問題篇・下――猫を追うより皿を引け

 バステトとフィデリスは、ひとまず通信機でアンノウンに連絡することにした。


UNKNOWNアンノウンはとても困った」

 とアンノウンは言った。身も蓋もない返事である。


 この「UNKNOWNアンノウン」とは、彼の一人称だ。最初はばつに感じたバステトも、今ではすっかり慣れてしまった。


「困った、って言われても、ボクたちだって困っちゃうよっ!」

 バステトが通信機に向かって訴える。


「……あるじ、こっちに来てくれる?」

 フィデリスは尋ねた。バステトと会話していたときより、心なしかこわが甘い。


「元よりUNKNOWNアンノウンも、そちらへ向かうつもりだ。今後のことは、合流してから決めることにする」

 あっけらかんと告げて、アンノウンは通信を切り上げてしまった。


「もぉ〜。テキトーなんだよなぁ、あるじってば」

 バステトは愚痴をこぼす。


 怪盗アンノウンは、絶対に人を殺さない。

 だが、この現場が発見されれば、世間は「怪盗アンノウンがついに殺人を犯した」と報道してしまうだろう。予告状は既に出しているのだ。


「もういっそ、死体埋めちゃう?」


「……隠し通せれば良いけど。日本で死体を完全に処理するのは、簡単じゃない」

 指摘するフィデリス。

「……真犯人を特定できないかな」


「それこそ簡単じゃないよぉ。もしもたまごがダイイングメッセージだとしてもさ、たからの意図なんて、結局は主観でしょ? ボクらが正確に読み解くのって、すっごく難しくない?」


「……あれ、見て」

 フィデリスは人差し指を伸ばし、窓を示した。


 見れば、キッチンの窓には銃痕のようなが入っている。


「うん、外から狙撃されたみたいだね」

 バステトは確認する。


「……雪に足跡の痕跡もなかった。犯人は家の中まで侵入せずに、外から狙撃してそのまま立ち去ったんだと思う」


「なんか、ずいぶん雑な犯行だよね。確実に殺す、ってつもりじゃなかったのかな」


「……それは珍しくない。暗殺者にとって大事なのは、痕跡を残さないこと。一撃で仕留めろ、って依頼者がこだわってたら従うけど、そうじゃなかったら、まず痕跡を残さないことを優先する」

 フィデリスの言葉には、元暗殺者としての説得力があった。

「……まあ、腕の良い暗殺者なら、一撃で仕留められるほうが普通だけど。日本には、優秀な暗殺者が少ないから」


「へえ、そういうものなんだ」


「……それより大事なのは、ってところ。犯人が現場に侵入していた痕跡はないし、もし侵入していたら頭か胸を撃って確実に殺しておいたはず」


「そりゃそうじゃない? 偽装するんだったら、その血溜まりを使って誰かの名前を書いておけば良いんだし。たまごを握らせる、なんてヘンテコなやり方のダイイングメッセージを偽装しても、意味が伝わらないのが普通だろうしね」


「……そう。使ってところも、重要」

 室内をゆっくりと歩き回りながら、さくを言葉にしていくフィデリス。

「……もしも、バステトが私に殺されたら、なんてメッセージを残す?」


「急に嫌な仮定を持ち出さないでっ!?」

 バステトは抗議する。


「……? 


 銃撃を受けた状態で、冷蔵庫のたまごを掴み、倒れた衝撃で割れないようにそれを両手で包み込む。これはかなりの手間だ。

 血文字ならば、腹部からの出血を利用して、横たわったあとでも書ける。


 たからは、


「確かに。それはフィデリスちゃんの言う通りだね。つまり、たからってこと?」


「……しかも、たまごという物体を通して残そうとしたメッセージは、だと思う」


 たまごを手放して血文字を残す――という選択肢は最期の瞬間まであったはずなのだから、そういう結論になる。


「んぅ〜。結局それって、前に進んでないんじゃないかなぁ。なんて、ぜーんぜん思いつかないよぉ」

 弱音をくバステト。


「……完全に表現不可能とは限らない。少なくとも、だったってこと」


「ふむふむ。それで、名探偵フィデリスちゃんの見解は?」

 バステトは茶化すような態度でく。


「……真面目に考えて。私もそれ以上は分からない」


「ごめんごめんっ。でもさ、無理に犯人の情報を探る必要はなくない? あるじが到着したら、きっと上手いことやるでしょ」


「…………」

 フィデリスはバステトの顔をじっと見つめる。


「えっ、ちょっ、フィデリスちゃん? じーっと見つめられると、照れちゃうんだけどっ」

 かすかに顔を赤らめて、視線を逸らすバステト。


「……怒ってるんだ、バステト」

 バステトの内心を見透かして、フィデリスは言った。


「えっ……」


「……私は平気。死体にも殺人にも、慣れてるから。……なのに、どうしてバステトが怒るの?」



 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠



 アンノウンが到着したとき、バステトはほっと胸を撫で下ろした。


あるじぃ〜! なんとかしてよ、この死体! 勝手に死んじゃってさぁ、もうヤになっちゃうよね!」


「死体が悪いわけではない、とUNKNOWNアンノウンは考える」

 真面目に応じるアンノウン。


 現在、彼はすずというたから邸を訪れていた。

 アンノウンはを持っているのである。


 すずは三十代の女性で、たからの愛人だった。背が低く、肉付きの良い体型だ。


「……あるじ。これが、たからの遺体」


 フィデリスの導きで、アンノウンは遺体に近づく。


たまご、か。なるほど、これが犯人の特徴を表現しているのだと仮定するなら、として捉えるべきだろう。UNKNOWNアンノウンはそう考える」


「最もシンプルな……、って、どういう意味?」

 バステトは首をかしげる。


 例えば『タマコ』や『ラン』という名前の人物が犯人なのだろうか?

 いや、その場合は血文字で書き残したはずだ。


 アンノウンは続ける。

「彼は死の直前、暗殺者のを捉え、それを伝えるためにたまごを手に取り、割れてしまわないように両手でおおった。そこにたまごしかなかったからたまごを使った、という程度の消極的な理由ではない。血文字などで補足しなかった以上、、とUNKNOWNアンノウンは推理する」


「……もしかして」

 フィデリスが呟く。


「そう、犯人の特徴とは――」

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