彼女は

ピッ、ピッ、ピッ――。


最初に入ってきた情報は、規則的に鳴る電子音。

次に、視界に飛び込んできた、白い......天井?


「敦」


ーー与謝野、さん?


「上手くいって良かったよ。お帰り、敦。」


頭が、重い。


「アンタ、脳の病気だったンだよ。」


脳の、病気?


脳の、......?


あれ、なんか、あたま、まわらない。


「......敦、一旦寝ちまいな。まだ無理しちゃ駄目さ。」


あ、れ、暗――――――――――




*




敦の目に被せていた手をそっとのける。

もう、寝てしまったみたいだ。


「与謝野さん」


ガラガラと病室の扉が開いて、太宰が顔を出した。


「敦君、起きました?」


「先刻、意識が戻ったよ。......だけど、かなり混乱していてねェ、無理するな、って云って寝かせたさ」


「成程......。兎に角、意識が戻って良かったです。」


「......だが、これからだろうねェ。敦が本当に、苦しいのは。」


「ええ。けれど彼なら屹度......」


「嗚呼、分かってるさ。......妾だって、信じてるよ。」


「敦君は、強い子ですからね。......私も、やれることは全てします。」


「珍しいねェ、太宰。アンタ、そういう事が云えるようになったのかい。」


「いえ......可愛い後輩の為ですから。」



*



病室を出てから、しばらく経っていた。


点滴台のキャスターが、廊下で小さく鳴る。

消毒薬の匂い。

窓の外は、やけに眩しい。


「……つまり」


敦は、自分の声が少し遠く聞こえるのを感じながら、言った。


「僕は、脳の病気で倒れて……しばらく、眠ってた、ってことですか」


「正確には、昏睡状態だった」


隣を歩く太宰は、淡々と答える。


「視覚野にも影響が出ていた。色覚のズレも、そのせいだよ」


色覚。


その言葉が、頭の中で、遅れて意味を結ぶ。


「……じゃあ」


足が、ふと止まった。


「僕が見てた色は」


太宰は、少しだけ間を置いてから言った。


「“間違い”ではないよ。君の脳が、そう処理していただけだ」


敦は、頷いた。

理解した、つもりだった。


けれど――


「あれ」


ぽつりと、声が零れる。


「……彼女は?」


太宰が、足を止める。


「僕、依頼で……人を、探していて」


記憶を辿る。

青い花。

ミモザの畑。

微笑む、彼女。


「……もう、会っているはずなんです」


太宰は、敦の方を見なかった。


「敦君」


その声が、やけに静かで。


「君が倒れたのは、その依頼の途中だ」


胸の奥が、ひやりとする。


「彼女はね」


一拍。


「もう、亡くなっている」


――は?


言葉の意味が、すぐに形にならない。


亡くなっている。

もう、いない。


いつから?


「……じゃあ」


声が、掠れる。


「僕が会った、あの人は……」


「昏睡中の体験だろうね。

……少なくとも、現実に確認できる記録は、ない」


太宰は、そう言って、持っていたものを差し出した。


一冊の、ノート。


「これは、彼女の私物だ。……目を覚ましたら、渡そうと思っていたんだよ。」


日記だ。


彼女の、字。


「読んでみるといい」


敦は、無言で受け取った。

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