ハンプティ・ダンプティ氏のシンプルな遺言

葉月めまい|本格ミステリ&頭脳戦

問題篇・上――皿嘗めた猫が科を負う

 雪が降り積もる夜、フィデリスは手慣れた様子でピッキングを行い、玄関扉をけて家宅内に侵入していく。


「ひゅーっ! さすがフィデリスちゃん!」

 後ろから続いて侵入したバステトが、軽い口調で褒めそやす。


「……うるさい。静かにして」

 小声で応じるフィデリス。彼女は灰色の覆面ふくめんかぶっており、声が少しくぐもっていた。


「ねえねえ、フィデリスちゃん。ボク、すっごく寒かったよぉ。ちょっとだけ、温め合ってから行かない?」

 バステトは無邪気に提案する。


「…………」

 フィデリスはそれを無視して歩みを進めた。


「ちょっ! 置いてかないでよぉ〜!」

 慌てて追従するバステト。



 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠



 たからという男は、美術品の売買をちゅうかいしている、悪質なブローカーだった。

 客に粗悪なレプリカを掴ませて大金をむしり取ったり、恐喝まがいの強引な交渉で美術品を買い叩いたりと、悪い噂はえない。


 そんなたからの所有する絵画が、怪盗アンノウンの今回の標的だ。

 バステトとフィデリスは事前にたから邸に侵入しておき、あとでアンノウンと合流する計画になっていた。


「……すごく静か。まるで、誰もいないみたい」

 フィデリスはいぶかしげな口調で指摘する。


「えぇっ? たから自身はいるはずだけどなぁ。靴もあったよね?」

 バステトは記憶を探って応じた。それにフィデリスも頷く。


「……寝てるのかも。怪盗が来る夜に、不用心すぎる気はするけど」


「不用心って言うなら、警備もまったくないみたいだし、今さらだけどね」


 アンノウンは仕事の際、必ず予告状を出す。今回も例外ではない。

 それなのに、たから邸には警察どころか、私兵の姿もなかった。


「盗まれても良いって思ってるのかなぁ? これだけ不用心ってことは」


「……あり得る。警備するほど、お金の無駄」

 フィデリスは得心とくしんした雰囲気で言った。


 怪盗アンノウンは必ず、仕事を果たす。盗みに失敗したことは一度もない。

 どれだけ厳重な警備で固めても無意味だと諦め、最初から一切の警備をしないという選択は、大胆だが合理的である。


 ブローカーであるたからの場合、利益を生み出しているのはコネクションと、よく回る二枚舌だ。

 現時点で所有している美術品をいくつか盗まれても、大した損害にはならないと判断したのかもしれない。


「警察も呼ばないのは、やっぱり色々やましいことがあるのかなぁ」

 家宅内の間取りを調べながら、バステトは呟く。

「キッチンも見ておく? あんまり関係ない場所だけど」


「……うん。全部、確認しよ。あるじが来てから何か起こったら困る」

 アンノウンを「あるじ」とうやまうフィデリスは、この状況下においても警戒心をゆるめていないようだった。


「おっけー」

 一方、すっかり油断していたバステトは、気軽な口調で言いながら扉をけた。


「……バステト、下がって」

 咄嗟に臨戦態勢を取り、バステトの前へ出るフィデリス。


「えっ!? わっ!?」

 バステトは慌てて一歩、引き下がる。


 キッチンから、強烈なただよっていた。


「……誰も、いないみたい」

 フィデリスは冷静に告げて、キッチンのあかりをける。手探りでスイッチを押したのだろう。


「わぁーお……。こりゃあ、静かなわけだね」

 冗談めかして言い、引きった笑みを浮かべるバステト。


 白い冷蔵庫の、ひらきっぱなしのドアの下に。

 肥満体の中年男性――たから――の遺体が、腹部から血を流した状態で横たわっていた。



 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠



「……まだ温かい。死後、約一時間経過。……死因はたぶん、腹部に銃撃を受けたことによる失血。……貫通してる。バステト、銃弾を探して」

 フィデリスは遺体をぎわ良く検分けんぶんしていく。


「う、うん!」

 床に転がっている銃弾は、すぐに見つかった。バステトはそれをハンカチで丁寧に包み、拾い上げる。

「あった! 日本では、あんまり流通してない種類のたまだね。プロの仕業かな」


 バステトはフィデリスをちらりと見る。

 アンノウンと出会う以前、フィデリスは暗殺者として闇の世界で生きていた。まだ十歳にも満たない頃からだ。


 犯罪組織はターゲットを油断させるために、いかにも暗殺者らしい人材より、を暗殺者として育てる傾向がある。

 プロフェッショナルの暗殺者が関与しているとすれば、子供から老人まで、全ての人間に警戒すべき状況となるだろうな、とバステトは思った。


「……ねえ、バステト。これ」

 遺体の手を持ち上げて、フィデリスが示す。


 バステトは遺体に近づき、覗き込む。

「何か、持ってるの?」


 たからの遺体は、両手で包み込むように何かを持っていた。


「…………」

 フィデリスは遺体の手を退かす。

「……たまご?」


たまご、だねぇ。どこからどう見ても」

 バステトも言葉を反復はんぷくする。


 それはどことなくシュールな光景だった。

 腹部を撃たれて死んでいる男が、まるで孵化ふかを待つ親鳥のように、たまごを両手で包み込んでいたとは。


 フィデリスは立ち上がり、冷蔵庫の中を調べ始める。

「……このパックのたまご、一つだけ減ってる。撃たれてから倒れるまでの間に、手に取ったのかも」


「冷蔵庫のドア、いてたもんね。撃たれてる部位もお腹だし、即死じゃなかったとしてもおかしくはないか」

 バステトは、うんうんと頷いて言う。

「ただ一点、ってところだけが意味不明だけど」


「……ちょうど手に取ったときに、撃たれたとか?」

 推測を口にするフィデリス。


「うーん、それならこんな、両手で大事に持たないんじゃない? 放り出しちゃうでしょ。見たところ、スーパーで売ってるような普通のたまごみたいだしさ」

 バステトは反論した。どうやらたからは、悪徳ブローカーのわりに質素な生活を好んでいたらしい。


「…………」

 フィデリスは不満げに黙り込む。


「いやぁ、ボクもあんまり考えたくないし、絶対そうだ、って言えるほど、自信があるわけじゃないんだけどさ……。これってもしかすると、なんじゃない?」

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