第1章「光の始まり」

第1話「静かな秋、動き出す世界」

よく晴れた晩秋の朝。

薄く霞んだ空を、ゆるやかな風が渡っていく。

風に運ばれた落ち葉が、石畳の上をかさりとかすかに鳴らした。


木々の枝先には、もうわずかな赤と金の葉が残るだけ。

庭の隅に積もった葉の山を、風がさらっては舞い上げていく。


その静けさのなかに、

一軒の大きな屋敷が緑と影に包まれるように建っていた。


中央の噴水はすでに止まり、

澄んだ朝日を受けた水面には落ち葉がいくつも浮かんでいる。

石の縁には薄く苔が広がり、ところどころに蔦が這っていた。


かつては花々が咲き誇り、季節ごとに色を変えていた庭も、

今はすっかり色を落とし、鉢植えの影にだけ名残の花が咲いている。


(女性)

「イオリー!」


明るい声が階段を上ってくる。

それに合わせて、きちんと揃った足音が

一段一段近づいてきた。


やがて足音は一つの部屋の前で止まり、


コンコン。


(女性)

「開けるわよー」


扉がゆっくりと開かれる。

中は薄暗く、カーテンの隙間から朝の光が細く差し込んでいた。


室内には、積まれた本の山と、

壁にかけられた古い新聞、

ベッドの上でうつぶせになって眠る若い女性。


(女性)

「……やっぱり」


入ってきたのは父の弟の妻にあたる

叔母のヘレン・カーヴィルだ。

白いシャツの袖をまくりながら、

手慣れた様子で窓のカーテンを引いた。


部屋いっぱいに朝の光が流れ込む。


(イオリ)

「う、うう……」


イオリがうめき声を上げながら、

布団の中で身体を伸ばす。


(ヘレン)

「イオリ!」


ヘレンが軽く頬を叩いて起こそうとする。

イオリは一瞬だけ目を開け、

目の前の時計に目をやった。


午前9時32分。


そしてまた目を閉じ――

すぐに弾かれたようにもう一度見直す。


(イオリ)

「えっ!?」


飛び起きたイオリは、

両手で時計を掴み、凝視する。


(イオリ)

「やば……スーに殺される……」


そう言ってようやく、部屋にいた

叔母の存在に気づき、目を合わせる。


(イオリ)

「あ……ヘレン叔母さん……おはよう……」


(ヘレン)

「お、おはよう…..。

もしかして起こすの遅かった?」



シェリダ国の首都アルヴェールから

電車で一時間の副都心――

エアリシア中央区・ユニオンストリート。


イオリと友人のスー・イザベラは、

ゆっくりとその通りを歩いていた。

イオリの首もとには、銀のネックレスが

きらりと揺れている。


(イオリ)

「叔母さんってさーめちゃくちゃいい人

なんだけど気を使い過ぎなんだよね」


「こっちまで変に気を使うし、

今日だって遅刻したの私のせいなのに凄く謝られたし……」


(スー)

「うわ~、それは逆に気まずいタイプ」


友人のスーは苦笑しながら肩をすくめる。

どうやら遅刻のことは怒っていないようだ。


光沢を帯びた石畳には、

薄い青のガラス庇(ひさし)が淡く映り込み、

その頭上を、自律運転のグライダーが静かに、音もなく滑っていく。


通り沿いには、淡いクリーム色のカフェや、

光を反射するガラスのブティックが並び、

どの建物も丸みを帯びた未来的な

デザインながら、不思議と圧迫感はない。


歩道の脇には小さな水路が流れ、

その上を渡るアーチ型の橋がいくつも架かっていた。


時折、風が香水のような香りを運び、

通りすがりのカフェテラスからは

カップの音が響く。


(スー)

「そういえばさ、最近どうー?」


隣を歩くスーが、何気ない声で問いかける。


(イオリ)

「どう?って……」


イオリは最初、

何のことかわからずに首をかしげたが、

すぐに思い当たるふしがあって、はっとする。


(イオリ)

「ぼちぼちかなぁー」


(スー)

「へー!“ぼちぼち”って今どんな感じ!?」


(イオリ)

「うーん……とりあえず

図書館のスタッフに応募はしてみたよ。

一回だけだけど、面接は受けた」


スーはそれを聞いて、

急に微妙な表情を浮かべた。


(イオリ)

「……えっ、なに?」


イオリはその顔に軽く動揺する。


(スー)

「ていうかさ、あんたの家、

お金持ちなんだから……ぶっちゃけ働く必要あるの?」


(イオリ)

「それ、よく言われるんだけどね。

でも……少しでも人の役に立ちたくてさ。

なんか……ちゃんと、自分でやってみたくて」


(スー)

「うわ、出た出た〜。

金持ちの“いい子ちゃん”ムーブ」


スーは笑いながら、

軽くイオリの肩を小突いた。

イオリも苦笑いしながら、ふっと遠くを見た。


(イオリ)

「最近さ、同じ夢をよく見るんだよね。

……お母さんが、よく読み聞かせてくれた夢」


(スー)

「へぇ? なにそれ、どんな話?」


スーが少し興味をひかれたように顔を向ける。


(イオリ)

「スーは、“ティアナ物語”って知ってる?」


(スー)

「いやぁ……まったく聞いたことないんだけど」


(イオリ)

「やっぱり……

あんまり有名じゃないのかなぁ?」


イオリは小さく笑ってから、

少しだけ目を細めた。


(イオリ)

「そのお話にね、“ティアナ”っていう

女神さまが出てくるの。

世界が争いや悲しみに沈んでたとき、

ティアナが現れて――

人々をたくさん救うの……力でじゃなくて、

心を照らすみたいに」


スーは黙って、

横目でイオリの表情をうかがっていた。


(イオリ)

「昔、お母さんがよくその本を

読み聞かせてくれてて……

そのたびに、こう言うんだよね。


『誰かに光を与えられるような人に

なってほしい』って」


言葉にしたあと、

イオリは少し照れくさそうに笑った。

でもその目には、どこか遠くを

見つめるような光があった。


スーは一瞬だけ目を丸くしたが、

すぐに口元をゆるめてニヤリと笑う。


(スー)

「なにそれ、また急にいい子ちゃんアピール?」


(イオリ)

「えっ、違うって!」


イオリがむきになって言い返すと、

スーは肩をすくめながら笑った。


(スー)

「はいはい、“光を与える存在”ね〜。

じゃあ私は、闇を撒き散らす存在って

ことでバランス取っとくわ」


(イオリ)

「やめてよそれ!怖いってば……」


(スー)

「うそうそ。ちゃんと聞いてたよ」


スーは歩きながら、

ふと真面目な目で横を見る。


(スー)

「……で、それって結局

“救世主イオリ”になるって話?」


(イオリ)

「ならないよ!」


イオリは顔を赤くして、

思わずスーの腕を軽く叩いた。


スーは楽しそうに笑いながら、

それ以上は深く突っ込まず、

視線を空へ向ける。


(スー)

「ま、でもさ。そういう話、イオリが言うと

なんか本気っぽく聞こえるのがズルいよね」


(イオリ)

「ズルいってなに……?」


ふたりの会話は、

そんな風にからかい混じりに続いていった。

いつもと変わらない、穏やかな午後。


けれど――遠くの方で、かすかにサイレンの音が響いていた。



都市の中心部──


パトライトが赤く点滅し、警報音とサイレンが交錯する中、

灰色のバンのような装甲車が猛スピードで駆け抜けていく。


通行人が足を止め、ざわめきが広がる。


「なんだあれ……?」

「軍警か?」


その後方には、

「都市統制庁(UCM)」の部隊車両が数台、間隔を空けて追従していた。


UCM――Unified City Management。

都市の治安維持と危機封鎖を担う政府直属の特務機関である。


(アルファ)

「こちらアルファ、目標を捕捉!」


(無線/オペレーター)

「了解。サントレアブリッジまで誘導を継続してください」


現場の動きはすでに報道にも伝わっていた。

カメラを構えた記者たちが通りにあふれ、街に緊張が広がる。


(現場中継/アナウンサー)

「こちらネアリア中央区の繁華街です。

ご覧のように事件現場には規制線が張られ、付近一帯は騒然としています。


関係者によりますと、午後2時ごろ、

この周辺で一台の灰色のバンが歩行者を次々にはね、

少なくとも20人以上が負傷したとのことです。


車両はそのまま市街地を暴走し、

現在もUCMの特殊部隊による追跡が続いています。

詳しい状況はまだ明らかになっておらず、

付近の住民には不要不急の外出を控えるよう呼びかけがなされています」


【アルファ隊車両】


アルファ部隊の装甲車が、対象車両を追うように疾走していた。

後方にはひときわ異なる黒い車両が近づく。


(隊員A)

「みろ後方、グレッグマンの車両だ」


(隊員B)

「またあいつらか。

ぐずぐずしてると手柄を持ってかれるぞ」


(隊員A)

「落ち着け。作戦中はさすがに手は出してこねぇよ……たぶんな」


UCM内でも限られたエリートに与えられる称号――グレッグマン。

独自判断での作戦行動が許され、場合によっては司令官以上の決定権を持つ。


黒い車両の助手席で、ショウゴ・エイシンが静かに前を見据えていた。

短く刈り込んだ髪、がっしりした体躯。低い声が車内の無線越しに響く。


(ショウゴ)

「本部、こちらグレッグマン・エイシン。

アルファ後方にて追従中。状況次第で展開可能。うまく使ってくれ」


(無線/オペレーター)

「グレッグマン、了解。必要に応じて連携指示を出します。

くれぐれも接近しすぎないように」


(ショウゴ)

「了解」


運転席には、最近グレッグマンに昇進した期待の若手、

エイムズ・ローレンが座る。視線は鋭いが、どこか焦りがにじんでいた。


(エイムズ)

「ショウゴさん、あのバン……装甲が軍用レベルです。

十トントラックを押し返している映像も。どう考えてもただの車じゃありません」


(ショウゴ)

「一体どこからこんな装甲車が出てきたんだ……。

まあ、どの道この作戦に賭けるしかねぇ」


前方のモニターにはドローン映像。

逃走車両のボディが夕光を反射して白く光っている。

無線の指示音が緊迫した空気に重なる。


(無線/オペレーター)

「各隊、誘導完了を確認。これよりEMP地点まで最終追尾を開始します」


(ショウゴ)

「エイムズ、見届けるぞ」


(エイムズ)

「はい……」


一方、サントレアブリッジ――。


ここは都市南部と副都心ユニオンストリートを結ぶ、全長およそ1キロの吊り橋。

片側二車線の路面を主塔が貫き、夕暮れの風を受けて巨大なケーブルが優雅な弧を描く。

昼間は観光客や通勤車両で賑わう橋も、いまは完全に封鎖され、静まり返っていた。


橋の中腹には、侵入車両を止めるためのロードスパイク設置部隊。

その後方には、耐衝撃装甲を備えたバリケード車両が横一列に並び、

さらにその少し後方ではEMPキャノン砲を搭載した車両が発射準備を整えている。


フェンリル隊の車列の後方、路肩には市民が投げ出していった

乗り捨て車両が数多く残され、そのヘッドライトが夕闇の中でかすかに灯っていた。


封鎖・制圧任務に特化したフェンリル隊が配置を終え、息を潜める。


(フェンリル隊長)

「EMP展開の指示が出たら全車バリアモード。

減速しきれなかった場合の衝突も想定しておけ」


隊員たちは一斉に応じる。エンジンの低い唸り、そして風に混じる緊張の音。

傾いた太陽が橋の鉄骨を長く伸ばし、地面に影を落とす。

誰も声を発さない。あとは、獲物が飛び込んでくるのを待つだけだった。


UCM本部、アルファ隊、フェンリル隊、そしてグレッグマン――

すべてはこの橋上で逃走を終わらせるための“罠”に向けて動いていた。

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イグザクロニクル〜失われた大陸と伝説の秘宝〜 ただの @TADANOneko7

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