解決篇――猫にもなれば虎にもなる

 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠



 たからの死から、半年ほどが過ぎた。


 新聞紙やニュース番組では「ついに殺人に手を染めた怪盗アンノウン」と題して、何度も特集が組まれている。

 よくこんなにも飽きないものだなぁ、とバステトは思う。


「……どこ行くの? バステト」

 フィデリスが尋ねてきた。分かっていながら、あえていているのだ。


「ん、ちょっと野暮やぼ用。すぐ戻るからねっ」

 普段通りのおちゃらけた態度で応じるバステト。


「……そう」



 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠 𓃠



 外に出ると、冷気が全身にまとわりつく。

 自分は犯罪者だ、と思い出す。


 しばらく街の中をぶらついてから、バステトはスーパーマーケットに足を踏み入れた。

 そこで、一人の女性を捉える。


 ベビーカーを押している五十代くらいの彼女は、一見、ごく一般的な母親のようだ。

 だが、その正体がであることを、バステトは知っている。


「ふうん、たまごが好きなの?」


 暗殺者がたまごのパックを手に取ったとき、バステトは声を掛けた。


「え……? えっと、私に言ってます?」

 一般人を装い、動揺した素振そぶりを見せる暗殺者。


「お前に言ってるんだよ、人殺し」

 バステトは容赦なく続ける。

たからの殺害は成功したと思ってるんでしょ? でも、そう上手くいくものじゃないよ。彼はちょっとしたダイイングメッセージを残しててね。、って告発してたんだ」


「意味が分かりません。わけの分からないことを言わないでください!」


 暗殺者の抗議を無視して、バステトは一方的に語る。

たまごといえば当然、。それを胎生たいせいである人間に置き換えて考えれば、メッセージの意味は一目いちもくりょうぜんだったってわけ」


「…………」

 暗殺者はバステトをにらんで黙り込む。バステトが自分と同じ、裏側の人間だと見抜いたのだろう。


 ベビーカーの上の赤ん坊だけは、何も知らずにすやすやと眠っている。


たからの身近にがいなければ、血文字で『妊婦』って書き残すだけでおしまいだったんだろうけどね。ちょうど彼はらしいよ。それで、たまごっていう物体が持つをメッセージに使った。一つはさっき言った通り、子供を外の世界から保護するからとしての、概念的な意味合い。もう一つは、


 物体が文や絵と異なる最も大きな特徴は、ということ。


「単に妊娠してるってだけじゃなくて、。だからたからは文や絵じゃなく、たまごそのものをメッセージにした。『妊娠して約六ヶ月以後の妊婦』なーんて冗長な文章、書き終える前に死んじゃうもんね。絵で描くのも伝達ミスの危険性が高すぎるし」


 一般的に妊婦のピクトグラムは『髪の長い頭』と『腹部の出た胴体』という二つの特徴によって表現される。

 だが、薄れゆく意識のふちでそれを描いても、単に肥満体である女性や長髪の男性との明確な差は生じない。かえってメッセージは煩雑はんざつ化してしまうだろう。


「そんなことを私に話して、どうするつもりですか? 化け猫キャット

 暗殺者はく。


「へえ。ボクの通り名を知ってくれてるんだ。光栄だね」

 ちょう気味に笑うバステト。

「別に話してあげたことに深い意味はないよ。次からは気をつけてね、って思ったくらいかな。頭の良い人なら、これくらいすぐに推理しちゃうんだからさ」


「親切心のつもりにしては、ずいぶん殺気を感じますよ」


「あはは、そりゃそうだ。。でも、さっきのも嘘じゃないよ。せっかくあるじが濡れ衣を着てくれたんだし、家族を引き離すことってボク自身も大嫌いだからね。お前があっさり捕まっちゃったら、親を失うその子が可哀想だ」


 バステトはを、抑えながら言った。


「仕事の現場がかち合った件は謝罪します。ですが、我々の間ではよくあることだと思いませんか? こちらには、怪盗アンノウンを罠に嵌めようという意図はありませんでした。むしろ、アンノウンが進んで濡れ衣をかぶったのでは?」


「あー、ボクはそんなことを怒ってるんじゃないよ。その点はお前が言った通り、あるじのおひとしなところが出ただけだし」

 溜め息をくバステト。

「お前、化け猫キャットって通り名を知ってるなら、忠犬ドッグほうも少しは知ってるよね?」


「…………」

 暗殺者は黙って頷く。


「ボクはさ、忠犬ドッグに引きり戻そうとする奴が大嫌いなんだ。死だとか、殺人だとか、そういうものを忠犬ドッグに想起させる奴は、徹底的に潰してやるって決めてるんだよね。その赤ちゃんに免じて、お前は怪我させないであげたけど。とにかくさ、やめてほしいんだよ。忠犬ドッグに死体を見せるのは」


嗚呼ああ、なるほど。理解しました。君がさっき、たからのダイイングメッセージについて説明したのは、私を脅すためだったのですね? 忠犬ドッグに近づいたら罪を告発するぞ、と」


「心外だなぁ。さっきのはほんとに、親切で説明してあげただけだってばぁ」

 バステトはくすくすと微笑ほほえむ。

忠犬ドッグに近寄る変な奴を、そんな生半可な罰で許してあげるわけないでしょ?」


「…………」

 あおめた表情を浮かべる暗殺者。人殺しのプロフェッショナルでさえ恐怖を感じるくらいに、バステトの殺気は激しい。


「できれば、日本から出ていってくれないかなぁ? うっかりまた出会ったら、。そんなの、お互いに嫌でしょ?」

 そう告げて、バステトは暗殺者の返事を待たずに歩き出す。

「じゃ、そーゆーことだから。お願いね。もう二度と会わないことを祈ってるよ」





――――『ハンプティ・ダンプティ氏のシンプルな遺言』了

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