臆病者(チキン)のナイフ ~逃げるほど強くなる外れジョブで最強を目指します~
ジュテーム小村
第1話 臆病者の日常
逃げたい。
心の底からそう思った。
目の前には、かつて永遠を誓い合った幼馴染の少女。
その隣には、筋骨隆々のツーブロック
二人は見せつけるように腕を組んでいる。
「私と別れてほしいの、ラン」
唐突に、婚約者──だった少女、セラに宣告された。
ここは冒険者の街アスクルの中心部にあるカフェ。
周囲の客たちがチラチラとこちらを見ている。公開処刑だ。
「な、なんでだよセラ! 約束したじゃないか!」
驚いて反論する俺。
「一緒にこの街で冒険者になって、二十歳になったら結婚しようって──」
「そんなの子供の頃の約束でしょ」
チッ、と舌打ちが響く。
セラの舌打ちだった。
昔はあんなに可愛かったのに、今は完全に俺を見下している。
「今更そんなので私の人生を拘束しようとしないで」
「だ、だって! 一緒になるつもりで村を出て、この街に来たんじゃないか!」
「あの時のアタシは馬鹿だったの」
セラは冷たく言い放つ。
「こんな臆病者を、『この人は私がいなきゃいけない』なんて使命感で特別視して。そんな約束までして」
臆病者。
その言葉が胸に突き刺さる。
二年前、俺は成人の儀でジョブを授かった。
この世界では十五歳になると神殿で儀式を行い、一生涯の
様々なジョブがある中で、俺が授かったのは【臆病者】。
聞いたこともない外れジョブだった。
ジョブを授かると、体内に
スフィアには武器や防具を装着でき、それはエーテル体となって体の表面に出現する。
スフィアには装備枠がある。
「武器」枠が一つ、「体装備」枠が一つ、そして「その他」枠が複数……初心者は大抵三つから。
その他枠はレベルが上がると増えていくらしいが、最低ランクの俺には関係のない話だ。
普通の冒険者なら、武器枠に剣や槍を装備するところだが、俺の武器枠は固定されていた。
ステータス画面に表示される攻撃力はゼロ。
唯一上がるのは「すばやさ」が五ポイントだけ。
だが、すばやさなど何の役にも立たない。
役に立たない。役に立たないのだ。
すばやさ、というといかにもとても重要なステータス値のように思えるが、いかんせん現実問題、役に立たないのだ。
この世界では、すばやさは「死にステータス」として有名だ。
移動速度には影響しない。攻撃回数が増えるわけでもない。
せいぜい、敵と同時に斬り合った時に先手が取れる程度。
ならばすばやさが高ければ敵の攻撃を避けやすいかというと、それも違う。
過去に王立学院が実験を行い、すばやさの高い者と低い者で回避率に有意差がないという結論が出ている。
つまり、すばやさを上げても意味がない。
それよりも「ちから」を上げて一撃を重くした方がいい。
モンスターは基本的に一撃で倒せる相手ではないのだから。
俺「ちから」は非常に低く、ナイフの攻撃力もゼロ。
つまり、モンスターに与えるダメージは皆無に等しい。
完全なゴミジョブ、ゴミ装備だ。
成人の儀の直後、俺は馬鹿正直にナイフで戦おうとした。
結果、スライム一匹すら倒せず、逆にボコボコにされて死にかけた。
あの時の恐怖は今でも覚えている。
全身を粘液で覆われ、窒息しかけた感覚。
村の大人たちに助けられなければ、確実に死んでいた。
それ以来、俺は攻撃を諦めた。
攻撃力がないなら、せめて防御を固めよう。
そう考えて、体装備にブロンズアーマー(重鎧)を装備した。
重鎧系の体装備はブロンズクロスのような軽鎧と違って素早さが2下がるし、魔術師系が愛用するブロンズローブのようなローブ系のように「その他」の装備枠が増えることもない。
だが、防御力が大きく上昇することは確かだ。
そして3つの「その他」の装備枠にはブロンズシールド(盾)を3つ装備した。
シールド系の装備は防御力が「その他」枠にしては大きく上がる。その代わりシールド1つにつき「すばやさ」が1下がるが、そんなことはどうでもいい。
すばやさは完全に死んだが、もともと無意味なステータスだ。
失っても何も変わらない。
すばやさを上げたければ足装備のグリーブ(具足)やブーツ(靴)を付けるべきなのかもしれないが、そんなものを付けている冒険者は見たことがない。
すばやさが死にステである以上、足装備など誰も使わないのだ。
なお「その他」枠は盾や兜などの同一箇所の装備品が被っても問題なく装備できる。
別に本当に物理的な盾や兜が出現するのではなく、エーテル体の盾や兜が体表に出現するだけだからな。
装備品も最低価格のブロンズ製からより性能の高いアイアン製、シルバー製などが武具屋で買えるが、別にそれらも本当にそういう金属製の物質が出現するわけではなく、より高性能なエーテル体が出現するだけだ。
ともあれ、俺の持つ「臆病者」というジョブが以下に恵まれていないか、わかってもらえただろうか。
そんなゴミみたいなジョブを授かった俺を見て、セラは──
「セラ、こいつが例の?」
隣のツーブロック騎士が、ニヤニヤしながら口を開く。
見るからに頑強そうな肉体。意志力と自信でギラついた目。
体には立派なアイアンアーマーを纏い、腰にはアイアンソードを佩いている。
たぶん【騎士】のジョブ持ちだろう。装備の質からして、Cランク以上は確実だ。
「そうよガルド。この人が、私の元カレ」
「へぇ。噂には聞いてたけど、本当に冴えない奴だな」
ガルドと呼ばれた男が、俺を値踏みするように見る。
「【臆病者】だっけ? そんなジョブ初めて聞いたぜ。どんだけハズレなんだよ」
「……」
何も言い返せない。事実だからだ。
成人の儀から二年。
俺は冒険者ギルドに登録したものの、まともな依頼をこなせたことがない。
攻撃力がゼロなのだから、モンスターを倒せない。
パーティを組もうにも、【臆病者】というジョブを見た瞬間、誰もが顔をしかめる。
結局、俺ができるのは荷物持ちのバイトくらいだ。
「待て!」
俺は最後の抵抗を試みる。
「も、もしかしてお前ら……もうすでに、手をつないで一緒に出かけたりしたのか!?」
「キモっ! そういうところがマジでキモいの!
最後までヤリまくってるに決まってるでしょ! 何言ってんのこの人!?」
「オタクくーん、それは面白すぎでしょ!」
ガルドが腹を抱えて笑う。
周囲の客たちも、クスクスと笑い声を漏らしている。
逃げたい。
今すぐこの場から消えてしまいたい。
でも、足が動かない。
「じゃあね、ラン。もう二度と関わらないで」
セラはそう言い残すと、ガルドと腕を組んでカフェを出ていった。
笑い声が遠ざかっていく。
俺はその場に立ち尽くしていた。
***
日が暮れた頃、俺はギルドの掲示板の前にいた。
冒険者ギルド・アスクル支部。
この街で冒険者として活動するなら、必ず登録する場所だ。
掲示板には様々な依頼が貼り出されている。
モンスター討伐、素材採取、護衛任務──
そのほとんどが、俺には縁のない依頼だ。
「あれ、ラン君じゃん。まだいたの?」
受付のお姉さん、ミーナさんが声をかけてくる。
ギルドで唯一、俺に優しくしてくれる人だ。
「……ちょっと、依頼を探してて」
「そっかー。でも、もう夕方だから、めぼしい依頼は残ってないかもね」
分かっている。
朝から依頼を探していたが、俺に出来そうなものは一つもなかった。
荷物持ちのバイトすら、今日は募集がない。
「あ、そういえば」
ミーナさんが何かを思い出したように言う。
「さっき、ダンジョン探索の荷物持ちバイトの募集が入ったよ。Cランクパーティで、ハクレイの廃神社っていうダンジョンに行くんだって」
「ハクレイの廃神社……」
聞いたことがある。
アスクルの郊外にある中級ダンジョンだ。
Cランクパーティということは、それなりに実力のある冒険者たちだろう。
荷物持ちなら、戦闘には参加しなくていい。
「報酬は……銀貨五枚。日帰りの予定らしいよ」
銀貨五枚。
普通のバイトの三日分くらいだ。悪くない。
「俺、それやります」
「オッケー、じゃあ登録しておくね。明日の朝、東門集合だって」
ミーナさんがにっこり笑う。
俺は礼を言って、ギルドを後にした。
***
安宿の狭い部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。
天井を見つめながら、今日あったことを思い出す。
セラに振られた。
いや、振られたというより、捨てられた。
分かっていたことだ。
あいつが最近、態度がよそよそしくなっていたのは気づいていた。
でも、見て見ぬふりをしていた。
向き合うのが怖かったから。
現実を直視するのが怖かったから。
逃げていたのだ。
いつもそうだ。
成人の儀で【臆病者】を授かった時も、「なんとかなるさ」と思っていた。
スライムに殺されかけた時も、「もう戦わなければいい」と逃げた。
セラとの関係がおかしくなっても、「そのうち元に戻るさ」と思っていた。
決断から逃げて、行動から逃げて、現実から逃げて──
気づいたら、何も残っていなかった。
「……自業自得か」
自嘴の言葉が漏れる。
右手を見る。
スフィアに装備された
攻撃力ゼロ。すばやさが五上がるだけの最弱武器。
そのすばやさすら、ブロンズアーマーとブロンズシールドで完全に殺している。
結局、何をやっても駄目なのだ。
明日のバイト、ちゃんとやれるだろうか。
また何か失敗して、馬鹿にされるんじゃないだろうか。
不安が胸を締め付ける。
逃げたい。
この街から、この人生から、何もかもから──
***
翌朝。
東門に着くと、すでにパーティメンバーが揃っていた。
リーダーらしき男が、俺を見て眉をひそめる。
「お前が荷物持ちか。名前は?」
「ラン、です」
「ジョブは?」
「……【臆病者】です」
一瞬、沈黙が流れる。
「は? なんだそれ、聞いたことねぇ」
「外れジョブ、ですね」
「……まぁいい。荷物持ちなら戦わねぇし、関係ねぇだろ」
リーダーは興味なさそうに言う。
他のメンバーも、俺を見てクスクス笑っている。
いつものことだ。慣れている。
「じゃ、行くぞ。足引っ張んなよ、臆病者」
そう言って、パーティは歩き出した。
俺は重い足取りで、その後をついていく。
ハクレイの廃神社。
そこで、俺の人生は大きく変わることになる。
──まだ、この時の俺は知らなかった。
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