第2話:副団長の苦悩

 セシリアに連れられ、俺は王都の門をくぐった。  石造りの重厚な城壁に囲まれたその都市は、深夜だというのに微かな喧騒を残していた。石畳を歩く俺たちの足音が、カツン、カツンと乾いた音を立てて響く。


「ケンタ、疲れていないか? もう少しで宿舎だ」


 前を歩くセシリアが、何度も振り返って俺を気遣う。  その度に、俺の胸の奥がくすぐったくなるような優越感で満たされた。  すれ違う見回りの兵士たちが、セシリアの姿を見て慌てて敬礼をする。彼らの目には、明らかに彼女への畏敬の色が見て取れた。  そんな「副団長」という立場にある高潔な女騎士が、どこの馬の骨とも知れぬ俺の顔色を窺い、心配しているのだ。


「大丈夫だよ。それより、セシリアこそ怪我はないのか?」

「問題ない。……貴方が無事なら、それが私の喜びだ」


 セシリアは頬を染めて微笑む。  チョロい、と言ってしまえばそれまでだが、俺のスキルの効果は絶大だった。彼女の中で、俺の優先順位はすでに国家や任務よりも高くなりつつあるのかもしれない。


 やがて俺たちは、王城の敷地内にある騎士団の宿舎へと到着した。  質実剛健な造りの建物だが、入り口には煌びやかな装飾が施されている。  中に入ると、すぐに怒鳴り声が飛んできた。


「遅い! 貴様、今までどこで何をしていた!」


 エントランスのホールに立っていたのは、一人の男だった。  金糸の刺繍が過剰に入ったマントを羽織り、腹の出た体型を誤魔化すような派手な鎧を着込んでいる。顔は脂ぎっており、その小さな目は苛立ちで吊り上がっていた。


 セシリアの体が、一瞬だけ強張ったのを俺は見逃さなかった。  彼女はすぐに姿勢を正し、その男に向かって深く頭を下げる。


「申し訳ありません、団長。森にオーガが出現したとの報告を受け、討伐に向かっておりました」


 団長と呼ばれた男、ガストンは、鼻を鳴らしてセシリアを睨みつけた。


「オーガだと? そのような些事は下の者に任せておけばよいのだ! 副団長である貴様が、いちいち現場に出向いてどうする。私の許可もなく勝手な行動を取りおって!」

「しかし、街への被害が出る恐れがありましたので……」

「口答えをするな!」


 ガストンの怒声がホールに響き渡る。  周囲にいた数名の騎士たちが、気まずそうに目を伏せた。誰もセシリアを助けようとはしない。いや、できないのだ。この男の権力が、それを許さないのだろう。


「貴様はいつもそうだ。そうやって手柄を独占し、私を出し抜こうとする。目障りなんだよ!」


 ガストンはセシリアの肩を乱暴に突いた。  あの巨大な魔物を一撃で葬ったセシリアが、抵抗することもなく、よろめいて数歩下がる。  その顔は悔しさに歪んでいるかと思いきや、ただ無表情に、じっと床を見つめて耐えていた。


「……申し訳、ありません」


 謝罪の言葉を口にする彼女の声は、微かに震えていた。  俺の中で、どす黒い感情が渦巻いた。  義憤ではない。正義感でもない。  ただ単純に、不快だった。


 セシリアは、俺の女だ。  俺が助けられ、俺が惚れさせ、俺が手に入れた「所有物」になりかけている存在だ。  その美しい顔を、こんな無能な豚ごときに曇らされていることが、我慢ならなかった。  あんな男に頭を下げさせたくない。俺にだけ傅いていればいいのだ。


「おい、そこの薄汚い男は誰だ?」


 ガストンの視線が、不意に俺に向いた。  値踏みするような、不躾な視線。


「森で保護した民間人です。身寄りがなく、一時的に宿舎で保護しようかと」


 セシリアが慌てて俺の前に立ち、庇うように背中を見せた。


「フン、浮浪者か。騎士団宿舎は孤児院ではないのだぞ。……まぁいい。どうせ貴様の給金から食費を引いておくだけだ。連れて行け。目障りだ」


 ガストンは吐き捨てるように言うと、俺たちに背を向けて奥の部屋へと消えていった。  重い扉が閉まる音がして、ようやく張り詰めていた空気が緩む。


 セシリアは深く息を吐き出し、ゆっくりと俺の方へ振り返った。  その表情は、先ほどまでの毅然としたものではなく、疲れ切った弱々しいものだった。


「すまない、ケンタ。不快な思いをさせたな」

「いや、俺は平気だ。でも、セシリア……あいつ、いつもあんな感じなのか?」


 俺の問いに、セシリアは力なく苦笑した。


「ガストン団長は……由緒ある貴族の出でな。実戦経験はないが、家柄だけで団長の座に就いた方だ。現場の指揮は私が執っているが、手柄は全て団長のもの。失敗があれば、全て私の責任になる」

「理不尽だな」

「騎士とは、主君に仕えるもの。組織である以上、上の命令は絶対だ。それに、私が耐えれば、部下たちには被害が及ばない」


 セシリアはそう言って、自らに言い聞かせるように頷いた。  真面目すぎる。  責任感が強すぎる。  その高潔さが、彼女をここまで追い詰め、あの豚のような男のサンドバッグにさせているのだ。


 俺は、セシリアの手をそっと取った。  剣ダコのある指先が、微かに冷たくなっている。


「俺は、お前が悪いとは思わない。お前は立派だったよ。あの魔物を倒して、俺を守ってくれた」


 俺がそう囁くと、セシリアの瞳が揺れた。  団長に向けられていた諦めの色が消え、俺への依存心のような甘い光が戻ってくる。


「ケンタ……。貴方がそう言ってくれるだけで、私は救われる」


 セシリアは俺の手を、両手で包み込むように握り返してきた。  縋るような力強さだった。  彼女は、物理的な強さとは裏腹に、精神的に孤独で、脆い場所に立っている。  そこに、俺という理解者が現れたのだ。彼女が俺に傾倒していくのは必然だった。


「部屋に行こう、セシリア。疲れただろ」

「……ああ。そうだな。案内しよう」


 セシリアは俺の手を離そうとしなかった。  廊下を歩く間も、彼女の肩は微かに触れ合っている。


 俺はガストンが消えていった扉の方を、一度だけ振り返った。  あの男は邪魔だ。  セシリアを疲弊させ、俺の快適な生活を脅かす害虫だ。  だが、同時に好都合でもあった。  彼がああやってセシリアを追い詰めれば追い詰めるほど、セシリアの心は逃げ場を求めて俺へと向かう。


 俺はこの状況を利用する。  セシリアを、騎士団という鎖から完全に引き剥がし、俺だけのものにするために。


「ここが空き部屋だ。狭いが、ベッドはある」


 通されたのは、質素だが清潔な個室だった。  セシリアは部屋の明かりをつけると、名残惜しそうに俺の手を離した。


「私は、団長への報告書の作成がある。まだ少し時間がかかるが……何かあれば呼んでくれ」

「無理するなよ」

「ああ。……おやすみ、ケンタ」


 セシリアは扉の隙間から、いつまでも俺を見つめていた。  その瞳には、すでに主君への忠誠心よりも、俺への愛着が色濃く滲んでいる。


 扉が閉まり、俺は一人になった。  硬いベッドに腰を下ろし、俺はニヤリと口角を上げた。  異世界転移、チートスキル、そして目の前には心に隙間のある絶世の美女。  条件は揃いすぎている。


 セシリア。  お前はもう、あの豚のために頭を下げる必要なんてない。  俺が、お前をもっと楽な場所へ堕としてやる。

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