俺のオムレツ作り、部下に『世界崩壊の儀式』だと勘違いされる。~卵を割ったら神獣が出たので、火力源として再利用します~

楓かゆ

タイトル思いつかない

 凍てつくような冷気が、古城の石壁を這い回る夜だった。

 外は猛吹雪。俗に言うホワイトクリスマスというやつだが、この異世界においてそれは「氷河期の再来」やら「氷の精霊王の激昂」やらと呼ばれる厄災の一種らしい。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 俺、ヴァイン・アークライト――表向きは帝国最強の魔法使いにして、裏社会を牛耳る闇の貴族――にとって、今の状況は非常にまずかった。


「……腹が、減った」


 玉座の間で、俺は深刻な顔をして呟いた。

 いや、正確には「腹が減った」と言いたかったのだが、職業病とも言えるポーカーフェイスと、やたらと低いバリトンボイスのせいで、それは深淵からの呪詛のように響いてしまったらしい。


「御意」


 玉座の足元に跪いていた美女が、弾かれたように顔を上げた。

 セラス。俺の筆頭配下であり、傾国の美女にして、ひとたび戦場に出れば「鮮血の戦乙女」として恐れられる魔族だ。

 豊満な肢体を漆黒のドレスに包み、スリットから覗く白い太腿が艶めかしい。だが、その瞳は狂信的な光を帯びて俺を見上げている。


「愚かな人類への“飢え”……でございますね? ついに、この聖なる夜に、あの方々への裁きを下されると?」


 違う。全然違う。

 俺が言っているのは、フィジカルな空腹だ。

 前世の記憶にある、フライドチキンとか、生クリームたっぷりのケーキとか、そういうジャンキーなものへの渇望だ。

 だが、ここで「いや、チキンが食いたい」などと言えば、俺が必死に維持してきた「冷徹なる支配者」のカリスマが崩壊する。この世界はナメられたら終わりの弱肉強食。威厳を保つことは生存戦略そのものなのだ。


 俺は足を組み替え、意味ありげに視線を逸らした。

 視線の先にあるのは、今日の昼間、ダンジョンの最深部で拾った物体だ。

 台座の上に鎮座する、巨大な「卵」。

 大人の頭ほどのサイズがあり、殻はオパールのように虹色に輝いている。

 鑑定スキルを使っても『???』としか出なかったが、直感が告げている。これは絶対に美味い。

 巨大な卵。つまり、巨大なオムレツが作れるということだ。あるいは、スポンジケーキの材料にするのもいい。

 聖夜クリスマスに、この謎の高級そうな卵で料理を作る。それこそが、孤独なラスボス転生者である俺への、ささやかなプレゼントではないか。


「……準備はいいか、セラス」

「はっ! すでに『祭壇』は整っております!」


 祭壇? ああ、キッチンのことか。

 俺はマントを翻して立ち上がった。


「行くぞ。今宵、この『殻』を破る」

「おお……! ついに、封印されし禁忌の殻を……!」


 セラスが感極まったように声を震わせる。

 彼女の解釈では、どうやらこの卵から魔神か何かが生まれると思っているらしい。

 まあいい。料理ができるなら、誤解など些末な問題だ。


 ◇


 城の地下にある、だだっ広い調理場――もとい、彼女たちが言うところの『儀式の間』。

 そこには、ただならぬ緊張感が漂っていた。

 かまどには地獄の業火がくべられ、鍋の水はボコボコと沸騰している。

 俺はエプロン……をつけるわけにはいかないので、魔力を防ぐための結界を全身に展開した。


「ヴァイン様、いかがいたしましょう。この『混沌の核』は、通常の火力では傷一つ付きません」


 セラスが悔しげに唇を噛む。

 彼女の手にはミスリル製の巨大なハンマーが握られているが、それで卵を殴ろうとして弾かれたらしい。

 なるほど、殻が硬いのか。

 普通の料理人なら諦めるだろう。だが、俺は違う。俺には「ゲーム的知識」がある。

 硬い素材には、急激な温度変化を与えればいい。


「セラス。火力を上げろ」

「しかし、これ以上は魔導炉が耐えきれませぬ!」

「構わん。お前の全力の魔力を注ぎ込め。極限の熱で、その頑迷な守りを溶かすのだ」


 俺はあくまで「強火で頼む」と言ったつもりだった。

 だが、セラスの頬が朱に染まる。彼女は潤んだ瞳で俺を見つめ返した。


「私の……全力を? ヴァイン様の前で、あられもない姿を晒せと……?」

「……何を躊躇う必要がある」


 早く火をつけてくれ。腹が減って死にそうだ。

 俺の淡々とした催促に、セラスは覚悟を決めたように頷いた。


「承知いたしました……! ヴァイン様のため、この身が焦げ付こうとも!」


 ドォォォォォン!!

 セラスの掌から、紅蓮の炎が噴き出した。

 それは単なる火ではない。彼女の固有魔法『煉獄の吐息』だ。

 かまどが一瞬で赤熱し、周囲の空気が歪む。

 凄まじい熱気が俺の頬を撫でる。だが、俺は眉一つ動かさない。内心「あっつ! 死ぬ! まつ毛燃える!」と絶叫しているが、表面上は涼しい顔で腕を組んでいる。これぞ『絶対零度の支配者』の演技力。


「はぁっ、はぁっ……! いかが、です……か、ヴァイン様ぁ……ッ!」


 セラスが苦悶と恍惚の混じった声を上げる。

 魔力の過剰供給により、彼女の体温は急上昇している。額から玉のような汗が滴り落ち、漆黒のドレスが肌に張り付いていた。

 豊かな胸元が激しく上下し、乱れた髪が汗で首筋に絡みついている。その上気した表情は、料理の手伝いというよりは、何か別の背徳的な行為に及んでいるかのように艶めかしい。

 正直、目のやり場に困る。

 だが、俺が見ているのは彼女の谷間ではない。その奥にあるフライパンだ。


「まだだ。もっと熱く。もっと激しく」

「ああっ……! そんな、これ以上求められたら……私、壊れてしまいますぅ……ッ!」


 料理の話だぞ?

 セラスの腰が砕け、膝が床につく。それでも彼女は魔力を放出し続ける。

 その献身的な姿は、傍から見れば主君に忠誠を誓う騎士だが、今の状況と声だけを聞けば完全にアウトだ。

 だが、そのおかげでフライパンは理想的な温度に達していた。

 俺は静かに歩み寄り、虹色に輝く卵を手に取った。

 熱膨張と収縮。今ならいける。


「……砕けろ」


 コン、と。

 俺は卵をフライパンの縁に叩きつけた。

 その瞬間、世界が震えた。


 ピキキッ……。

 静寂が支配するキッチンに、甲高い亀裂の音が響く。

 セラスが息を呑む。

「そ、そんな……古代竜のブレスすら弾くと言われた『神の卵』を、素手で……!?」


 いや、フライパンの角を使ったんだよ。

 亀裂から、眩い黄金の光が溢れ出す。

 おお、これは美味そうだ。黄身が光っている。新鮮な証拠だ。

 俺は両手の親指を亀裂に添え、一気に殻を開いた。


 カパッ。


 その瞬間、猛烈な光の柱が天井を突き抜けた。

 

「ギャアアアアアアア!」

 

 そして、何かが叫んだ。

 食材が叫ぶな。

 光が収まると、そこには目玉焼き……ではなく、一羽の鳥がいた。

 全身が炎のように赤い羽毛に覆われ、尾羽からはキラキラした粉を撒き散らしている。

 つぶらな瞳が、俺と目があった。


「……ピ?」


 沈黙。

 俺の手には、空になった殻。

 フライパンの上には、ちょこんと座る小鳥。

 ……あ、これ、食えないやつだ。

 知ってる。これ、伝説の不死鳥フェニックスの幼体だ。レア度SSS級の。


「……」


 俺のクリスマス・オムレツ計画は、無慈悲にも崩れ去った。

 空腹感だけが、冬の風のように心に吹きすさぶ。

 しかし、俺が呆然としている間に、背後でドサリと音がした。

 振り返ると、セラスが涙を流してひれ伏していた。


「なんと……なんと神々しい……! これぞ『再生』の象徴! ヴァイン様は、破壊だけでなく、新たな生命の創造主となられたのですね……!」


 彼女の目には、俺が「あえて卵を孵化させた慈悲深き魔王」として映っているらしい。

 違う。ただの調理ミスだ。

 だが、ここで「チッ、食えねえのかよ」と言ってこの小鳥を捨てれば、俺の好感度は地に落ちるだろう。

 俺はため息を殺し、震える手で小鳥を持ち上げた。

 小鳥は俺の指に頬擦りし、心地よさそうに「ピキュ!」と鳴く。

 ……まあ、温かいからカイロ代わりにはなるか。


「……そうだ。破壊の先には、常に再生がある」


 俺はもっともらしい言葉を紡いだ。

 セラスは感動のあまり震えている。

 

「では、この幼き神獣を、軍団の新たな戦力として……?」

「いや」


 俺は小鳥を肩に乗せた。

 こいつの体温は高い。すごく高い。

 ……待てよ?

 俺は閃いた。

 この小鳥、火力調整が自在なのではないか?


「セラス。別の卵を持ってこい。鶏のやつだ」

「は? ……あ、はい。食料庫にある下等生物の卵でございますか?」

「そうだ。大量にだ」


 俺はニヤリと笑った。邪悪な笑みに見えただろうが、実際は「ケーキが焼ける!」という純粋な喜びの笑みだ。


 ◇


 数十分後。

 テーブルの上には、山のような料理が並んでいた。

 ふわふわのオムレツ。黄金色に輝くスポンジケーキ。ローストチキン。

 それらはすべて、俺の肩に乗ったフェニックスの幼体『ピーちゃん』による絶妙な火力コントロールによって調理されたものだ。

 ガス代も浮くし、最高のエコシステムである。


「素晴らしい……」


 セラスがフォークを手に、陶酔した表情でオムレツを見つめている。

 彼女にとって、これはただの卵料理ではないらしい。

 『魔王様が従えた神獣の聖なる炎によって浄化された、奇跡の供物』という認識だ。


「頂いても……よろしいのですか? このような下賤な私が、ヴァイン様の奇跡を口にするなど……」

「構わん。食え。これは命令だ」

「ああっ……! なんてお優しい……!」


 セラスは一口食べると、ビクンと身体を震わせ、頬を染めて崩れ落ちた。

 

「んんっ……! 美味しい……! 濃厚な味が、口の中でとろけて……身体の芯まで熱くなってしまいますぅ……!」


 ただの半熟オムレツだぞ。

 だが、彼女のその幸せそうな顔を見ていると、まあ悪い気はしない。

 窓の外では、相変わらず猛吹雪が吹き荒れている。

 けれど、この城の中だけは暖かかった。

 肩には温かい小鳥。目の前には美味い飯。そして、勘違いとはいえ俺を慕ってくれる部下。

 

「……悪くない」


 俺はワイングラスを傾けた。

 グラスに映った俺の顔は、やはり悪党のように強張っていたが、その目元は少しだけ緩んでいたかもしれない。

 

「メリー・クリスマス」


 誰に聞かせるでもなく呟いたその言葉は、セラスの「はっ! 滅びの呪文ですね! 謹んで復唱いたします!」という元気な声によって掻き消された。


 こうして、世界最強の邪悪貴族の夜は更けていく。

 世界がどうなろうと、今夜のオムレツが美味ければ、それで全てよし。

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俺のオムレツ作り、部下に『世界崩壊の儀式』だと勘違いされる。~卵を割ったら神獣が出たので、火力源として再利用します~ 楓かゆ @MapleKayu

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