第一章 「勇者ヒノデ」その2

 リスに連れられるがままに王宮を走り抜け、二人は道を走っていた馬車の荷台に飛び込んだ。布で覆われた大きな荷台。暗い内部へ忍び込むと馬車は速度をあげ、二人を見失った王宮の兵士たちはみるみるうちに小さくなっていった。

「……ありがとう」

 息が整ったタイミングで、木が言った。

「いやいいんだ。あんたには一度、助けてもらってるからな」

 コミカルな目つきの茶色いリスは、おどけた調子でそう言った。

「……しかしあんた、気味悪いとは思わなかったのか? 喋るリスなんてよ」

 木は、リスという言葉を理解できた。昔、木の下で少年が使っていたからだ。目の前にいるこの形をした生き物のことを、リスと呼ぶのだ。

「それって、おかしいの……?」

 木の言葉に、リスは顔をしかめた。

「おかしいの、って……、そりゃ普通じゃないだろ。リスは喋ったりしないんだ」

「でも、君は喋ってる」

 間があった。

「ヘッ!」

 突然リスは笑い、それから木に歩み寄ってきた。

「俺の名前はカイザー。あんたの名前は?」

 木は答えに困った。なんと答えたらいいか分からない。そもそも、自分には名前というものがないのだ。

「ない……。名前は、ないんだ……」

「記憶喪失か? どうりで! あんたボーッとしてるもんなぁ!」

 カイザーは、愉快そうにまた笑った。

「でも呼び名がないと不便だな。なんて呼んだらいい?」

 その時、木はあの五人の子供たちのことを思い出した。いま木が姿を模倣もほうしているこの少年と、四人の少女。彼らは、木のことを指差してこう言っていたはずだ——『ヒミツキチ』と。

「……ヒュ、シュミキキチ!」

 馬車が揺れ、舌がもつれた。うまく発音できなかったことを自覚し、木は言い直そうとした。

「——ツミキか!」

 けれどリスは納得したように頷いた。

「え? いや……」

「ん? どうしたツミキ」

 木は訂正しようかと思ったが、特に困ることもないと思い直しそれを受け入れた。

「し〜かしツミキ、あんたほんっとに勇者様そっくりだな! 王都のジジババ達が見たら泣いて拝むだろうぜ、きっと!」

 カイザーの言葉に、ツミキは首を傾げた。

「勇者? ……そうだ。どうして僕は、勇者って呼ばれているの?」

「しらねぇのか? あんたはこの国にいた勇者、勇者ヒノデにそっくりなんだよ」

「ヒノデ……。そう、ヒノデだ! この子、あの子達にヒノデと呼ばれてた!」

 ツミキが言うと、カイザーは不審そうな顔をした。ツミキは構わず、次の質問を口にした。

「でも勇者? 勇者って、どういう意味?」

「おいおいマジかよ! この国では、五歳の子供でもそれを知ってるぜ? 勇者は、この国を魔獣から守ってくれる存在だ。この国には代々、特別な力を持った勇者ってのが現れて、そいつが国を守神になるのさ。勇者様のおかげで、この国は大陸一の繁栄を保ってきた。俺たちの生活があるのも、勇者様のおかげってワケだ」

「守神、勇者……。この子が……」

 ツミキは自分の手を見つめた。

 不思議な感覚だった。思えば、自分は彼らのことをまるで知らないのだ。自分はただ、あそこにいて彼らが来るのを待っていることしか出来なかったから。

 それで十分、幸せだったから……。

 するとカイザーが、どこか嘲笑ちょうしょうするように不穏な言葉を口にした。

「……ま、俺は勇者なんてまっぴらごめんだけどね! 力を崇められ、期待されて、徹底的に使い潰される。魔獣に喰われて死ぬ運命の勇者に比べたら、俺の人生は平和なもんよ!」

「喰われて? この子は、誰かに食べられて死んでしまったの⁈」

「……さあな。勇者ヒノデの最期は、誰も知らねえんだ。二年前、勇者ヒノデは一人で魔獣のボスとの闘いに向かった。だから、誰もその最期を見てない。現場に残されていた残骸から、死んだと判断されたんだ。……あんたの姿を見て喜んでいた連中は、心のどっかではまだ受け入れてないのさ。勇者ヒノデは死んでなんかいない、ってな」

 気づくとツミキは、淡々と言葉を紡ぐ目の前のリスをじっと見つめていた。

「……カイザーは、なんでも知っているんだね」

「なんだよ急に。言っただろ? これは常識。あんたが何も知らなすぎるんだよ」

「ううん……、やっぱりカイザーはすごいよ」

 ツミキは、希望を抱いていた。なんでも教えてくれるこのリスなら、カイザーなら、あの子達のことを知っているかもしれない。あの子達が今どこにいるのか、あの子達に会う方法を、教えてくれるかもしれない。そう思った。

「ねえカイザー、教えて欲しいことがあるんだ。昔、ヒノデには仲が良かった子供達がいたんだ。僕はその子達を探して——」

 そこまで言って、ツミキは動きを止めた。カイザーも、同じようにしていた。理由は同じ。二人とも、この場にいる別の人物の存在に気づいたからだった。

「……お兄ちゃんたち、だあれ?」

 高く幼い声がした。見ると、薄暗い荷台の奥に一人の男の子が立っていた。

 一目見て、ツミキは不思議に思った。彼が黒い檻の中にいたからだ。荷台の前後を区切るように縦に伸びた金属の棒。よく見ると、他にも三人ほどの子供達がその中に囚われていた。

 状況が掴めないツミキの横で、カイザーがその小さな手のひらを頭にこすりつけた。

「……マジかよ。とんでもねぇ馬車に乗っちまった。こりゃ、人さらいの馬車だ」

 カイザーは「人さらい」というものについて説明してくれた。しかし、それはツミキにとって重要なことではなかった。ツミキの目には、彼らの怯えた表情、暗く沈んだ表情が強く残った。

「——というわけだ。つまり俺らは、ここに長居するわけには行かねぇ。さっさと降りて、後で通報し……、っておい‼︎」

 隣で説明を続けるカイザーを無視して、ツミキは子供達の方へ歩み寄った。近づいてみると、子供達の目に涙の跡があるのが見えた。その瞬間、ツミキは悲しい気持ちになった。それはツミキの胸の奥を締め付け、体温を少し下げた。

「……勇者様?」

 ふいに、子供達の一人がそう言った。その言葉をきっかけに、後ろにいた子供達もツミキの顔を見て口を開く。

「え? 勇者様……?」「ほんとだ、勇者様だ」「勇者さま……!」「勇者様が来てくれた!」

 その瞬間、ツミキは見た。子供達の顔に、一斉に光が差していくのを。それはまるで太陽が夜を塗り替えるときのように、象徴的な光景だった。

「……大丈夫だよ。大丈夫……。だから、泣かないで?」

 ツミキが言うと、子供たちは泣きながらツミキに抱きついてきた。檻越しに、その手がツミキの身体に触れた。そこから、痛みと安らぎが同時に流れ込んできた。

 目の前の子供達は、この少年を——ヒノデのことを信頼しているのだ。それはもう、とんでもないほど。どんな痛みも、過去のものにできるほどに……。

「すごい……、この子達はみんな、僕のことを知っているんだね」

「そりゃそうさ。その姿は『魔獣まじゅう』の親玉を封印した伝説の勇者、勇者ヒノデそのものだ。この大陸は魔獣の支配から解放した、歴史上最後の勇者だからな」

「……そういえば、魔獣って?」

「あんたって、なーんも知らないんだな」

 カイザーは笑いながら、ツミキにいくつかのことを教えてくれた。

 この大陸には、『魔獣』と呼ばれる獣が存在しているということ。この大陸の人間は魔獣から身を守るように集落を作り文明を発展、今はそれぞれが国家として存在していること。かつてツミキが木として生えていたここは『セントラル』という国で、特別な力を持つ『勇者』の存在によって大陸一の国家だったということ。近年、勇者ヒノデの功績によって魔獣の数が減少を始めたことで、各国が領土開拓に動き出していること。その中で、『勇者』の力に頼りっぱなしだった『セントラル』が軍事競争に負けぬよう躍起になっていること。

「——皮肉なもんさ。セントラルは魔獣がいたから大陸一の国家でいられた。勇者ヒノデは大陸中の人々を魔獣の恐怖から解放したが、代わりに母国を窮地に追い込んでしまったわけだ」

 茶色いリスは、最後にそう付け加えて嘲るように笑った。

「カイザーは、本当に色々なことを知っているんだね」

「まあ……、な」

 正直、ツミキにはうまく飲み込めない話も多かった。わからないことがたくさんあった。

 だから、ツミキは自分のそばで眠る子供たちを見つめた。その安心した顔を見ると、ツミキの心も安らいだ。

「……あの人も喜ばせてあげたかったな」

 ツミキは、王宮で出会った女王のことを思い出した。

「ねえカイザー、あの人はなんで僕のことを拒絶したの? なんで、僕のことを恐れていたのかな」

「あの人? ……ああ、女王のことか。そんなの簡単だろ、あの『木』を見たからだよ。お前の腕がくっつくところを見たからだ。……なんだよその顔。普通、人の腕は切れたらくっつかないんだ。早い話が、あんたは魔獣だと思われたんだよ」

 カイザーの言葉を、ツミキはよく咀嚼した。

「……カイザーも、僕を魔獣だとは思ってるの?」

「どうだろうな……。わからねぇ。だが少なくとも、俺はあんたを魔獣だと断定はしない。世の中には、いろんな奴がいるからな……」

 リスは、自分の手を見ながらそう言った。

 その言葉はある種の熱を宿していて、ツミキはそれを素直に受け取ることができた。

「——決めた。僕、もうあの力は使わない。もう誰かの前で、腕を切られたりしない」

 唐突なツミキの言葉に、リスはその目をパチクリさせる。

「おお……、そりゃ懸命だと思うが、どうしてそんな意気込んでんだ?」

 少し困惑気味のカイザーに、ツミキは頬をわずかに引き上げて口を開いた。

「思いついたことがあるんだ」

 それはもう、素敵な素敵な思いつきだった。

「僕はこの姿で、あの子達に——」

 ——とそのとき、檻の奥から何やら空気が漏れるような音が聞こえてきた。

「なんだ⁈」

 すかさず立ち上がるカイザー。ツミキは子供達のそばを離れないようにして、音のする方を見た。

 筒の中から、煙のようなものが出ているのが見えた。

 次の瞬間、カイザーが荷台に倒れていた。身体に触れて呼びかけても、返事はない。

「カイザー? カイザー、……って、あれ?」

 やがてまぶたが重くなり、ツミキも同じようにして荷台に身体を打ちつけた。

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