第四章 「日の出と共に」その1

 ——その女性は、ミゾレの前で涙を流した。

 先ほど、ミゾレを守って命を落とした一人の男性。——目の前の女性は、その妻だった。

 ミゾレはグッと何かを堪えるように拳を握り、うつむいたまま小さく「ごめんなさい……」と呟いた。

「ミゾレ……」

 そんなミゾレに声をかけようと、ツミキは手を伸ばす。

「っ、動くな!」

 しかしその動きは、両脇に立った屈強な男達によって阻まれてしまった。

「離して! 僕はミゾレに——」

 とその時、ツミキの横を二人の男が担架を持って通り抜ける。そこに寝かされていたのは、左肩を矢で負傷したハナコだった。

 ハナコはツミキに気づくなり、痛みにより引きつった顔でツミキに向かって叫んだ。

「っ……、貴様は大人しくしていろ! わかったな‼︎」

 去り際に放たれたハナコの警告のような言葉に、ツミキはなんとか押し黙った。

 ふいに、ミゾレがこちらに目をやった。正確には、ツミキを左右から捕らえている男達に目をやった。

「っ! ミゾ——」

「——そいつを南の牢へ運んで。いつまたあの力を使うかわからない、警備は厳重に。……それから、カイザーを、あのリスの捜索も急いで。何をするかわからないから」

 反射的に声を出してしまったツミキの前で、ミゾレは淡々とそう言った。その目に光はなく、ただただ冷たく鋭い視線だけが、ツミキの無防備な心に突き刺さった。

「ミゾレ……? 待ってよ、僕は……」

 受け入れ難いその雰囲気と言葉に、ツミキは彼女にコミュニケーションの機会を求める。

 その瞬間、ミゾレの目が——その冷たい視線が、はっきりとツミキの方へ向けられた。

「——私に話しかけないで」

 そう言うと、彼女は視線を切って向こうへ歩きだした。

 遠ざかるその背中に、ツミキは必死で手を伸ばす。

「ミゾレ! ミゾレ〜‼︎」

「ほら行くぞ! 大人しくしろ!」

 男達に運ばれながら、ツミキは最後まで彼女の名前を呼び続けていた。


 ——ガシャン!

 たどり着いたのは天然の洞穴を活用した牢屋。黒い金属製の鉄格子てつごうしで正面を塞がれたその空間に、ツミキは放り込まれた。

「大人しくしていろよ? 妙な動きをしたり、脱走しようとしたら、俺たちも覚悟をしなくちゃならねぇ。俺たちだって、ヒノデ様の姿をしたアンタを傷付けたりしたくねぇんだ……」

 男はそう言って、牢の前の椅子に腰掛けた。

 ツミキは、この牢から抜け出せると思った。『木の力』を使えば、それはたやすいことだった。

 ——しかし、ハナコの言葉がそれを止めていた。神域の中で唯一、今日よりも前にツミキの正体を知り、それを隠してくれていたハナコ。ツミキにとって都合のいい状況を維持し続けてくれた彼女の言葉を、ないがしろにしない方がいいと判断した。

「ねぇ、ミゾレに会わせて! 僕はここにいるから、ミゾレをここに連れてきてよ!」

 だがそれは、ミゾレと再び会話することを諦める理由にはならなかった。

「……勘弁してくれ。俺だって、ミゾレ様ほどではないにしろ落胆しているんだ。それ以上、その姿で喋らないでもらえるか……?」

 男はそう言って、長く息を吐いた。

「嫌だよ! 僕はミゾレと話がしたいんだ! 僕がどうすればよかったのか、ミゾレに聞きたいんだ!」

「……あんた、急に何を言い出してんだ? 一体何が言いたい?」

「——僕はミゾレを笑顔にしたかったんだ! だからミゾレの前でヒノデのフリをしてた! なのにミゾレは悲しい顔になって……。だから! どうすればいいのか、ちゃんとミゾレに聞きたいんだ!」

 ガチャッ!

 鉄製の鞘が壁にあたり、金属特有の音を放った。

 目の前の男は勢いよく立ち上がり、その鞘から抜いたその剣を、強く強く握りしめていた。

「——もう黙れ。これ以上ヒノデ様を侮辱するな。……よ〜くわかったよ。あんたはやはり、ミゾレ様に会っちゃならねぇ。もう二度と、ミゾレ様の前に姿を現しちゃならねぇ……‼︎」

 次の瞬間、男は鉄格子の合間を縫って、剣先をツミキの首元めがけ勢いよく突いてきた。

「うわっ!」

 ツミキはそれを間一髪のところで避けると、檻のすみの方へと逃げ込んだ。しかし、奥行きにかけるこの牢に逃げる場所などなく、男の剣が繰り返しツミキに迫る。

「ちょっと待って! 僕は何も、ミゾレに対して酷いことをしたりしないよ! ただ僕は、あの子ともう一度話がしたいだけで——」

「——黙れっ! そんな貴様だから、もう二度とミゾレ様に会わせるわけにはいかないのだ‼︎ たとえどんな処罰が下ろうとも、貴様はここで俺が——、グハッ‼︎」

 ガシャーン……。

 次の瞬間、男の頭部が勢いよく鉄格子に打ち付けられ、持っていた剣がツミキの前に落下した。男はそのまま意識を失い、牢の前で前のめりに倒れる。その背後から、小さな茶色のリスが姿を現した。

「カイザー! 来てくれたの⁈」

「幸い、俺は見つかりにくいからな。森の中となりゃ、なおさらだ」

 カイザーはそう言って、男の腰からカギの束を取り出し、牢屋のロックを解除した。

「よし! これで逃げられる! ひとまず西の山に隠れて——っておい‼︎」

 奥の出口へ進もうとするカイザーを背に、ツミキはミゾレがいるであろう集会所へ向かって走り出した。すかさず追いかけてくるカイザー。しかし、全速力を出したツミキを前に、小さな身体のリスはぐんぐんと引き離されていく。

 極力きょくりょく人に見つからないよう森の中を進んでいくと、やがて集会所の屋根が見えてきた。

「見えたっ! ミゾ——」

「——止まれ! 何者だ⁈」

 屋根の上からの声で、ツミキは動きを止めた。見ると、集会所の屋根の上には弓矢を持った神域の大人達が立っており、数人で周囲を見張っていた。

 枝葉や草により、向こうからはまだツミキの姿は見られていないようだった。しかし、ただならぬその雰囲気に、ツミキは慌てて近くの樹木に身を隠す。

「出てこい! さもなくば、射る‼︎」

 ギリギリと音を立て引かれる弓。

 その直後、背後から追いついたカイザーが、音を立てツミキの身体に衝突した。

 ——ヒュンッ! ダッ!

 矢がツミキのそばを凄まじい速度で通り抜けた。

「(なんであんたはこう、面倒ばかり起こすかね……。後で合流だ! 集合場所は西の山の、川が二手に分かれている場所! いいな?)」

 そう言って、カイザーは草をかき分けながらツミキのそばを離れていく。

「リスだ! カイザーかもしれん! 追え!」

 その音を聞いて、屋根の上の見張り達はカイザーの方を追う。その隙に、ツミキはより安全に姿を隠せる岩陰に場所を移した。

「……ごめん、カイザー」

 そう言うと、ツミキは集会所の方を見た。建物までの距離はおよそ一五〇メートル。とてもじゃないが、音が聞こえる距離ではない。

 ——ツミキは、指から木の枝を伸ばした。

 細く長い一本の木の枝。それはぐんぐんと長さを伸ばし、地を這うようにして集会所の方へ迫る。その枝は、周囲の振動・周波数を音としてツミキに伝えた。

 徐々に人々の声が近づき、集会所が近いことを知る。しかし、あと少しというところで、枝は何か壁のようなものにぶつかってしまった。厚い壁は中の音を吸収し、内容を聞き取るまでには至らない。ツミキは、手探りで音の聞きやすい場所へと枝を伸ばす。

 そうしてついに、枝は音がクリアに聞こえる場所に辿り着いた。

 ——その直後、何かが木の枝を掴んだ。否。誰かが、木の枝を踏んづけた。

 ざわついた様子の内部の音。ピンチを悟り、ツミキがこの場を離れることを検討した瞬間——

『——どうしたの? ハナコ。何かアイディアが?』

『……いえ、少し傷が痛みまして。転びそうになってしまっただけです。続けてください、ミゾレ様』

『無理しないで、座っていなさい。……これは命令よ』

『……承知しました』

 ガコン。——そばで、椅子の足が床を打つ音が聞こえた。

 どうやら、木の枝は見つからずに済んだらしい。

 ツミキがホッと胸を撫で下ろすと、集会所内での会話が再開した。

『それでミゾレ様、どういうことなんじゃ? その作戦では、ミゾレ様が……』

『言ったとおりよ。私も戦場に立つ。そうでなくては、この作戦は成立しない』

『っ! 危険です! 奴らはミゾレ様の命を狙ってるんですよ⁈』

『そうです! ミゾレ様が戦う必要はない! 俺たちが王都の奴らを全員ぶっ潰せば済む話です‼︎』

『——それではあなた達が危険な目にあう! ……私の作戦は、奴らの「忌避用魔獣」を狙う。檻に入れられたあの魔獣達を失えば、奴らは魔獣から身を守る術を失い、撤退せざるを得ない。少なくとも、その時点で魔獣を追い払える私を安易に排除することはできなくなる。この作戦なら、あなた達が真っ向から戦う必要もないし、少人数でも勝ち目がある!』

 このミゾレの発言により、しばらく集会所内に沈黙が訪れた。

『……しかし、やはりミゾレ様が戦場にいるのは危険です!』

『私がいなければ、檻を破壊したとしても今度はその魔獣が人々を襲う。そんなことになったら、この作戦にした意味がない……』

『だから、俺たちは戦いますよ‼︎ 王都の奴だろうが、魔獣だろうが、ミゾレ様を狙う奴は誰だって——』

『——いい加減にしてっ‼︎』

 引き裂くようなミゾレの叫び声が、集会所の内部に響き渡った。

 普段は温和なミゾレのその声に、その場にいた誰もが口を閉ざした。

『私は……、あなた達に死んでほしくないの……』

 ミゾレの言葉に、長い静寂が訪れる。

 それを打ち破ったのは、枝の一番近くにいたハナコだった。

『……ミゾレ様は、守護者として責務を果たそうとされているのだ。この神域「タートル」のリーダーはミゾレ様、そして私はその補佐官代表だ。私はミゾレ様の覚悟を尊重する。貴様らだって、この作戦が我々神域の戦士達を想って立案されていること、まさか理解していないわけじゃないだろう……?』

 ハナコの言葉に、集会所内にグッと押し黙る空気が流れたのを感じた。

『……それでもそれは、「俺たち」の日常が狙われている時の話だ。ミゾレ様は、俺たちを守るためにずっと身を犠牲にしてくださった。だけど今、初めて「ミゾレ様」がその命を狙われてんだ! 俺たちだって、ミゾレ様のために戦いたい‼︎ 今度は俺たちが、ミゾレ様を守りたいんだ‼︎』

 その言葉は、そばにいた別の若者の心にも火をつける。

『そうだ! 今度は俺たちの番だ‼︎』

『ミゾレ様をお守りする‼︎ そのためなら、この命を賭けたって惜しくはねぇっ‼︎』

 熱を帯びる空間。雄叫びをあげ、闘志を燃やす戦士達。

『——っ!』

 そんな彼らを見て、ミゾレが耐えられないというように、先ほどの位置から歩き出すのがわかった。

『ミゾレ様っ‼︎』

 あとを追うハナコ。

 二人が去った後も集会所内の炎が衰えることはなく、むしろその勢いは増し続けていた。

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