


 グールの爪が、俺の顔に迫る。



 死ぬ。


 確実に死ぬ。



 嫌だ。


 死にたくない。



 俺はまだ、何も成し遂げていない。

 何も変えられていない。

 こんなところで終わりたくない──!



「畜生! 死にたくない! 一体どうすればいいんだ!!」



 絶叫した。


 その瞬間──



「いい質問だなラン!」



 唐突に、声が響いた。


 明るくて、軽くて、どこか人を小馬鹿にしたような声。



 目を開ける。


 そこには──



 饅頭があった。



 いや、正確には、饅頭のような顔をした何かが、宙に浮いていた。


 黒の三角帽子に三つ編みの金髪。

 魔法使いのような格好だが、首から下がない。

 顔だけが、ゴムボールくらいのサイズで、シュールに空中を漂っている。



 ふっくらもちもちと膨らんだ頬。

 小馬鹿にしたような不敵な笑み。


 絶妙に、人を苛立たせる顔だ。



「……は?」


「実はそのナイフ、正しく使えばこの世界でダントツにぶっ壊れ性能なんだぜ!」



 饅頭が、嬉しそうに言う。


 グールたちが、俺に向かって殺到してくる。



 死ぬ。確実に死ぬ。


 なのに、この饅頭は何を言っているんだ。



「というわけで今日は、臆病者チキンのナイフの正しい使い方について解説していくぜ」



 饅頭が、にやりと笑う。



「それじゃあ────ゆっくりしていってね!」



 ***



 これが、俺と饅頭精霊マリスの出会いだった。


 人生最大のピンチに現れた、人生最大の転機。


 まぁ、この時の俺は、ただただ混乱していたわけだが。

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