第二章 「木は浴場で動じない」その3

 集会所へ着くと、ツミキはここまで案内してくれた親切な女の子達にお礼を伝えた。

 集会所は三角屋根さんかくやねの大きな建物で、ツミキが訪れるのは二回目だった。

 中に入ると、高さのある天井と、一方向に向けられた沢山の椅子が目に飛び込んでくる。正面は舞台のように少し高くなっており、昨晩はあの場でミゾレが集まった人々に向けて話をしていた。正面の壁、その高い位置には何枚もの肖像画が飾られており、その一番右端には、あの少年の顔があった。

 ツミキは黙ったまま、しばらく少年の肖像画を見つめていた。

「——あんまり似てないよね、それ」

 ふいに、隣から声をかけられた。振り向くと、ミゾレはツミキのすぐそばにあった椅子に腰をおろし、ツミキと同じようにして少年の肖像画を見上げた。

「……あの人たちは誰?」

「あれは歴代の『勇者』達。この国の、特にこの『神域』の人々にとって、勇者は自分たちの生活を守るためになくてはならない存在だったの。だから、ここも含め色々なところで勇者が祀られているんだよ」

 ミゾレはそう言って、「アハハ……」と苦笑いをした。

「じゃあ、そろそろ行こうか!」

「行くって、どこへ……?」

「ヒノデの記憶を取り戻せるかもしれない場所だよ! それに……、さっきのことの説明もしたいからね」

 歩き出すミゾレに続いて、ツミキも集会所をあとにした。

 外に出ると、太陽に照らされた神域の景色が目の前に広がっていた。ツミキが立っている山とその左右、合計三つの山がすり鉢状の地形を形成し、正面の一箇所だけが平地となっている。それはまるで、玄関付きの天然の城壁。山から平地に向けてはいくつかの川が流れ、それに寄り添うようにして人々の集落が形成されている。空には蜜柑色のベールが煌めき、それがドームのように神域を覆っている。そのドームの中心、神域の中心にあたる土地には、まるで火口のような丸い穴がポッカリと口を開いていた。

「あそこまで行こう! ……ちょっとしたピクニックだね?」

 ミゾレはその穴を指さして、どこか楽しそうに歩き出した。

「……何笑ってんだよ」

 いつの間にか足元に来ていたカイザーが、ツミキの顔を見てそう言った。

「え? なんでだろう……。ミゾレが楽しそうだから、僕も楽しいな、って」

 ミゾレを追うように歩き出すツミキの足元で、カイザーは呆れたようにため息をついた。


「ぐ〜……」

 山を半分ぐらい下ったところで、それは突然聞こえてきた。発生源はツミキのお腹。その音の正体を確かめるように、ツミキは腹部に手を触れた。

「……お腹空いた」

「く〜……」

 ツミキがそう言った直後、すぐ横で小高い音が聞こえてきた。顔を向けると、ミゾレが両腕でお腹を抱え、誤魔化すように笑っていた。

「……先にお昼にしよっか。あそこのベンチに座ろ!」

「でも、僕たち食べ物を持ってないよ?」

「大丈夫! お弁当、持ってきたの」

 ミゾレはそう言って、斜めがけにしていた荷物を誇らしそうに掲げた。

 長方形の机と二対の長椅子が一体化した木製のベンチにたどり着くと、ミゾレはお弁当箱のフタを開けた。

「「おぉ〜……‼︎」」

 箱の中身は、サンドイッチと呼ばれるものだった。スライスされた楕円のパンの間に、野菜やチーズ、ハムなどの具材が挟まっている。空腹のツミキにとって、それは輝く宝石のようにも見えた。

「美味しそうでしょ? 今朝ハナコが作ってくれたの。色々言い方がキツいところはあるけど、本当は優しくて可愛い子なんだよ? さ、どうぞ召し上がれ」

「よっしゃ! ありがたくいただくぜ!」

「い、いただきます」

 飛びつくツミキとカイザー。二人はサンドイッチを手に取ると、大きく一口目をかぶりついた。

「……辛い」

「へ?」

「辛っ! なんだこりゃ⁈ カラシ入れすぎだろ!」

「そ、そんなはず——辛っ‼︎」

 涙目になる一同。信じられないという表情のミゾレが、サンドイッチの下に手紙のようなものが敷かれていることに気づいた。

『普通のお昼が食べたければ、その者達を置いて「一人」で帰ってきてください ハナコ』

 その文字を見て、ミゾレはすべてを察する。

「ごめん……、私がうかつだった。これじゃあ食べられないよね……」

「いや、俺は食えるぞ? 何を隠そう、辛いのは大好物だからな!」

 肩を落とすミゾレの横で、カイザーはカラシがたっぷり入ったサンドイッチを美味しそうに頬張った。それを見て、ミゾレとツミキはもう一度このサンドイッチを齧ってみる。二人は揃ってむせたあと、それをそっとカイザーの目の前に差し出した。

「ん、これ全部食っていいってことか? やったぜ!」

 美味しそうに頬張るカイザー。その横で、ツミキは小さくお腹を鳴らした。

「お腹すいた……」

 力なくそう呟きミゾレの方を見ると、彼女は困った様子ではなく、代わりにどこか恥ずかしそうな顔をして自身のカバンに手を触れていた。

「? ミゾレ、どうしたの?」

「えっ⁈ あ、えっと、そのね……」

 彼女は恥ずかしそうに目を泳がせた後で、

「……実は、私もお弁当を作ってきたの」

 そう言って、カバンの中から小さな箱を取り出した。

「で、でもね! 私料理は結構、というかかなり苦手で……、だからこれも、なんとな〜くが気分が舞い上がって作っちゃっただけで——」

 必死な様子の彼女をよそに、ツミキはその箱を受け取りフタを開けた。中に入っていたのは、真っ黒に焦げた小ぶりのハンバーグが数個と、ぐちゃっと形が崩れた玉子焼き、それから曲面がデコボコしたリンゴだった。別の袋には、スライスされた楕円形のパンが数切れ。

 ミゾレはそれらに目を落とすと、どこか悲しそうに笑った。

「ごめん……。これじゃあのサンドイッチと変わらないよね。……ほんとは、ヒノデが好きだったハンバーグを作って驚かせようと思ったの。けど失敗しちゃったから、誤魔化すように別のものを添えようとして、それもうまくいかなくて……」

 うつむくミゾレ。その寂しげな顔を見て、ツミキは箱の中のハンバーグを掴むと、そのまま口に放り込んだ。

「え? あっ、ちょっと——」

 慌てた様子のミゾレを前に、ツミキは口いっぱいにそれを頬張り、モグモグと口を動かした。

「……あ、おいしい‼︎」

 それは素直な感想だった。ツミキにとって初めてのその料理は、その感動が表情に現れてしまうほどに美味しく、魅力的だった。

「ほんと……?」

 目の前で、ミゾレの顔がスーッと明るくなっていくのがわかった。ツミキは構わず、次のハンバーグに手を伸ばす。その様子を見て、ミゾレが何かを噛み締めるように口をつぐみ、優しく目元をほころばせているのがわかった。

「あ、ごめん……。このままじゃミゾレの分が無くなっちゃう」

「ううん! 私の分はいいの! 全部食べて! ヒノデに、全部食べてほしい‼︎」

「え、いいの……?」

 ツミキがお弁当を食べ尽くすのを、ミゾレは最後まで嬉しそうに見守っていた。


 食事を終えたツミキ達は、再び歩き始めた。十五分ほど歩くと、ツミキ達は壁面が輝く不思議な洞窟に辿り着いた。暗がりの中をさらに五分程度進むと、天井が吹き抜けになった井戸の底のような場所に辿り着いた。

「おいおい、なんだよここは‼︎」

 周囲をぐるりと岩で囲われた円形の大きな広場。周囲は百メートルほど続く壁になっていて、上を見上げると、ぽっかり空いた丸い天井からちょうど南中に達した太陽が見えた。

 おそらくここは、神域の真ん中にあった火口のような穴の下なのだろう。しかし、だとすると予想外だ。神域の真ん中にあった火口は、夜空の下では仄暗く光を発していた。だからてっきり、その下には溶岩があるのだと思っていた。けれど、ツミキ達が立つ地面にはわずかな草と低木、そして苔が生えているだけで、溶岩はない。

 代わりに、その直径五百メートルほどの広場の真ん中には、赤く輝く半透明のクリスタルがあった。広場の二分の一程度を占める巨大なそれは、一部が地面に食い込む形で半球状のドームになっている。

 ——そしてその中に、巨大な亀の甲羅が鎮座していた。

「どう? 何か思い出さない?」

 周囲を観察しているツミキに、ミゾレがそう尋ねてきた。

 ツミキは改めて周囲を見回し、ゆっくりと首を振る。

「思い出せない。僕は、ここを知らない」

「そっか……。ここに来れば、何かを思い出してくれると思ったんだけどな……」

 ミゾレは少し残念そうな顔をして、赤いクリスタルの方へと歩みを進めた。

 カイザーはすでに一人で駆け回り、周辺を観察している。

 ツミキはミゾレを追うようにして、クリスタルの方へ歩み始めた。

「……ここはどこなの? あの赤いのは何? あの甲羅は何?」

「——これは、神域の『核』。神域を神域たらしめ、この土地全体にエネルギーを送っている特別なクリスタル。……つまり、これが破壊されれば、神域は崩壊する」

 返ってきた声は、先ほどまでよりもずっと低く、ある種の威圧感を持ったものだった。

「神域の、核……?」

「そう。そしてこれを守るのが、私たち『守護者』の役割。あなたから引き継いだ、大切な役目」

「え? それってどういう……」

 ——その瞬間、ツミキは異常に気づいた。自分の身体から、木の根が生えていたのだ。今のツミキは、どこも怪我をしていない。木の根を出そうともしていない。これまでの理屈でいけば、木の根は姿を現さないはずである。しかし今、それはまるで触手のように、ツミキの服の下からゆっくりと這い出ようとしていた。

「ん? どうしたの——」

 足を止めたツミキを不審に思ったミゾレが、こちらを振り返ろうとする。

 木の根を見られてしまえば、終わってしまう。女王の時と同じように、ツミキがヒノデではないとバレてしまう! 焦るツミキ。せめてもの抵抗としてしゃがみ込んだところで——

「——守るって、何からだよ⁈」

 ツミキと反対方向からカイザーが声をかけた。その言葉で、ミゾレの視線はツミキに達する直前で止まり、正面へ戻る。いち早く異常に気づきフォローしてくれたカイザー。その目はこちらに抗議の意思を示している。。しかし、ツミキにはどうしようもできない。

「……このクリスタルはね、封印なの。今は眠っているあの亀、『神獣』をこの地に留めている封印。私の役割は二つ。内側から封印を破ろうとする亀を止めることと、外側から封印を破壊しようとする存在を止めること」

「神獣? 封印? 初めて聞いたな! 外側からって、魔獣のことか?」

 ミゾレの気を引くため、矢継ぎ早に言葉を紡ぐカイザー。だが、そうしている間にも木の根は伸び続けてしまう。

「そう、魔獣から。けどそれだけじゃない。今一番の敵は……、王都の人間」

「王都の人間? どういうことだよ⁈」

「言葉通りよ。女王ハリマは、このクリスタルを破壊しようとしているの」

「なんでダヨ! 全然意味わかんねえヨ!」

「それは……」

 とその時、ミゾレが再びツミキの方を振り返ろうとした。焦るツミキ。カイザーは大きな声を出そうと息を吸い込む。

 その瞬間、広場の真ん中にあるクリスタルが赤く発光し、中で炎が舞い上がった。

「うわっ、なんだ⁈」

 突然の出来事に驚くカイザー。一方ミゾレは、特に慌てた様子もなくクリスタルへと歩み寄った。

「珍しい……。この時間に起きることなんて滅多にないのに……」

 中を見ると、先ほどまで真っ黒の石のようだった亀の甲羅が、溶岩のような紅色の模様と共に、大量の炎を撒き散らしていた。

「気にしないで。クリスタルの中の神獣が動いただけ。……もう大丈夫みたい」

 そう言って、ミゾレはクリスタルに触れた。

 その瞬間、亀が甲羅から顔を出し、ミゾレに向かって炎を吐いた。

「——危ない‼︎」

 ツミキは言葉を叫び、ミゾレの方へと駆け出す。しかし、炎はクリスタルに阻まれ、ミゾレに到達することはなかった。

 結果として残ったのは、ツミキの方へと向かうミゾレの視線だけだった。

「——とうっ‼︎」

 ツミキがミゾレの視界に入る直前、カイザーがツミキを壁際の低木に向かって蹴り飛ばした。それにより、ツミキの身体は低木の陰へと隠れる。

「え⁈ 何してるの⁈」

「いやちょっと、間違えてというか……、ハハ。(何やってんだお前! その姿が見られたらどうするんだよ!)」

「ご、ごめん……。あれ?」

 低木の中で、ツミキは自分の身体の変化に気づいた。先ほどまで伸びていた木の根は、みるみるうちに退いていき、やがてそれは完全に姿を消した。

「もう大丈夫みたい。ありがとう、カイザー」

 ツミキは低木から出て、危機が去ったことをその小さな戦友に示した。

「おい! え……? なんだよ、助かったぜ……」

 お尻を地面に下ろすカイザー。ミゾレだけが、よくわからない、という顔をしていた。

「……それで、何の話をしてたんだっけ?」

「覚えてねぇよそんなの……。ん? いやそうだった! 女王が神域を破壊しようしてるとか言ってなかったか? そりゃ意味がわからねぇよ! どうしてだ?」

 ツミキの言葉を受けて、カイザーは思い出したように飛び上がった。

 するとミゾレは、その顔をツミキに向けて、神妙な面持ちで口を開いた。

「それは……、私が『勇者の力』を手にしたからかもしれない」

 その言葉で、場の空気が一気に変わるのがわかった。

「……ようやく聞けるってわけか。あんたが『勇者の力』を持ってる、その理由を」

 高まる緊張感。そんな中、置いてけぼりをくらっているツミキはたまらず口を開いた。

「ねぇ、『勇者の力』って何なの? さっきから、ずっと話がわからないよ」

 ツミキが言うと、ミゾレは驚いたような顔をして、それから儚げに笑った。

「……そうだよね。説明するよ。まず、人類の魔獣への基本的な防衛策については覚えてる?」

「え? それは……」

「——魔獣は基本的に、自分より位が上の魔獣には近づかない。というより近づけない。だから、上位の魔獣が落とした爪や鱗、糞なんかを魔獣よけとして使ってる。もしくは、魔獣そのものを捕まえて忌避用に使うかだな。こんなとこだ!」

 返答に困っていたツミキに、カイザーが教えてくれた。

「そう。それができなければ、人々は魔獣と戦うことになる。様々な武器を導入し、大きな犠牲を払ってね……」

 ミゾレは悲しげに顔を伏せた後、スッと顔をあげて木を見つめた。

「勇者とは、魔獣を追い払う力を持った人間のこと。人間でありながら、魔獣たちに自分たちよりも上の位階であると認識される人間のことだよ」

「え? あ……、それであの時……」

 ツミキは、昨日のオオカミを思い出していた。動きを止め、逃げるように去ったオオカミのことを。そして、彼女に近づけず立ち去ったカンガルー達のことを。

「勇者ってのは国の守り神、なくてはならない存在だ。その力を持っているだけで、何の犠牲も払わずに魔獣から生活を守れる。それだけ特別な力で……、だからこの国の人間は、勇者を全力で讃えるのさ」

 皮肉っぽく告げられたカイザーの言葉。それを聞いて、ツミキはずっと感じていた違和感の正体に迫った気がした。

 この神域で、ミゾレはずっと尊敬されていた。特別に扱われていた。それは、彼女にその意思があったからではない。彼女がその場に存在しているだけで、人々は自分達の生活を守られる。だから彼女は人々にとってなくてはならない存在で、人々は彼女を崇めたてるのだ。

 それはすごく自然なことで、理解しやすいこと。

 ——けれど同時に、時折寂しい顔をみせる今のミゾレを紐解くヒントのようにも感じられた。

「……最初から持っていたわけじゃないよ。この力を手にしたのは、ヒノデがいなくなってから。このことが世間に伝わってない理由は、女王がそれを嫌ったから。——そしてこれが、女王が私たちを目の敵にしている一つ目の理由でもある」

「え? ……あぁ、そういうことかよ」

「どういうこと?」

 何かを察した様子のカイザーを見て、何もわからないツミキは説明を求める。

 そんなツミキの発言を受けて、ミゾレが言葉を続けた。

「女王は……、あなたの母親は、勇者の力を憎んでいるの。自分の愛する夫と息子、その両方を奪った『勇者』という運命を憎んた。それに頼らなくては生きていけず、勇者の力に寄りかる社会を、それを讃える人々やその構造を、女王は破壊しようとしているの」

 突然の話に、ツミキは理解が追いつかない。

「……ミゾレは勇者の力を持っている、だから女王はミゾレが嫌い?」

「正確には、勇者に依存したままの社会構造を持つ神域を……、ってとこだろうな」

 カイザーが足元で納得したように呟いた。一方で、ツミキは二人の言葉に頭を抱える。

「むずかしい……」

「簡単に言うと、女王は勇者が嫌いなんだよ! そんで、勇者を好きな人間も嫌いなんだ! だから、勇者が大好きなこの場所も嫌いなんだよ」

「……ちょっとわかった!」

「でも待てよ? なんでそれでクリスタルまで破壊したいんだ? 正直ここまでの話だと、神域そのものをぶっ壊す必要性を感じないんだが……」

「……あなた、口調の割に頭が回るんだね。別の守護者を思い出すよ」

 ようやく少し理解したというのに、すぐに二人は次の話を始めてしまう。

 カイザーの言葉を受けて、ミゾレがどこか観念したように口を開いた。

「その通り。女王に神域を破壊する理由はないはずだった。でも最近、女王の耳にある情報が入ったの。——神域の地下には、新時代のテクノロジーを支える地下資源が豊富に眠っている、と。女王の狙いはそれ。島に残る魔獣を一掃するため、そして、すでに水面下で始まりつつある他国との領土争いのために、その地下資源が必要だと考えたの」

 カイザーは、黙って先をうながす。ツミキはよくわからないから口を挟めない。

 そういえば、馬車の中で聞いた気もする。魔獣が居なくなるから、今度は人と戦わなくてはならないのだと。

「……けれど、歴代の勇者が守り続けてきたこの地を汚すその行為を、神域の人々は許さなかった。そこで女王は、彼女の憎む『勇者』という概念がはびこるこの地ごと、クリスタルを破壊しようと決めたの」

 そこまで話して、ミゾレはふと嘲るような笑みを漏らした。

「もっとも、そんな地下資源が本当にある保証は、どこにもないんだけどね……」

「は……? じゃあなんで、女王はそれを信じてるんだよ」

「情報の主を、女王はとても信頼してるから。ここ数年でメキメキ頭角を表した地質学者。今は王宮で大臣をやっている彼の情報を、女王は疑っていないの」

 その言葉に、ツミキは王宮で会った仮面の男を思い出す。大臣。あの仮面の男は、確か女王にそう呼ばれていた。

「なんだよそれ、怪しさ満載だな!」

「そう、だから私はここにいる。このクリスタルを破壊させるわけにはいかないから……。そんな、何も知らない人たちに……」

 そう言って、彼女はクリスタルの方を振り返った。声は熱を帯び、拳は強く握りしめられている。凜とした横顔には、確かな決意が宿っていた。

 ツミキは、話をすべて理解できたわけではなかった。正直、わからない話もたくさんあった。

 ——けれど、ツミキにも一つ重要なことがわかった。

 それは、彼女が何らかの難しい状況にいるということ。それによって、彼女があの頃のように笑えていないということ。

 ツミキは、彼女を笑顔にしたかった。そのために、このヒノデの姿で彼女に接近することを決めた。彼のフリを続ければ、彼女が笑顔になれると思っていた。

 ——だが、それだけでは足りないのだろうか……?

 ツミキが一つの疑念を抱いたタイミングで、向こうの方からメイド服のハナコが走ってきてこの話は終わりになった。

 例によってツミキと一緒にいたことを注意するハナコ。カラシ入りのサンドイッチに対する文句でそれを封じ込めるミゾレ。その姿は、十代の少女の元気なそれに見える。けれど——

 颯爽と歩き去るミゾレの横顔が、ツミキにはどこか寂しそうに見えた。


     *


 集会所に戻る道を歩く中で、ツミキはミゾレと一対一で話がしたいと思った。彼女に聞きたいことが、たくさんあった。

 しかし、ミゾレの周りには常に誰かがいた。さらに言えば、ツミキの周りにも誰かがいた。もちろんそこには、正体不明のツミキを目の敵にしているハナコの意思が働いていたのは間違いない。けれどそれを抜きにしても、先ほどのようにミゾレと二人で話ができる時間はとても貴重で、簡単には訪れないものだった。

 ツミキはチャンスを待ち続け、——やがて陽が沈み夜になった。

「これが、お風呂……」

 目の前には石造りの大きな浴槽があった。周囲には高い壁があるが天井はなく、どこまでも広がる空と吹き抜ける夜風が心地よい。

 そこは神域にある共同の温泉施設だった。昨日はろくにおもてなしもできなかったことを気にした神域の人が、神域の人々との交流も兼ねて、ということで案内してくれたのがこの場所だった。

「うほぉ〜! 大浴場だぜ〜‼︎」

 ふと、隣から興奮した声が聞こえてきた。見るとそこには、面長で顎鬚の生えた二十代そこそこの男が一糸纏わぬ姿で立っていた。

「カイザー、また人の姿になった」

「へ? ったく、だから言っただろ? 昼間はリスの姿になってしまう——それが俺の『呪い』だって」

 そう言って浴槽の方へ駆け出すカイザー。それを見て、ツミキもまた浴槽の方へ向かった。


「うぃ〜、極楽ごくらく〜」

 湯船に浸かったカイザーが、そう声を漏らした。ツミキもそれを真似、声を漏らしてみる。

 温泉の温かさにまどろんでいると、入浴を共にする神域の人々が声をかけてきた。

 ツミキはその人たちとの会話を続け……、ふと彼らに一つ質問を投げかけてみた。

「……どうしたら、ミゾレと二人で話ができるかな。ミゾレはいつも誰かと一緒にいて、全然一人きりにならないんだ……」

「ミゾレ様と? あ〜、どうだろうな。確かに、ミゾレ様は家にいる時でも側に人がいますからね。……でも、ヒノデ様が声を掛ければ人避けくらいしてくれると思いますぜ!」

 肉体労働によって培われた筋肉がたくましいおっさん達は、そう言ってガハハと笑った。

「それが、そう簡単でもないんだ……」

 ツミキがそう言うと、おっさん達は何かを察したようにうなずいた。

「……ああ、ハナコちゃんですか。確かにあの子は、ミゾレ様の補佐官代表ですからね。悪い子じゃないんだが、いつもピリピリしてていけねぇ」

「でも確かに、それだけと難しいかもしれないですな……」

 難色を示すおっさん達。とその時、一人のおっさんが興味深いことを口にした。

「——あ、でも入浴の時は一人になるって聞いたことがあるな。昔からの習慣なんだとか。湯浴みの時は、浴場はおろか建物にも人をいれないんだとよ」

「あ、俺も聞いたことあるな。じゃあ、風呂場に忍び込めば間違いなく二人きりだ!」

「「「ガハハハハ!」」」

 楽しそうに笑う男達。しかしツミキにとって、その情報は純粋にありがたいものだった。

「それはいつ? どこにいけばいいの?」

 ツミキが言うと、男達は揃ってキョトンとした顔を見せた。それから示し合わせたようにニヤーッと笑うと、笑いながらツミキの肩やら背中やらを叩いてきた。

「うちの若えのは根性ねぇからな! 頼むぜ勇者様!」

「この建物はやがて閉館する、ミゾレ様が入るのはその後だ! まあ、それくらい誰でも知ってることよ! 伝えたところで罪はねぇよな?」

 愉快そうに笑う男達。よく分からないでいるツミキの肩に、カイザーが手を置いた。

「ツミキ……。俺は今、あんたと出会ってから一番ワクワクしてるぜ‼︎ 協力は任せろ!」

 高らかな笑い声が夜空へ飛んでいく。そうしてツミキは、閉館の時を待った。

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