第3話 初恋

 希望の高校には、余裕で受かった。そりゃ、そうだ。勉強しかすることがなかったんだから。受かっても特に喜ぶこともなかった。トキと同じ高校を選んだだけだ。

 トキは、高校に行っても、変わらなかった。

 時々、あたしのところにやってきて聞く。

「なんで?」

「ん?」

「なんで人と交流してないのに、青くなってる?」

「あの黒板の近くにいるグループいるでしょ」

「うん。なんか今、騒いでいるね」

「あのグループの子たち、はぁちゃんをいじめてる」

「なんでわかるの?」

「ナリにはわかる」

「ずっと青くなってるつもり?」

「だって怒りで青がおさえられない」

「ここでナリが怒ってても、世界は何一つ変わらないのに」

「でも、いじめは許せない」

「ナリは、仲間はずれにされるのは、慣れているんじゃないの?」

 なんてあたしに気を遣わない言い方だろうと苦笑しながら、トキの飾らない言葉に、あたしは、トキの鈍感さがあたしにあればと思った。確かにあたしは、寂しさの耐性は強くなった。それでもまだトキのように堂々と生きられるのは、羨ましい。トキのように生きられたら、あたしはもっと人の輪の中へ入っていけただろうかと思いを馳せる。でも、違う。トキのように、とか、トキの持っているものに憧れたら、途端にまたあたしは、不自由を纏う。トキになれないことにとらわれて、身体に緊張が走る。毎日張り詰めて、トキの偽物になろうとするだろう。そうやって自分を見失うんだ。

 あたしの正義とトキの正義がちょっとずつ違うように、正義は、時によって人によって変化する。だけど、いつも変わらないのは、人をまっすぐに澄んだ瞳で感じ取る正確さなんじゃないかと。それこそ失ってはいけないことなのだと、思いたいけど。

 はぁちゃんがいじめられる意味も、あたしが気味悪がられる理由も、そんなに違ってはいない。自分たちの常識の外側にいるから、恐怖心から、排除されようとしているのだ。

 またあのグループは、ねちねちとはぁちゃんを言葉でいじめていた。

「はぁちゃん、先生呼んでたぞ」

 とある男子が言った。トキは、その声を聴いても何も気づかずに自分のクラスに戻っていったが、あたしにはわかった。それが、はぁちゃんを救うための助け船だと。

 その一言から、あたしの興味は、一気にその男子に注がれた。大木ケンジという名だった。

 その日からなぜかケンジが気になって仕方なかった。目でどうしても追ってしまう。ケンジは、いつも笑っていた。そして、ふざけていた。

「俺さ、新しいギャグを考えたんだ」

「少し黙ってろよ、ケンジ」

「そうか?おもしろいぞ。俺の愛犬は笑ってくれたぞ」

「俺ら、今、忙しいんだよ、お前にかまってる暇ないんだよ」

「ああいいさ。君たちが幸せならそれで俺はいいのさ」

「だから、黙ってろって」

 そんな会話からケンジは、仲間の中ではいじられ役を買って出ているようだった。

 ケンジが笑っている様子を見ると、あたしは、青くなってしまうことが増えた。どうしてケンジを見ているだけで青くなってしまうのかわからずに、ママに相談した。

「最近ね、ナリは青くなったまんまなの」

「何か気になることがあるの?」

「ないと思う」

「言ってみなさい。ママはこう見えても、高校時代、みんなの相談役だったのよ」

 優等生のママにあたしの悩みがわかるわけがないけど、どうしても自分が青くなってしまう理由が知りたかった。自分だけではどうしようもなかった。

「どういうときに青くなるの?」

「そうだな。ケンジが不思議でね」

「なに?男の子?」

「そう。ケンジはどうして何を言われても笑っているんだろうと気になるの」

「ママにはわかったわ」

「わかったの?」

「わかったわよ」

「なに?教えて」

「ナリ、それは恋と言います」

「恋?」

「そうです。ナリの初恋ね」

「どうしたらいいの?」

「どうなりたいの?」

「どうなりたいかなんてない。ただ気になるの」

「それは、誰でも経験することよ。おかしなことではないわ。ナリが青くなる理由は、ケンジくんを好きだからよ」

「ひぇー」

 おかしな声が出た。驚いたが、普通のことだと言われて、安心もした。謎は解けた。

 困ったのは、謎が解けても、まだ青くなってしまうことだった。昨日のママとの会話を思い出し、さらに青くなるのも早かった。

「おは」

 と教室にケンジが入ってくるだけで、速攻青くなった。

 トキがやってきて言った。

「ナリ、なんかあったの。いつもより青い」

「これは、ナリの大暴走です」

「大丈夫?」

「わかりません。ナリの大暴走の大混乱です」

「説明できる?」

「できません。理由はわかっているので、時が来たら、お話します」

 トキは「なんだ、それ」と言って笑いながら自分の教室へ戻っていった。

 あたしは、なんとか心を落ち着けようと必死だった。鼻から思いっきり空気を吸い込むといいかもしれない。そうだ、目を閉じてみよう。肩を回してみよう。一人で試行錯誤していると、ただただ怪しいやつになった。

 だが、突然に、

「おっ、ごめん」

 とケンジがあたしの机の横を通り抜ける。もうだめだった。どわーっとあたしの身体は一瞬で青くなった。

「だめだ、こりゃ」

 あらゆる抵抗をやめて、自然な流れに身を任せることにした。

 だが、そんなあたしは、さらに追い詰められることとなる。なんと席替えで、ケンジと前後の席になってしまった。

「はい、プリント」

 と渡されただけで、青くなってしまう。クラスの子たちは、気持ち悪がって、あたしにますます近寄ってこなくなった。

 そんなもんもんとした日々が続いていた。

 ケンジの消しゴムがこちらに転がってきたので、あたしが拾ってあげた。ケンジは、

「ありがとう」

 と言った。それだけで、あたしは青くなった。

 それを見たあのグループの女子の一人が言った。

「なんで、あの子、身体が青くなるの?気持ち悪い」

 言われ慣れているので、あたしは聞き流した。でも、ケンジは、

「お前、何様だよ。興奮したら、俺らだって赤くなるんだよ。青も赤も大した違いじゃないだろ。他人のことをとやかく言う前に自分の性格の悪さを直せよ」

 と怒った。顔を真っ赤にして。

 あたしは、嬉しくて、なぜか恥ずかしくて、真っ青になった。あたしのケンジへの好きは、大爆発した。

 ケンジはすぐにその場の空気を察して、教室の外へ出ていったが、注意された子は、真っ赤になって、その場でうつむいていた。

 あたしは、青くなりながら、ケンジを好きになって良かったと思った。あんなに笑いながら生きているようなケンジが、あたしのために怒ってくれた。それだけで初恋の相手がケンジで良かったと思った。

 きっと怒った瞬間だけだとしても、あたしとケンジは同じ正義を見ていた。きっとそうだ。

 高校は、その出来事がメインイベントで、それ以外は、くずみたいな思い出ばかりだった。

 あの後、ケンジは、しばらくすると何事もなかったように教室に戻ってきて、男友達とバカ話を始めた。この出来事は、あたしにとっては、ご褒美みたいなものだった。

 あたしの世界は、窮屈でできているけど、外の世界には、様々な価値観や正義がある。この世界が、絶望だけに覆われた世界ではないと、ケンジの存在は信じさせてくれた。見つけさせてくれた。だってあたしの外の世界が闇なら、ケンジの存在が嘘になってしまうから。

 注意された子だって、あたしが何か反論しただけなら取り合ってくれないだろう。気にも止めないだろう。だけど、あちら側にいるケンジから言われたから、顔を赤くして、彼女は自分を恥じることを初めて知ったのだ。

 どうしたってケンジとあたしは住んでいる世界が違うのだとわかっている。だけど、同じもの見ていることだけがあたしにとっては救いだった。まだ絶望は先にある。

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