第4話 大学

 大学生になると、あたしの口癖は、

「めんどくさい」

 になった。ママに何か用事を頼まれても、

「やだ、めんどくさい」

 と言って、ママに小言を言われた。

 大学もなんとなく通ったが、経済学には興味を持てなかった。たまたま受かったからだ。

 ある日、パパが運転する車の中で聞いていたラジオがあたしの心を鷲掴みにした。

「めんどくさいってすぐ言う人いるでしょ。俺、ああいうの一番嫌い。なんでもやってみないとわからないだろ」

 そうかっちゃんは言った。そのセリフがとってもかっこよかったから、あたしは、かっちゃんが出ているラジオを楽しみにするようになった。かっちゃんの言葉はあたしの理想でできた魅惑のケーキをナイフでぶった切るのではなく、優しくフォークで食べてくれているように感じた。

「一人だと思ってる人がいるでしょ。俺だってそうだよ。みんなこの世の中では一人だよ。だけど、自分の限界を自分で決める必要はないんじゃないか」

 リスナーの悩みに真剣に答えるその姿勢を大好きになった。毎週真っ青になりながら、楽しみにラジオを聞いた。部屋の中なら青くなっても、誰のことも気にしなくて良かったから。パパとママ以外にあたしの行動を注意する人はいないから。かっちゃんの声が、何度も頭の中で繰り返し聞こえるケンジの声にとても似ていることは、誰にも気づかれてはいない。

「ナリ、ご飯よ」

「今はいらない」

「お味噌汁よそったのに、冷めちゃうでしょ」

「今からかっちゃんがゲストで出るラジオ始まるから」

「そんなのどうでもいいでしょ」

「どうでもよくない」

 今のあたしには、かっちゃんしか見えない。ママには、あたししか見えない。他の人たちも同じ。みんな、一人か二人ぐらいのことしか本当は見えてない。見えている人のことは、ささいなことが気になる。だから、思い通りに動かそうとする。あたしの気持ち良いこととママの気持ち良いことは違っているのに。

 かけっこでは、ビリにならないぐらい、お給料は、生活が困らないぐらい、孫は欲しい。ママの希望を叶えてあげようとすると、あたしは苦しい。あたしは、好きなように生きたい。好きなように。絶対的権力と莫大なお金でもないと叶わない夢なのだろうか。好きなように生きる。そのためならなんでもできそうな気がしないわけでもないけど。どっかで自由は売っている?そんなことを言っていると、誰かの頭の中であたしの人生が「好きなように生きたけど、失敗した人の末路」みたいに、みじめな人生だと自動記憶保存されてしまうのかも。

 歌合戦に出られない歌手とか、ノーベル文学賞の取れない作家とか、すぐ誰かの頭の中で勝手に烙印を押されてしまう。本人は、意に介していないとしても。意に介してないということを他人に説明する難しさよ。特定されない誰かが信じてきた正しさに従った方が楽だから。勝ち負けで勝負がつく方が、喜びが大きいように錯覚するから。同じ認識がある方がわかりやすいから。自分の周りに一つ一つと自分が思う大事なものを見つける方が、はるかに悩ましく、大変なことで、それこそが、とても大切なことだとは気づく暇もなく、あの子、変わっているよねと、特定されない誰かの価値観に、みんな、がんじがらめだ。さらに他人に自分のことを理解してもらいたいと求めると、もっと難しい。そして、誰に理解されたいのかさえ怪しい。

 そりゃ、欲を言えば、気になる人には、理想の人であってほしい。あたしは、ママから押し付けられる理想像に反発しちゃう。あたしにも理想はある。あたしは、ママにはもうちょっとおしゃれな服を着ていてほしい。遊びに来たトキには怒らない優しい素敵なママであってほしい。そう思ってしまうから。きっと自分の思い通りにしたいのは、お互い様なんだろう。理想のママと理想のあたし。かなり収まりが悪い。

 そうだ。あたしの理想のかっちゃん。ラジオを通して、こちら側からしか見えてない。かっちゃんが、誰かをののしっているところなんか想像もできない。機嫌が悪い日もない。ママが押し付けてくる理想のあたし、あたしが求めている理想のママ、あたしが勝手に作り上げている、かっちゃんのイメージ。

 全部から自由になってさ。きっと魔法のお薬より、気持ちいいはず。だって空だって飛べるんだ。想像の羽を広げて。しらがみのない空へ。あたしの憧れの場所。ただ自由だけが手に入るその楽園へ。

 そんなんあるかーいってつっこみが、全部笑い話になる世界線にあたしは行きたくて。

 想いの翼は広がるばかりだけど、何もしないで、遠くに憧れを抱いている。自由を重んじるあたしは、大学四年生だというのに、就職活動をする様子もなければ、探そうともしていない。

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