805年の長安の生活、服飾と日常の華やかさ

 805年、唐の貞元ていげん21年にあたる長安は、徳宗とくそうの治世末期にあり、安史あんしらん(755~763年)の傷跡から立ち直りつつある国際的な文化都市であった。この時期の長安は、漢族かんぞくの伝統と西域せいいき胡風こふうが交錯し、服飾や生活様式に華やかさと多様性が色濃く反映されていた。絹の衣装が街を彩り、胡床こしょうに座る貴族の優雅な姿や、市場で胡座あぐらをかく平民の活気が、長安の日常を形作っていた。以下、服飾、生地の種類、下着の形状と着用の有無、座り方、そして生活様式の特徴を、歴史的資料に基づいて調べてみた。


長安人の服飾


 長安人の服飾は、階級と性別によって大きく異なるが、唐代の豊かな絹文化と西域せいいきの影響が共通の基調である。貴族や官僚の男性は、ゆったりした長袍ちょうほうである「ほう」を愛用した。ほうは長いすそと広いそでが特徴で、地位に応じて紫、、緑、青などの色が定められていた。


 例えば、三品さんぼん以上の高官は紫のほうをまとい、宮廷での威厳を示した。頭には「幞頭ぼくとう」という布製の帽子をかぶり、硬いつばが顔を引き立てる。儀式では「朝服ちょうふく」や冠付きの「冕服べんぷく」が用いられ、徳宗とくそうの治世ではこうした礼装れいそうが宮廷の荘厳そうごんさを演出した。一方、平民の男性は動きやすい「さん」や「はかま」を選んだ。さんは短いチュニック型の上着、はかまはゆったりしたズボンで、あさ綿めん製が一般的であった。


 労働者はさらに簡素な短衣たんいや「じゅ」をまとい、汗とほこりにまみれながら市場や工房で働いた。長安の国際性は、ソグドそぐど人や突厥とっけつの影響を受けた「胡服こふく」にも表れる。短い上着やブーツを組み合わせた胡服こふく、特に騎馬文化に由来する「靴袴くつばかま」は、若者の間で流行し、街に新たな活気をもたらした。


 女性の服飾は、貴族と平民で異なるが、華やかさが際立つ。「襦裙じゅくん」は女性の代表的な衣装で、短い上着の「じゅ」と長いスカートの「くん」を帯で結ぶスタイルである。貴族女性は絹製の襦裙じゅくんに雲や花の刺繍ししゅうを施し、袖口そでぐちすそ金糸きんしやビーズを飾って優雅さを競った。頭には「歩揺ほよう」という揺れる装飾品付きのかんざしを挿し、白粉おしろいべにで顔を彩る化粧が欠かせなかった。


 平民女性も襦裙じゅくんを着たが、生地はあさや粗い絹で、色は淡い青や灰色が多かった。市場で働く女性は、動きやすい短裙たんくんはかまを選び、装飾を省いた簡素な姿で客と談笑した。西域せいいきの影響は、胡帽こぼう窄袖さくしゅうの上着として現れ、特に酒肆しゅし舞姫まいひめ胡姫こきは、ペルシア風の透ける生地や鮮やかな色を好んだ。こうした衣装は、長安の夜を淫靡いんびに彩り、詩人や貴族の視線を奪った。


生地の種類


 服飾を支える生地の種類は、唐代の経済と交易の豊かさを物語る。絹は長安の代名詞であり、貴族や富裕層は「」や「にしき」を愛用した。は軽く透ける絹で、夏の衣装や女性の舞衣まいぎぬに最適だった。にしきは複雑な模様が織り込まれた豪華な絹で、ほう礼装れいそうに重宝された。西域せいいきからのペルシア絹は高級品として珍重され、長安の市場で高値で取引された。


 光沢のある「あや」や厚手の「どん」も、冬の衣装や装飾品に用いられ、貴族の邸宅ていたくを彩った。平民はあさを主に使い、粗い「ぬの」や細かい「細布さいふ」で日常着を作った。あさは夏に涼しく、冬は重ね着で暖をとる実用的な生地だった。綿めんは南方からの輸入品で、805年頃はまだ普及途上だったが、平民の安価な衣類に使われ始めた。突厥とっけつ吐蕃とばんからの毛織物けおりものは、毛氈もうせん毛布もうふとして冬の防寒に欠かせず、皮革ひかくは靴やベルト、胡服こふくのブーツに用いられた。長安の市場では、絹、あさ毛織物けおりもの皮革ひかくが並び、交易の中心地としての活気を映し出した。


下着


 下着は、衛生と礼儀れいぎを保つ重要な要素だった。男性は「裲襠りょうとう」や「犢鼻褌とくびこん」を着用した。裲襠りょうとうはゆったりした短パン型で、腰に紐で固定する。犢鼻褌とくびこんはT字型の布で、現代のふんどしに近い形状だった。どちらもあさや薄い絹製で、通気性が重視された。貴族や平民の男性は下着を着けるのが一般的だったが、労働者や貧民は暑さや経済的理由で省略することもあり、夏の農作業では上半身裸ではかまのみの姿も見られた。


 女性の下着は「抹胸まつきょう」や「誦子じゅし」が中心だった。抹胸まつきょうは胸を覆うチューブトップのような布で、紐で背中で結ぶ。誦子じゅしは腹部まで覆う長い布で、襦裙じゅくんの下に着て体型を整えた。誦子じゅしは特に貴族女性に好まれ、絹や細いあさで作られ、腰から腹部を滑らかに見せる役割を果たした。敦煌とんこうの服飾図や文献によれば、誦子じゅし襦裙じゅくんの多層構造と組み合わさり、女性の優雅なシルエットを強調した。


 下半身には「」や短いふんどしを着ける場合もあったが、くんの重なりが下着の役割を果たすことが多かった。貴族女性は抹胸まつきょう誦子じゅしを必ず着用し、礼儀れいぎと美観を保った。平民女性も抹胸まつきょうや簡素な布を着けたが、貧困層や労働中の女性は省略することもあり、舞姫まいひめは透ける衣装の下に抹胸まつきょうを欠かさなかった。こうした下着の着用は、長安の階級社会と文化の規範を反映していた。


座り方


 座り方は、階級や場面に応じて多様だった。貴族や官僚は、西域せいいき由来の折り畳み椅子「胡床こしょう」を愛用した。胡床こしょうに座り、背を正して膝を軽く曲げる姿勢は、宮廷や宴会での礼儀れいぎを象徴した。低い台やクッションである「床几しょうぎ」に座る場合、絹の座布団や毛氈もうせんを敷き、膝を折って正座に近い形をとったが、長時間の正座は少なく、足を軽く崩すこともあった。


 平民は家や市場で、ござござわら敷物しきものに直接座った。胡座あぐらや片膝を立てる姿勢が一般的で、堅苦しさはなかった。農民や職人は作業中にしゃがむか、簡単な木のスツールに座った。市場の商人は、商品の前に胡座あぐらで座り、客と談笑する姿が日常だった。貴族女性は胡床こしょう床几しょうぎに座り、くんを美しく広げて足を揃え、軽く内側に傾ける優雅な姿勢が理想とされた。平民女性は、ござござや地面に胡座あぐらや膝を折って座り、家事中はしゃがむことが多かった。市場では、むしろに座って商品を売る女性の姿が、長安の賑わいを彩った。


生活様式


 生活様式は、食事、住居、衛生、社交の面でも長安の多様性を示す。貴族は胡床こしょうや低いたくを囲み、はしで米、麺、羊肉、魚、野菜を食べ、茶や酒を味わった。平民はござござに座り、簡単なわんで粥や麺をすすり、市場の屋台では胡椒こしょうや香辛料を使った胡食こしょくが人気だった。貴族の邸宅ていたくは中庭を囲む木造建築で、絹のまく屏風びょうぶで仕切られ、平民は土壁どべいや木の簡素な家に住み、ござござや木の床で生活した。


 長安のぼうごとに住居が密集し、夜は灯籠とうろうの明かりが街を照らした。衛生面では、貴族は香料こうりょう花弁かべんを入れた湯で沐浴もくよくし、平民は運河うんが井戸いどで水をかぶった。女性は長く伸ばした髪を毎日くしで整え、油や香料こうりょうで艶を出した。社交と娯楽は、長安の文化の華だった。貴族は宴会で詩を詠み、琵琶びわ箜篌くごの演奏を楽しんだ。平民は市場の酒肆しゅし雑技ざつぎや歌を観賞し、茶肆さしでは白居易はくきょいらが詩を論じた。胡姫こきの舞は、長安の夜を淫靡いんびに彩り、詩人や貴族の心を奪った。


 805年の長安の朝、貴族女性の日常を想像してみよう。絹の抹胸まつきょうを身に着け、雲模様の刺繍ししゅうが施された青い襦裙じゅくんを重ねる。腰には金糸きんしの帯を結び、歩揺ほようかんざしを髪に挿す。胡床こしょうに座り、くんを広げて姿勢を正し、茶を啜りながら庭の梅を眺める。侍女じじょあさふんどしを整え、外套がいとうを用意する。遠く市場の喧騒けんそうが聞こえ、胡商こしょうの叫び声や馬車の音が響く。婦人は詩箋しせんに筆を走らせ、今日の宴の詩を考える。この一瞬に、長安の華やかさと多文化の融合が凝縮されている。服飾、座り方、日常の細部に、唐代の国際都市の息吹が宿る。

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