ギガウィズ

 ギガントビースト&ウィザーズ・ジェネシス――通称『ギガウィズ』。




 巨獣と呼ばれる大型モンスターを討伐しながらその素材で自分を強化し、次々に現れる新たな巨獣の討伐を目的とする、いわゆる『狩りゲー』の金字塔である。


 国内外合わせたシリーズ累計販売数は8000万本を超え、ゲーム好きなら名前を知らぬ者はいないほどの有名タイトルである。


 俺もシリーズ初期からのファンで、今でも最新作が出れば有給を使って一気にやり込んでしまうほどのめり込んでいる。


 だから、あの日も俺は仕事を終えて帰宅したあと、寝る前にちょっとだけのつもりでゲームを起動して、そのままうっかり寝落ちしてしまったはずだった。




 ――そして、次に目を開けて見れば鬱蒼とした樹海の中である。




 最初は夢だと思っていた。


 樹齢何年とも知れない巨木の合間をぬって歩いている間も「やけにリアルな夢だなぁ」程度にしか思っていなかった。


 おかしいと気づいたのは、獅子獣ライドネルと遭遇してからだ。


 これが夢なら、何か不思議なパワーで撃退できるのでは――最初はそう思ったが、とくにそのような兆候はみられなかった。


 それよりも俺の胸の中を満たしていたのは、本能的な恐怖だ。


 ライドネルの咆哮を聞いたとき、俺は自分が『捕食対象』でしかない事実を痛感した。


 逃げなければならない。逃げなければ喰われる。


 気づいたときには、俺は全力でその場から遁走していた。


 そして、赤毛の女剣士に救われた。救われて、気を失って、次に目が覚めたときにはきっといつものベッドの上で目が覚めているだろうと思っていて――。




(いや、なんでだよ……!?)




 目が覚めたとき、俺はまったく見知らぬ天井の下、女剣士と同じベッドの中にいた。


 何かの比喩でない。本当に同じベッドで寝ていた。


 俺も彼女も服は着たままだから、たぶん知らぬ間に致していたりはしないと思う。


 気を失った俺を介抱するために連れ帰って、そのまま一緒に眠ってしまったのだろうか。


 それにしたって無防備な気もするが、考えてみれば彼女はあのライドネルと正面から斬り結ぶくらいの強者なわけで、俺など取るに足らない存在と判断したのかもしれないが……。




(けっきょく、夢ではないのか……?)




 ゆっくりと体を起こしながら、部屋の中を見まわす。


 そこはそれなりの広さがあるワンルームの一室のように見えた。


 石造りのレトロな風合いで、窓から差し込む日差しは明るいが、室内自体は少し薄暗い。


 ゲーム的に言うならが、いわゆる『マイルーム』といったところだろうか。


 といっても、部屋の様相は凄まじく乱れていた。


 床が見えなくなるくらいに埋め尽くされたゴミの山の上に、脱ぎ捨てられた防具や放り出された武器が乱雑に転がされている。


 部屋の奥にはアイテムボックスらしき大きめの木箱があるが、その蓋は開きっぱなしで、中に無理やり詰め込まれていたものが今にも溢れ出しそうになっていた。


 いわゆる『汚部屋』状態といったところか。




「ん……起きたの……?」




 聞こえてきた声に、俺はギョッとする。どうやら女剣士も目を覚ましたらしい。


 慌ててベッドから飛び降りると、女剣士はキョトンとした様子で俺を見た。




「どうしたの? ……あ、ひょっとして、あたし、臭う?」


「いや、そういうわけじゃ……」




 女剣士はスンスンと自分の匂いを嗅いでいる。天然系か……?




「オジサンは、なんかいい匂いするよね。おかげでいつもよりよく眠れちゃった」




 ニィッと笑いながら言って、女剣士はその場で伸びをする。


 戦っていたときは無骨な鎧を身にまとっていたが、今は黒のタンクトップにデニムっぽいショートパンツという格好だ。


 細身ではあるが出ているところは出ている体型で、なかなかに目に毒ではある。


 しかし、オジサンとは心外な。まあ、アラサーではあるし、彼女くらいの年齢からすれば十分にオジサンなのかもしれないが……。




「ねえ、オジサン、名前は? あたしはアトラ」




 女剣士がベッドの縁に座りながらこちらに向きなおり、改めて自己紹介をしてくる。


 そういえば、助けてもらったのに名乗っていないどころか礼すら言えていなかったな。




「俺は、坂枝諒。さっきは助けてくれて、ありがとう」


「サカエダリョウ? 長い名前だね」


「あー……諒でいい」


「ふーん? じゃあ、リョウ、なんであんなところにいたの?」




 そんなことは、俺のほうが知りたかった。




「それが、分からないんだ。気づいたら、あんなところにいて……」


「ひょっとして、記憶喪失とか?」


「えっ? いや、そういうわけじゃ……」




 そう言いかけて、言葉を飲む。


 この場合、むしろそういうことにしてしまったほうがよいのではないだろうか。


 今の俺がおかれている状況がどのようなものかは分からないが、少なくともここが現代の日本であるとは思えない。


 それはつまり、俺がこの世界における常識を何も知らないということでもあった。


 記憶喪失というのは、そんな俺にとって絶好の言い訳なのではなかろうか。




「あー、いや……そう、かもしれない。名前以外、よく思い出せないな」




 俺は頭が痛むふりをして、記憶喪失のオジサンを装うことにした。




「そうなんだ。ねえ、それじゃリョウ、よかったらあたしに雇われてみない?」




 頭痛の演技については完全に無視して、いきなり女剣士――アトラが言ってきた。


 雇われてみないって、まさか……。




「い、いや、俺は君みたいに戦うことは……」


「そんなこと分かってるよ。巨獣を見て怖くて震えてるようなオジサンに、一緒に戦ってほしいなんて言わないって」




 焦る俺に、アトラはニカッと笑ってそう言った。


 どうやらその言葉に皮肉や嘲りといった悪意はなさそうだが、わりとグサッとくるな。




「見てよ、この部屋。汚いでしょ。あたし、整理整頓って苦手なんだよね」




 アトラがぐるりと首をめぐらせながら言う。


 いちおう、彼女なりにこの部屋が汚いという自覚はあるらしい。




「ルームサービスを雇えばいいんだけど、いまいち好みの子が見つからなくてさ」




 溜息を吐きながら肩をすくめ、それから俺のほうを見て再びニカッと笑った。




「ねえ、記憶喪失なら行くあてもないんでしょ? ウチで寝泊まりしてくれいいから、あたしのルームサービスになってよ」


「それってつまり、俺が好みのタイプだったってこと?」


「えっ?」




 しまった。心の中にとどめておくはずの言葉が口を突いて出てしまった。


 アトラがキョトンとしたように目を丸くしたあと、ボッと音が出そうなほど一瞬で顔を真っ赤に染め上げる。




「べ、別に、ちょっとくたびれた感じの顔にキュンときちゃったりとか、汗臭いのになんか妙に安心する匂いがすっかり気に入っちゃったとか、そんなことはないけど……」




 あ、ぜんぶ自己申告していくスタイルなんだ。


 いや、可愛いけど。間違いなく、可愛いんだけども……。




(こんな都合のいい話、ないよな。やっぱり、これは夢と思うべきか……)




 顔を真っ赤にして慌てふためくアトラを眺めながら、俺はそっと溜息を噛み殺した。


 一瞬、エンタメ界隈でよく目にする『異世界転移』なんて言葉が脳裏をよぎりもしたが、いくらなんでも現実にそんなことが起こるはずはない。


 これはきっといつもよりリアルでちょっとだけ長い夢だ。そうに決まっている。


 ——とはいえ、夢なら夢で、せっかくなら楽しんでしまうべきだろう。


 俺は誰にともなく頷くと、アトラに向けて言った。




「分かったよ、アトラ。俺でよかったら、君のルームサービスをさせてくれ」


「えっ!? いいの!? やったー!」




 アトラは素直に喜んでくれた。なんだったら、その場でバンザイをしてるくらいだ。


 まずはやれることからはじめてみよう。


 俺が愛してやまない『ギガウィズ』の世界を体験できるんだ。


 どうせなら、隅々まで楽しみきるまで目覚めないでほしいものだが……。


 まあ、きっとそこまで都合よくはいかないよな。




 ……いかないよな?


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