第1記 戴天
厚い鉄扉が閉じる音が、耳の奥に残る。
石造りの壁に反響する足音が、ひとつ。
「……
それが、男の第一声だった。
淡い白色のスーツを身に纏った、薄い金髪の男。
その声は脳の奥にまで届くような明瞭さと何処か品格を感じさせる流麗さがあった。
一方、男が相対する者はあまりに異様だった。
四肢を鎖で縛られ、全身の無数の札で覆われた少年。灰緑の髪に鬼灯のような紅い瞳が特徴的な、8歳くらいの少年だ。囚人のような服を着せられ、ひどく生気のない顔をしている。
「……なんだ、お前は……」
まるで喉を焼かれたかのような、かすれた声。
地の底から這い上がるようなその呻きは、静寂の空気を裂きながら男の耳に届いた。
散々喉を使い潰したのだろうか。その声は少年というより、低く唸る獣のようだった。
「私は
男——十束は、白いスーツの裾を払うようにして立ち止まり、まるで機械のような無機質さで言葉を発した。
その目はどこか空虚で、ただ一つの目的に従っているだけのように見える。
「法務省……?ああ、そうか……」
少年は——流は、どこか納得しように呟いた。
血と錆の匂い漂う地獄の底。僅かな灯りが辺りを淡く照らす中、二人は邂逅した。
「随分と憔悴しているようだ。無理もない。君達“九頭龍一族”はとてつもない事件に巻き込まれてしまったのだから」
十束の一言に、流は特に反応を示さない。
「“九頭龍一族”と言えば、倭人の中でも極めて歴史の古い旧家だった。その血筋は遡れば、神話において語られる大妖“
“魔王”という言葉に一瞬流は反応したように見えたが、すぐに顔を伏せた。
「“魔王”が今際の際に産み落とした仔が、やがて人と交わり、
「うるせえ!!!!!!」
十束の言葉を遮るように、怒声が飛んだ。
「さっきからごちゃごちゃうるせえんだよ!!!ハッキリ言えよ……お前は、俺を殺しに来たんだろ!!!!!」
流は怒りと殺意を漲らせた表情で、十束に文字通り喰ってかかろうとしている。
しかし、彼を縛る鎖がその横暴を許さない。ギチギチと金属が激しく擦れる音が室内に木霊する。
十束は表情を変えず返答する。
「……その通りだ。元より君は国にとって危険な存在だった———異能:
その名で呼ばれた事は初めてではないのだろう。流の表情は更に怒りに染まった。
「その血が生み出す力は一度制御を誤れば、世を滅ぼしかねない。故に九頭龍一族は国から君の管理を一任されていた訳だが……その一族はもう居ない」
十束は少し憐れむような顔をして、
「国は、君を生かしておく事を“危険”だと判断した」
「ふざけるな!!それはお前らの勝手な都合だろうが!!俺が一体何したってんだよ!!何が”魔王“だ!バカバカしい!俺は、普通に生まれて、普通に生きて来ただけだ!!」
流は、噛み千切るように叫んだ。
心の底から込み上げる怒りと、自分ではどうしようもない無力さが胸を引き裂く。
その目には、涙とも汗ともつかない湿りが滲んでいた。
「君の気持ちは、察するに余りある」
そう言って、十束は目を細める。
「だが、残念ながら君以外の人間にとって、君は“普通”ではない。君は生まれた時から“特別”だったのだ」
憐れむような十束の言葉に、流の涙を浮かべる。
「ちくしょう……ちくしょう……ちくしょう!ちくしょう!!何で俺がこんな目に遭うんだ!!俺は何も悪くない!!間違った事なんて何もしてない!!なのに、父さんも母さんもじいちゃんもばあちゃんも、村の皆まで死んで、なんで俺まで死ななきゃいけないんだよ……!!」
震える声と共に吐き出される想い。
流はこの数日、一体何度この想いを反芻しただろう。家族を奪われ、日常を奪われ、己の命さえも奪われようとしている彼が至る思考は、
「姉ちゃんが……悪い」
「姉ちゃんが……皆を殺したんだ。皆……死んだんだ……」
声が震え、言葉の端々が涙に滲む。
「殺すなら、姉ちゃんを殺せばいいだろうがァ……!!」
またしても十束に喰い付くように、流が身をよじる。
「……残念ながら、九頭龍 堰の行方は未だ不明だ」
申し訳なさそうに返す十束に対し、流の怒りの炎が再び燃え上がる。
「だったら俺が探す!俺が殺す!姉ちゃんを探し出して、俺が殺してやる!!俺は絶対に姉ちゃんを許さない!!必ずこの手で殺す!!邪魔をするなら、お前も殺す!!姉ちゃんを殺す為なら俺は、“魔王”にだってなってやるッ!!!!!!」
悪鬼のような表情で吼える流を、十束は冷徹な眼差しでじっと見ている。そして、
「そこまで姉が憎いか?」
問いかける。
「うるせえ!憎いに決まってる!絶対に見つけ出して、ブチ殺してやる!!!」
流の答えを聞いた十束は、
「……そうか。ならば君は———」
「刑事になりたまえ」
「……は?」
あまりにも予想だにしない発言に、怒り狂っていた流も一瞬呆然としてしまった。
「『特別公務員制度』と言ってね。国の為に異能を使う事を赦された倭人の事だ」
十束は淡々と説明を続ける。
「君の姉・九頭龍 堰は、“
そう言って、十束は流に問いかける。
「君が刑事となり、姉を逮捕すれば、凶悪なテロリストが一人、この国から“いなくなる”事になる」
流は、未だ感情が置き去りになっているが、十束の言わんとする事は理解出来た。
自分に分かり易よう、極力表現を選んでいる事も。
「本来、『特別公務員』となるには、厳格な審査と適性検査を通過する必要があるが、既に特別公務員となっている者の推薦があれば、その難易度は格段に下がる」
そこまで言うと十束は床に膝をつき、流と目線を合わせて、
「私が君を刑事へと推薦しよう。君は堂々と姉を追い、その為に異能を使う事が赦される」
十束は少し口元を和らげて、
「君が持つ魔王の力を、国の為に———“正義”の為に使ってみないか?」
怒りと困惑に満ちた流の目を、十束は曇りなき目で真っ直ぐに見据える。
流はしばし逡巡していたが、
「……信じて……良いのか?」
流は疑念に満ちた眼で、十束を見やる
「当然だとも。この国の——日本の未来の為に、君という“正義”が必要だ」
そう言って十束は右手を差し出す。それに対し、流は少し口角を釣り上げて、
「……いいぜ、なってやるよ。刑事にでも何でも。それで姉ちゃんを……堰をぶっ殺せるならな!!!」
流は左手を差し出し、十束の手を取る。
(いつか……お前も……!!)
これが、二人の出会い。
彼らは生まれた時から不倶戴天の“敵”であり、最期に刃を交える定めにあった。
——それから十年後。
都内。某所にて
「———なんだよオマエ、新米刑事(デカ)かよ!?ラッキーーーー!どうやら神サマはこの猿渡(さるわたり)様を見放していなかったようだな!」
金髪にアロハシャツを着た青年———猿渡が、渾身のガッツポーズを取ってみせる。
「オイ、オマエ!“冥土の土産”ってヤツだ……聞いてやる。名前はなんつーんだ?」
猿渡は憎々し気に笑いながら、問う。
それに相対するは、深緑を基調とした着流しに身を包み、日本刀を正眼に構える青年。
「俺は九頭龍 流。世に仇なす化け物を斬る——“魔王の仔”だ」
倭人伝 神薙 なぎ @kannagi0103
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