間章 「ミゾレとヒノデ ——祈りと願い——」

 ——私は、ヒノデのことが好きだった。


 私——ミゾレは幼い頃に両親を亡くし、家を持たず、路地裏で生活していた。

 一人でではない。私と同じように、幼い頃に両親を亡くした三人の少女と、四人で暮らしていた。

 私たちは幼く、非力で、そして奇怪だった。

 私たち四人は全員、魔獣の『呪い』にかかっていた。両親を魔獣に殺され、その時『呪い』を受けた。ある者はツノが生え、またある者は魔獣を宿し、ある者は左眼が緑に染まった。

 人と異なる特徴を持つ孤児みなしごを、引き取ってくれる人は簡単に現れるものじゃない。四人の中では三番目に若い私——両親を亡くした時まだ赤ん坊だった私は、路地裏に捨てられているところを、後に私達の長女となる少女に拾われた。不幸中の幸いとは、まさにこのことだと思う。私は、育ててくれる人に巡り会えたのだから。それも、自ら探すことをせずに。

 ——意思が目覚めている状態で人々に拒絶された少女たちの悲しみと痛み、憎しみは、私とは比べ物にならないと思ったから。


 私たちは四人で生きてきた。食べ物を盗み、大人たちから逃げ、影の中を生きてきた。人から奇怪の目を向けられ、罵られ差別され、その中で絆を強固にしてきた。

 ——ヒノデが私達に現れたのは、私が十歳の頃だった。

 警戒する私達の前で、彼は「俺の友達になってくれ!」と言った。そして、「共に運命に抗おう!」と拳を空高く突き上げた。

 ——私達は、迷わず逃げた。


 ヒノデは変わった少年だった。一度完全に拒絶したはずなのに、それから何度も私達の前に現れては、「友達になってくれ! 一緒に運命に抗おう!」と口にした。そして、その度に私達に逃げられていた。

 ——どうやら私は、三人の中で一番のお人好しだったらしい。

 ある日、私は他三人に逃げられた後の彼に、声をかけてみた。

 私は彼が、そこまで悪い人だとは思わなかった。彼は、一度も私達の『呪い』について触れなかったから。その目に宿っているのが、純粋な好意に見えたから。

 もちろん、私は押しに弱く、人に強く言うのが苦手だ。というか自分の気持ちを伝えるのが苦手だ。そのせいもあっただろう。私はまんまと、彼と他三人の少女を繋ぐ橋渡し的な役割を引き受けることになってしまった。


 私達四人には、それぞれ役割がある。作戦を立案する係、現場で指示する係、実際に行動する係など。私以外の三人はその時々で役割が変わることもあったが、私はいつも同じ役割だった。——危険が迫っていないか監視する係。誰か来ないかを確認し、危険が迫れば伝える。動き回らず、実行役に比べれば危険も少ない、そんな役割しかできないことに、私は負い目を感じていた。

 ヒノデは、そんな私の仕事に感動してくれた。私が何気なくやっていることの一つ一つを、キラキラした目で驚いてくれた。

「すっげぇ! ミゾレは、危険察知能力が高いんだな! あと、多分耳も相当良いよ……。あっちから人が来てるなんて、俺、全然気が付かなかった!」

 嬉しかった。初めて、自分を見つけてもらったような気がした。

 それから、私は見張りの役割をヒノデと共にするようになった。他の少女達には、私が面倒を全て引き受けると説得し、彼の同行を許可してもらった。


 初めて一緒に過ごす男の子。偶然にも同い年ということもあり、私たちは色々な話をした。多くの時間を彼と過ごした。

 そして気付けば……、少し気になるようになっていた。

 そんなある日、私は彼に左眼を見られた。

 街の人々に気味悪がられて以来、私はずっと、この緑の左眼を隠して生きてきた。共にすごす少女達にだって、極力見せないようにしていた。

 ——そんな左眼を、初めて仲良くなった男の子に見られた。

 私は恥ずかしくて、怖くなって、彼の顔を引っ叩いた。困惑している彼を直視できなくて、私は隠れるように背を向けた。

 ヒノデは、笑っていた。

「俺と同じだな!」

 そう言って、自身の若葉色の瞳を指さした。

 ——その瞬間、私はヒノデのことが好きなんだとわかった。

 彼にそう言ってもらえたことが、嬉しかった。

 その瞬間から、この左眼は私の宝物になった。


 ヒノデのことが好き。そう自覚してから、私の毎日は大変だった。

 この気持ちをどうすればいいのか、さっぱり分からなかった。そんな私を、私以外の三人は不思議そうな目で見ていた。皆、ヒノデのことなど気にも留めていなかったのだ。

 想いを伝えようとも思った。けれど、恥ずかしくてできなかった。

 別に、わざわざ伝える必要もなかった。今のままで、充分幸せだった。

 ——ところがしばらくすると、他の少女達も彼のことを気にするようになっていった。

 私は焦った。けれど、彼がこれまで通り接してくれたから、それでいいと思った。


 私たちは彼と一緒に行動するようになった。

 彼は私達に見たことのない景色をたくさん見せてくれた。

 ある時、私達は彼と共に王宮に忍び込んだ。それは、人生でも有数のスリリングな体験だった。私達はそこで、彼のお気に入りの場所だという大きな木に出会った。

 王宮の裏庭に生えた大きな木。ヒノデは私達に、そこまでの抜け道を教えてくれた。私達は隠れてそこで遊んだ。やがてそこは、私達の『秘密基地』になった。


『運命に抗え』

 それが、彼の口癖だった。私たちの誰かが暗い顔をしている時、不安な時、挫けそうな時、彼はいつもこの言葉を口にした。

 私達もまた、自分たちの境遇に抗いたかった。何も持たない身でも、王宮に忍び込んでその木の下で笑い合う自由がある。私達は何だってできる。そう思える瞬間が宝物で——

 ——いつしかこの言葉は、私たちの合言葉になった。


     *


 ある日、ヒノデが悲しい顔をして「もう会えない」と言った。

 私が十二歳、彼と出会って三年目に突入した夏の日のことだった。

 慌てて理由を尋ねる私達に、ヒノデは自身が王子であることを明かした。

 ヒノデの一族は代々勇者を輩出しており、ヒノデの父親も勇者だった。その父親が魔獣との戦いで死に、ヒノデは父親のように死にたくはないと思った。勇者になる『運命』に『抗いたい』と思った。

 ヒノデは、自分たちの力だけで生き抜く私達のことが輝いて見えたのだという。それからというもの、王宮を抜け出しては私達に会いに来て、勇者にならずに生きる道を探していたのだと話してくれた。

 ——けれど先日、ヒノデはついに『勇者の力』に目覚めてしまった。

「俺はこれから、勇者として王国に仕える。だから……、もう皆には会えない……。ごめん」

 そう口にしてうつむく彼に、私たちは言った。

「運命に抗え!」

 と。

「勇者になってしまったからもう終わり? 勇者は必ず魔獣との戦いによって死ぬ? 甘えんな! そんな運命に抗えよ!」

 と。

 言葉は違えど、皆それぞれこのような想いを口にした。

 その言葉を聞いて、ヒノデは顔を上げた。そして、五人でパーティーを組むことを提案してきた。私たちは揃って、首を縦に振った。

「パーティーの名前は『シオン』。俺の好きな花の名前だ!」

 そうして私たちは、王宮に出入りする勇者パーティー『シオン』となった。


 パーティーを組んだ私達は、魔獣の撃退、神域の見回り、教育支援や祭典出席など、これまで経験したことのないことを多くやらされた。しかし、五人でやる以上、本質的には何も変わらなかった。

 私達は勇者パーティーとして、次々に戦果を上げていった。


 ——ある日、私はヒノデが一人で出かけていくのを見かけた。どこか様子が気になった私は、そっと彼のあとをつけることにした。

「尾行とは趣味が悪いね、ミゾレ・シオン様?」

 途中、彼を見失った私の背後から、ヒノデがそう声をかけてきた。

 悔しい気持ちを抑えながら、私は愉快そうに笑うヒノデに同行させてもらうことにした。

「ここって……」

 たどり着いた場所は、集合墓地だった。ヒノデはその中でも一際大きな墓石の前に立つと、そっと紫苑の花を添えた。

「——あれ、嘘なんだ。俺の好きな花がシオンだ、っていうの」

 沈黙を破るように、ヒノデはそう言葉を放った。

「……ほんとは父親の好きな花」

 それを聞いて、私はこれがヒノデのお父さんのお墓なのだと分かった。

「……ならどうして、パーティーを『シオン』っていう名前にしたの?」

「どうしてだろ……。俺、墓でいつもこの花を見てた。この花を見ると、父さんを思い出した。だから、皆んなに、俺を覚えていて欲しかったのかもな……」

 そう皮肉っぽく笑うヒノデ。その横顔を見て、私はたまらず叫ぶように口を開いた。

「忘れないよっ! だって私は、私はヒノデのこと——」

 そう口にしたところで、ヒノデと目が合う。その綺麗な若葉色の瞳が、私を捉えた。

「ヒノデのこと……」

 喉元まできているその言葉を、それでも私は口にできなかった。悔しくて恥ずかしくて、勇気を出せない自分がたまらなく憎くて、——気づけば私は、涙を流していた。

「……ありがとな。安心したよ。少なくともミゾレは、俺を覚えていてくれるって分かって」

 ヒノデはそう言って、私の背中をそっと撫でてくれた。

「違うの……。私、ほんとにダメな子なの! 今だって、こんなに苦しいのに、苦しいのに頑張れない……、勇気が出せない。私は、私は——」

「——ミゾレがほんとにすげぇ奴だって、俺は知ってる」

「っ〜‼︎」

 ヒノデの言葉に、私は泣き出した。ヒノデの胸の中で、私を見つけてくれた人の胸の中で、私の好きな人の胸の中で、勇気の出せない私をそれでも信じてくれる人の胸の中で、

 ——私はワンワンと泣き続けた。

「……本当はどれが好きなの?」

 散々泣いた後で、私はヒノデに尋ねた。

「え?」

「ヒノデの好きな花。お父さんのじゃなくて、ヒノデの」

 そう訊かれると、ヒノデは私に一枚の絵を見せてくれた。そこには、淡い青色をした花が描かれていた。

「これ。俺、この花が好きなんだ」

 ——その花の名前は、勿忘草わすれなぐさと言った。


 やがて時は流れ、私達とヒノデが出会って五年目の春。——私達は最強の敵と対峙した。

 私達は、何世紀にも渡ってこの大陸の人々を苦しめてきた『魔獣』、その発生源を見つけた。そしてその発生源こそが、現存する唯一の最上位魔獣——『灼熱』の魔獣だった。

 私達は、その魔獣を討伐することを決めた。迷いはなかった。それは、魔獣に人生を左右され続けた私達にとって、最大のレジスタンス——運命に抗うことに他ならなかったから。

 しかし、意気込む私達の前で、ヒノデが妙なことを言い出した。

「灼熱の魔獣には、俺一人で挑む。四人は、初代勇者が残した『神域』を守ってくれ!」

 突然の提案に、皆困惑した。灼熱の魔獣は、勇者の力など到底機能しないレベルの魔獣。本来であれば、勇者パーティーどころか、他国との連合軍で臨むべき相手。それだけ強大で、それだけ倒す意義がある敵だった。

 ——一人で行かせてしまえば死んでしまう、皆それが分かっていた。

 私達は当然反対した。しかし、ヒノデは譲らなかった。「俺一人で行かなければ、勝てない」という言葉すら口にした。

「神域が大切なんだ! 俺が灼熱の魔獣を倒しても、神域が壊れていては意味がない! だから、一番信頼できるこの四人に、それを託したいんだ」

 ますます困惑する私達に、ヒノデは右拳を突き上げ、あの言葉を口にした。

「——運命に抗え! ……大丈夫。俺は必ず帰ってくるよ」

 その言葉を聞いて、その顔を見て、私達は彼を送り出すことを決めた。


 ヒノデが最後の戦いに出る前夜、私はヒノデに想いを伝えようと決意した。

 私は精一杯のおめかしをして、王宮での彼の部屋に向かった。手には、勿忘草を——私だけが知っている、彼が本当に好きな花を持っていた。

 心臓は張り裂けそうなほど脈打ち、何度も足がすくみそうになった。けれど、この機会を逃したらもう二度と想いを伝えられる時は来ない、そう自分を鼓舞して進んだ。

 ヒノデの部屋はもうすぐそこ——というところまで来たその時、前方から誰かの声がして、私は歩みを止めた。耳を澄ますと、二つの声が聞こえてきた。一つは私達『シオン』のメンバー、幼い頃から私と一緒だった少女の声。そしてもう一つは、ヒノデの声だった。

 何かを感じた私は、気づけば柱の影に隠れていた。

「——私、ヒノデが好き! ずっと前から、好きだった……‼︎」

「っ⁈」

 聞こえてきたその言葉に、私は思わず口を塞いだ。しかし慌てていたため、持っていた花を落としてしまう。

「え? 誰かいるの?」

 私は一目散に逃げ出した。花も拾わず、振り払うように走った。自分がこんなに速く走れるなんて、知らなかった。

「……う、うぁ、……はっ! はは、あはははは!」

 中庭まで逃げてきた私は、壁に手をつき、溢れそうになる涙を堪えて——笑った。

「なんだ、結局逃げんじゃん! 散々逃げといて、また逃げんだ? あの時もあの時も、いつもいつもいつもっ! あの時勇気を出せてればさっ! こんなっ……! ことには……」

 私は崩れるように、膝から地面にもたれかかった。そして、泣いた。

「うあぁ、うあぁぁぁぁん……! っ、ぐふ、ああぁぁぁ……‼︎」

 涙はいつまでも止まらなくて、こんな日に限って星は綺麗で、私は一人で泣き続けた。


 結局私は、翌日の見送りには行けなかった。

 ヒノデがあの後なんと答えたのか、知るのが怖かった。ヒノデと顔を合わせるのが、怖かった。

 出発の鐘が鳴っているのを、私は遠くで聞いていた。

 そして、私はまた泣いた。意気地のない自分が憎くて、悔しくて、ヒノデに想いを伝えられなかった自分が情けなくて——

 ——だからせめて、私は祈った。彼が無事に帰ってくるように、手をあわせ祈った。


 結局彼は、帰ってこなかった。

 壮絶な戦いを繰り広げたのだろう。遺体はほとんど帰ってこなかった。

 灼熱の魔獣は封印され、この大陸に新たな魔獣が発生することはなくなった。人々はヒノデを、最後の勇者として讃えた。けれど、彼のそばにいた人々は、それを決して喜ばなかった。

 彼は、勇者として魔獣と戦って死んだ。それが事実だ。そしてそれは、彼がすべてを賭けて抗いたかった『運命』そのものだった。

 私達シオンは、バラバラになった。それぞれの胸の内を、明かし合うこともしなかった。ただ不思議と、それぞれが向かう場所だけは分かっていた。

 私は、髪を染めた。一房ひとふさだけ。彼が大好きだった、勿忘草色わすれなぐさいろに。

 ——彼を忘れない、その誓いの印として……。


 そうして私は、神域『タートル』の守護者となった。

 彼との最後の約束を果たすため。彼との絆を、残すために。

 けれど、彼を想えば想うほど、守護者として働けば働くほど、私の中でトゲが育つ。

 ——想いを伝えられなかった後悔が、今でも私のなかに残っている。

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