第四章 「日の出と共に」その3

 神域の外、魔獣が闊歩かっぽする平原に、一つの光が見えた。それは明らかに人が生み出した炎。

 ツミキは再び着地すると、方向を確かめ三度目の跳躍を行った。

 ——辿り着いたそこは、数十台の馬車が並んだ王都軍のキャンプ地だった。周囲には松明が設置され、武器を持った兵士が周囲を見張っている。またその四隅には、昼間に見かけた大きな檻が——忌避用きひようの魔獣が入った檻が設置されていた。

 ツミキが着地したのはキャンプ地の周囲から少し離れた暗闇の中。まだ見張りの兵もツミキの飛来に気づいていない。

 ——檻に入れられたあの魔獣達を失えば、彼らは撤退せざるを得ない。

 ミゾレが言っていた言葉に従い、ツミキは四隅の魔獣を排除しようと走り出した。

「——おや、あなたでしたか」

 その瞬間、正面に一つの炎が灯った。ツミキの前に立ち塞がったのは、目と鼻を隠す黒い仮面をつけたえんじ色の髪の男、大臣と呼ばれるあの不気味な男だった。

「っ、お前は……!」

「何やら不気味な気配が近づいてきたので来てみれば……。ここで何をしているんです?」

 不敵に笑う仮面の男。ツミキの本能が、この男の危険性を訴えていた。

 周囲に人の姿はなく、誰にもみられる心配はない。ツミキは腕から枝を展開し、仮面の男に襲いかかった。

「おっと。容赦なしですか」

 そんなツミキの攻撃を、仮面の男は難なく回避していく。大規模な攻撃の音に、一番近くで見張りをしていた兵士数名がこちらへ駆け寄っているのが見えた。

「——よそ見してると、足元を掬われますよ」

 次の瞬間、ツミキの頭上から何かが襲いかかってきた。一瞬先にその存在に気付いたツミキは、それをギリギリのところで回避する。

 地面を叩き割る轟音。空から飛来したのは、黒光りする鱗を持つ巨大な『竜』だった。

「失礼、頭上の方でしたね……」

「っ、魔獣⁈ どうしてここに——」

 言葉を交わす暇もなく、竜が再びツミキに襲いかかってきた。その攻撃を、ツミキは枝を使って防御する。

 竜に押し込まれ、ツミキの攻撃目標である忌避用魔獣の檻はどんどん遠ざかっていく。

 一方でツミキは、先ほどから自身の体に違和感を感じていた。

「なんだか変だ……。力が、思うよう出せない……?」

「大臣! 大丈夫ですか⁈」

「っ! コイツは、神域にいた男……! 大臣、離れてください!」

 そこに、王都の兵士が二人駆けつけ、戦況はますます木に不利になっていく。

 ツミキはあえて兵士達の方向へ走り、竜の攻撃対象を男達に変えさせようと試みる。しかし、竜は男達を無視してツミキだけを攻撃してきた。

「っ! なんでこの竜は、僕だけを狙うの⁈」

 この竜は先ほどから、ツミキだけを攻撃している。近くにいる他の人間——仮面の男や兵士達には一切興味を示さない。

 さらに言うのであれば、本来、忌避用魔獣が近くにいるこの場所に別の魔獣が近づくというのはおかしい。これはとても不自然であると同時に、一つの恐ろしい可能性をはらんでいた。

「——その竜が、私に『使役しえき』されているからですよ。簡単にいえば、その竜は私の命令で動いているのです。だから、私が行けといえばどこにだって行くし、——私が殺せといえば、誰だって殺すのです」

「えっ……⁈」

 大臣の口から放たれたその情報は、ツミキが感じていた恐ろしい可能性をさらに色濃くした。

「大臣⁈ それは機密では……」

「大丈夫です、この者はここで消します。それに、知ったところで何もできませんよ。魔獣の

『使役』が行えるのは私だけ、誰にも真似できないのですから」

 竜の背後で交わされる男達の会話。それを受けて、ツミキは頭によぎったその可能性をハッキリと口にした。

「待って……。じゃあもしかして、その竜は『勇者の力』が効かないの?」

「——ええ、効きません。『上位の魔獣だろうがなんだろうが、構わずに襲いかかれ』、そう命令を出してある限り」

 仮面の男はニヤリと笑うと、挑発するようにツミキの視線の先を——忌避用魔獣の入っている檻の方を振り返った。

「ついでに話すと、あなたの予想は当たっています。あの檻の中に入っている四体の魔獣、彼らも私の使役獣です。たとえ檻が壊されても、勇者の力で逃げ出すことはありませんよ」

「なっ! ——グハッ」

 竜の一撃が、直撃した。吹っ飛ばされ、地面を転がるツミキ。

 ——ツミキは、神域軍の作戦が崩壊したことを理解した。

 打ちつけた頭からは血が流れ、思考がスーッと冷静になっていく。

「……お前が死んだら、使役された魔獣達はどうなる?」

 ボロボロになった身体で、ツミキは仮面の男を見つめながら立ち上がった。

「まだ立ちますか。……そうですね、それもあなたの予想通りです。主が死ねば、使役されている魔獣に与えられている命令は無効になる——元の魔獣に戻りますよ」

 仮面の男はそう言って微笑んだ。同時に、竜がツミキにトドメを刺そうと襲いかかってくる。

「そっか……。じゃあ、目標変更だ」

 ——ピシュンッ。

 空気を切り裂く音が、暗い平原に響き渡った。

 勢いよく伸びた木の枝が、まるで弾丸のように竜の後ろ足を貫き、——その奥にいる仮面の男の右腕を吹き飛ばした。

「お前がいなくなれば、神域は助かる。お前はここで、僕が殺す……‼︎」

「——大臣‼︎」

 慌てて駆け寄る兵士達。一方で、当の本人は痛みに顔を歪めるでもなく、どこか他人事のように血が吹き出す傷口をそっと撫でた。

「ほう……、容赦がないですね」

 そんな男の不気味な反応に構うことなく、ツミキは宙に跳び上がった。狙いを定め、今度こそ男の命を——仮面ごとその頭部を撃ち抜くべく、木の枝を発射した。

「やれやれ……、面倒ごとが増えてしまうな」

「——え?」

 ——ゴォォゥッ‼︎

 赤い炎が、暗い夜空に線を描いた。炎は木の枝を燃やし、ツミキの身体にまで火をつけた。

 炎による熱さを感じるまでの刹那、ツミキは確かに見ていた。仮面の男が、消し飛ばされた腕の傷口から赤い業火を発し、ツミキの攻撃を防いだのを。

 ——炎が一つに収束し、失われた腕が炎で再生していくのを。

 猶予の刻は終わり、ツミキは炎の熱さにのたうちまわった。

「え……? 大臣?」

「大臣、今のは……?」

 一連の流れを見ていた王都の兵士が、信じられないという表情で仮面の男を見る。彼らの顔には困惑と疑念、そして隠しきれない警戒心がありありと浮かんでいた。

「まったく……、私も君のことをバカにできなくなってしまったね。見事だよ」

 仮面の男はそう言って、炎に包まれるツミキの方へ歩き始めた。そんな男の前に、剣を抜いた神域の兵士が立ち塞がる。

「止まってください……‼︎ 大臣ロウリュウ、あなたは、魔獣なのですか……?」

 兵士の言葉に答えることなく、仮面の男は歩みを続ける。

「っ! 止まれ‼︎ それ以上進めば——」

 竜の爪が、兵士の胴を引き裂いた。

「……失礼、手違いだ」

「え? 嘘だろ、おいっ‼︎ っ、貴様〜‼︎」

 ——ボッ。

 炎が、仮面の男に切り掛かった兵士の腹を貫き、その歩みを永遠に止めた。

 ツミキは全身から枝を伸ばすと、それを炎ごと自分から切り離した。

「ハァハァ、なんで……? なんであの人たちを……」

「あなたと同じですよ、守るためです。あなただって、あの少女を守るためにオオカミを殺したでしょう?」

 ツミキは駆け出した。不敵に笑うこの男を、これ以上野放しにしてはならないと思った。

「お前は、ここで殺すっ……」

 それは叫びではなく、単純な決意。独り言にも似たつぶやき。

 ツミキは腕から枝を伸ばし、それを四方に展開。炎に消されぬよう、全方位から男に狙いを定める。そして、掛け声と共にそれを男に突き刺した。

「……え?」

 ——視界が揺れた。

 ツミキには、何が起こったのかわからなかった。一瞬遅れて、自分が地面に倒れたのだと分かった。目だけ正面を見上げると、仮面の男は傷一つ負うことなく、どこか驚いたような顔をして立っていた。

「何を、した……」

 振り絞るように口にするツミキ。先ほどから、身体にうまく力が入らない。起き上がりたくても、起き上がることができない。

 そのとき、展開した木の枝が音を立てて崩れる音が聞こえてきた。

 仮面の男はその様子を見て、困ったように口を開いた。

「私は何もしていませんよ? あなたが勝手に、そこで倒れたのです」

「何もしていない? そんなはず——」

「大方エネルギー切れというところでしょうが、まさかこんな形で決着がついてしまうだなんて……。残念です……」

 男はそう言って、残念そうに笑った。

 次の瞬間、竜が横たわるツミキに影を落とし、その爪がツミキの身体をバラバラに引き裂いた。

 悲鳴をあげる時間もなく、ツミキは夜空の下、真っ暗な大地の上に文字通り散った。

「……さて、少々予定外のことがありましたが、あなたの役割は変わりません。日の出と共に神域へ飛び、戦闘が始まったらベールを破って神域へ侵入してください。目標は、すぐに見つかりますよ」

 薄れゆく意識の中で、ツミキは仮面の男の声を聞いた。

 竜が翼を広げ、どこかへ去っていく音が聞こえる。

「大臣! 無事ですか⁈ っ! 一体ここで何が……」

「勇者ヒノデの姿をした例の魔獣に襲われました……。二人の兵士の尊い犠牲によって、なんとか対象を倒すことができました。彼らを弔ってやらなくては……」

「っ……、そうでしたか……。人を呼んで参ります。大臣もこちらへ……」

 遠ざかる足音。

 ツミキの意識は、そこで途切れた。


     *     *     *


 東の空が明るくなってきた。

 私は、集まった一五〇人の神域の戦士たちの前に立ち、ゆっくりと彼らを見渡す。

 彼らは皆、闘志に満ちた目をしていた。神域を守ろうと、自分たちの故郷を守ろうと——彼らの瞳にはそんな決意が宿っていた。

 いや、それは甘えだ。本当はわかっている。彼らが守ると決めているものの中には、私——ミゾレ・シオンも含まれている。彼らは本気で、私のために命を賭けようとしているのだ。

 ふと、兵士たちの向こうに小さな子供たちの姿が見えた。それは、神域の子供達。そのなかには、あの時ヒノデの偽物に助けられた少年少女たちも含まれていた。

 捕まえたカイザーの話によると、あの偽物は私に会いに行くと言ったきり姿を消してしまったらしい。そして、見張りの者達の話と照らし合わせると、彼はあの浴場で姿を消してしまったことになる。彼は、一体どこへ行ってしまったのだろう……。

「ミゾレ様?」

 斜め後ろに立つハナコの声で、私は我に返った。

 ……関係ない。あの偽物のことなど、もう忘れろ。あれは亡霊だ。彼を忘れられない私が産んだ、ある種の亡霊だ。

 私は彼らの前で拳を掲げ、大きく息を吸い込んだ。

「——時は来た! 我々はこれより、我々が愛するこの神域の平穏を脅かす、王都の軍勢を迎えうつ!」

 私の声に応えるように、一部の男たちが雄叫びをあげる。

「敵は強大だ。きっと、多くの犠牲者が出るだろう……。そしてそれは、誰一人として例外じゃない! だからこそ、今一度! 自分の胸に聞いてほしい……。あなたがなぜ、自分の命を賭けて戦うのか、——あなたは何のために、その命を賭けて戦うのかを……‼︎」

 ——私は、何のために戦うのか。

 私は何と言って、私を守るために死のうとしている彼らに、応えればいいのだろう。

 ……行き着いた答えはとてもシンプルで、結局それは変わらなくて。それは結局、私の身勝手と区別がつかない。

 けれど、多くの人々がそれを望んでくれている。私の言葉を、待っている! だから私は、高らかに声をあげる。この言葉が、間違いなく光に繋がっていると信じて。

「——私は、ミゾレ・シオン‼︎ 勇者ヒノデの命により、神域を守る守護者‼︎ 私はこの神域を、愛する人々が暮らすこの地を、生活を、安寧あんねいを! 守り抜くために戦う‼︎ 今までも、そしてこれからも! 私は、神域の守護者であり続ける! だから今日、どうかこの一瞬! 私に力を貸してほしい! 私に続けっ! 戦士たち‼︎」

「「「「「「「うおぉぉぉぉぉぉ〜っ‼︎」」」」」」」

 戦士たちの雄叫びが、神域の山々にこだました。


 ——あなたが守り、最後に託してきたこの場所。

 ——私が守り、私を想ってくれる人々がいるこの場所。

 迷いはすべて、置いていく……。

 ——神域を守る! それだけが、決して揺るがない私の真実!


 やがて陽が、東の地平から顔を出し、戦士達のボルテージは最高潮に達する。

 私はマントをひるがえし、光に向かって歩き始めた。

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