第3章「放課後の小さな秘密」
放課後のチャイムが鳴ると、教室の空気が一気にほどけた。
椅子を引く音、笑い声、部活の話題。いつもと変わらない光景のはずなのに、桜井美咲の心はどこか落ち着かなかった。
(……まだ、来てない)
スマートフォンは制服のポケットの中にある。授業中から何度も気になっていたのに、画面を開く勇気が出ない。
――もし、もうメールが来なくなったら。
そんな考えが頭をよぎるだけで、胸の奥がきゅっと縮こまった。
「美咲、一緒に帰ろー」
佐々木未来の明るい声に、はっと我に返る。
「う、うん」
二人で校舎を出ると、夕方の光が校庭をオレンジ色に染めていた。グラウンドからはサッカー部の掛け声が聞こえる。美咲は、無意識のうちにその方向をちらりと見た。
――誰なんだろう。
――私にメールをくれる人。
顔も知らない、声も知らない。
それなのに、たった数通の文字が、こんなにも心に入り込んでくる。
「ねぇ、美咲。あのメールの人、また来た?」
未来の問いかけに、美咲は一瞬だけ言葉に詰まった。
誰にも言えない秘密を持っているような感覚。胸の奥がくすぐったくて、同時に少しだけ怖い。
「……まだ。でも、たぶん……」
「たぶん?」
未来がにやりと笑う。
「絶対、また来るって思ってるでしょ」
図星だった。
美咲は何も言えず、ただ小さく頷いた。
家に帰ると、制服を脱ぐより先にスマートフォンを手に取った。
画面を開く。
――新着メール、なし。
少しだけ、肩の力が抜ける。
それでも、落胆よりも「待つ時間」そのものが、なぜか嫌じゃなかった。
夕食を済ませ、部屋に戻る。窓の外では、日が完全に沈み、街灯がぽつぽつと灯り始めていた。
ベッドに腰を下ろし、スマートフォンを握る。
そのときだった。
画面が、静かに光った。
今日の放課後、空がきれいでしたね。
――息が、止まった。
美咲は思わずスマートフォンを胸に抱きしめた。
心臓が、どくん、と大きく鳴る。
(……見てたの?)
同じ空を、同じ時間に、どこかで見ていた。
その事実だけで、胸の奥がじんわり温かくなる。
「……きれいでした」
短い返信。
それだけで十分だったはずなのに、送信ボタンを押したあとも、指先が画面から離れない。
少しして、またメールが届く。
そう言ってもらえて嬉しいです。
その一文を読むだけで、頬が熱くなる。
誰にも見られていないのに、思わず微笑んでしまう自分がいた。
(私、どうしてこんなに……)
怖い、という気持ちはもう薄れていた。
代わりにあるのは、期待と、安心と、ほんの少しのときめき。
この時間は、誰にも邪魔されない。
学校でも、家でもない、二人だけの場所。
――放課後の、小さな秘密。
布団に横になりながら、美咲は天井を見つめた。
今日あったこと、授業のこと、友達の笑顔。
それら全部よりも、今はメールの文章が頭から離れない。
「……また、明日も来るかな」
答えは分からない。
それでも、明日が少しだけ楽しみになっている自分がいる。
知らない相手。
知らない未来。
それなのに――
美咲の心は、確かに前よりも軽く、前よりも温かかった。
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