第3話 襲来! シャケ武将はどこだ!
「……ト、トリさぁぁぁぁぁん!!!」
月影の情けない絶叫が、北関東の寒空の下、安アパートの一室に木霊した。
歪んだ空間から飛び出してきたのは、鮮やかな雀色ボディに、飾りとしか思えないくらい小さな黄色いクチバシを持つ、カクヨムのマスコットキャラクター『トリさん』だった。
その愛らしい(?)見た目とは裏腹に、発散される威圧感はラスボス級だ。
トリさんは、月影の仕事机(ちゃぶ台)の上に、ドスン! と着地した。
その両翼には、スーパーのビニール袋が二つ、パンパンに膨れ上がった状態で抱えられている。
袋の中身は、赤黒く、濡れたように光る……何かだ。
「メリー・シャケマス(遅刻)なんだホッ!」
トリさんが高らかに宣言する。
「ふ、ふざけるな! 今日はもう28日だ! クリスマスはとっくに終わっている!」
月影が必死に抗議するが、トリさんは聞く耳を持たない。
そのつぶらな瞳が、月影のスマートフォンに向けられる。
「月影! 匂うんだホッ! 創作の匂いがプンプンするんだホッ! サボらず書いているかチェックしに来たんだホッ!」
トリさんは器用な翼さばきで、月影が書き上げたばかりの自信作『本能寺の変、信長が愛した幻の卵焼き』をスクロールし始めた。
月影は生唾を飲み込む。
サファイアの監修を受けたこの作品なら、文句はないはずだ。
静寂が数秒続く。
そして、……バンッ!!
トリさんが、ちゃぶ台を翼で叩きつけた。
「……おい月影」
「は、はい!」
トリさんが、クチバシを震わせながら絶叫した。
「『シャケ武将』は、何処に行ったぁーーーーーッ!!」
ボロアパートが揺れた。窓ガラスがビリビリと共鳴する。
「な、何を言っているんだ! 今回のカクヨムコンテスト創作フェスのお題は『卵』だぞ!
シャケは関係ない! これは信長が卵料理を愛でる、高尚な歴史グルメ小説なんだ!」
月影は必死に食い下がった。
「俺は、大賞(短編賞)なんて大それたものは狙っていないんだ! ただ、片隅の『奨励賞』に引っかかって、ささやかなアマギフと選評が欲しいだけなんだよ! だから邪魔しないでくれ!」
その『小市民的』な叫びに、トリさんは「甘い!」とばかりに鼻(クチバシ)を鳴らした。
「浅い! 浅いんだホッ!
志が卵の
トリさんは抱えていたビニール袋を、まるで王者の如く高々と掲げた。
袋の口から、どろりと赤いものが覗く。
それは、……『
卵膜に包まれたままの、生のイクラの塊だった。
「よく聞くんだホッ。卵とは、命の源。
では、広大なる海における命の源、赤い宝石とは何か……そう、イクラなんだホッ!」
「はあ!?」
「イクラはシャケの卵! つまり……お題『卵』=『イクラ』=『実質シャケ』! これがカクヨムの方程式なんだホッ!!」
トリさんの瞳が狂気じみた輝きを放つ。
「なんで、この小説にはイクラが出てこないんだホッ! 減点なんだホッ! 信長にはイクラ丼を食わせろホッ!」
「無茶苦茶だ! 奨励賞狙いの手堅い作品に、そんな爆弾を放り込めるか!」
月影が頭を抱えたその時、冷ややかな声が割って入った。
『……おい、そこの焼き鳥。アンタの理屈は破綻しているよ』
それまで様子を窺っていた黒猫、サファイアだ。 彼女は呆れたように尻尾を揺らしている。
『時は戦国、1582年。冷蔵庫もクール宅急便もない時代に、どうやって北海の新鮮な生筋子を、京の都の本能寺まで運ぶんだい?
塩漬けにしたって限度がある。歴史考証を舐めてるのかい?』
月影は心の中で快哉を叫んだ。
(そうだ! よく言ったサファイア! その通りだ!)
だが、トリさんは動じない。むしろ、ニヤリと笑ったように見えた。
「細かいことはいいんだホッ! Web小説に必要なのはリアリティじゃない……インパクト(勢い)なんだホッ!!」
『インパクトだと?』
「読者は『信長がオムレツを食べる』なんて生ぬるい展開は求めてないホッ! 『信長が本能寺の炎の中で、真っ赤なイクラ丼をかきこむ』……この
歴史の教科書より、脳汁が出る展開を書くのがカクヨム作家の使命なんだホッ!」
『……ほう』
サファイアの目が、少しだけ興味深そうに細められた。
(お兄ちゃん……あのでっかい鳥さん……おいしそう……)
足元では、三毛猫のさくらが、トリさんのふっくらしたお尻を狙って、お尻をふりふりしている。
月影はさくらの首根っこを掴んで静止させながら、最後の抵抗を試みた。
「い、いや、しかしだなトリさん! 物理的に無理なものは無理で……」
「問答無用なんだホッ! この筋子を使うんだホッ!」
トリさんは袋を逆さまにした。
ドチャアッ!!
大量の、本当に大量の生筋子が、月影の愛用するスマートホンと、書きかけのメモの上にぶちまけられた。
「うわあああああ! 俺の商売道具が! 生臭いぃぃぃ!」
「さあ、書くんだホッ! 今すぐプロットを変更して、この『卵(イクラ)』を登場させるんだホッ!」
月影は涙目になりながら首を横に振った。
「書けん! そんなトンチキな小説、俺のちっぽけなプライドが許さん!」
「書かないと言うなら……」
トリさんの目が、不吉な赤色に点滅し始めた。
「お前の『カクヨム・マイページ』の公開作品を、全部『非公開(下書き)』に戻す呪いをかけるホッ」
「ヒィッ!?」
それは、底辺作家にとって死刑宣告に等しい脅しだった。
積み上げてきたわずかなPVも、義理でいただいた数少ないレビューも、全てが闇に葬られる。
「や、やめてくれ! 俺のささやかな承認欲求を奪わないでくれ!」
『……月影、諦めな』
サファイアが、諦観のため息をついた。
『この鳥は、台風みたいなもんだよ。過ぎ去るのを待つしかない』
「サ、サファイア!?」
『それにね……悔しいけど、言ってることは一理あるかもね。「本能寺でイクラ丼」……その字面、狂ってて面白いじゃないか』
「お前までそっち側につくのか!?」
サファイアは、キーボードの上に散らばった筋子の一粒を前足ですくい、ペロリと舐めた。
『ん、悪くない筋子だ。……ほら、書きなよ。
どうせ守りに入ったって、奨励賞止まりだろ? だったら、常識の殻ごとぶち壊してみせな』
月影は天を仰いだ。
部屋中に充満する磯の香り。キーボードの上で輝く赤い宝石。
そして、仁王立ちする雀色の鳥。
「……くそっ、わかったよ! 書けばいいんだろ、書けば!!」
月影は、筋子まみれの手でスマホのキーボードを叩き始めた。
ヌルヌルする感触に耐えながら、涙ながらに文字を打ち込む。
タイトル『本能寺の変、信長が愛した幻の卵焼き』
↓
バックスペース連打。
↓
新タイトル『本能寺の変 ~敵はイクラにあり~』
「それでいいんだホッ! もっと赤く! もっとプチプチさせるんだホッ! 光秀にイクラを投げつけろホッ!」
トリさんのスパルタ指導が、深夜のアパートに響き渡る。
月影の、本当の悪夢(執筆)は、まだ始まったばかりだった。
── 続く ──
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