第4話 夜に近づく距離


その日の夜も眠れなかった。目を閉じればあの声が蘇る。静かで冷たくて……でも確かに"私を見ていた"気配。布団の中で身を丸め胸元にそっと手を当てる。


「まだ、呼ばなくていいって言ってた……」


小さく呟いても返事は返ってこない。夜は静かに窓の外で息をしているだけだった。


次の日も、その次の日も表向き世界は何も変わらなかった。学校はいつも通りで友人たちと他愛のない話で笑いあって、授業は少し退屈で。世界はいつも通りに回っている。まるで私だけを置き去りにしているみたいに。


「……いない、よね?」


空を見上げる癖がついた。昼の青空にも夕焼けにも"月の気配"を探してしまう。すぐに視線を落としてから息を吐く。あの夜から月は一度も近づいてこなかった。


けれど代わりに夜が少しずつ変わり始めていた。

その日の帰り道、街灯の影がいつもより長く伸びていた。


「……また……」


声に出す前に胸が熱を帯びた。空気が薄くなって音が遠ざかる。あの感覚、夜がまた"縫い目"を失いかけている。


《……まだ、呼ぶな。》


直接脳内に響く声。昨日よりもほんの少しだけ近く感じる。


「……分かってる。」


返事をした瞬間、私自身でも驚いた。怖いはずなのに、その声には"拒絶"を感じなかったから。月光は降りてこない。その代わり、影が静かに揺れる。


《夜はお前を拒まない。だが近づきすぎれば……》


「戻れなくなる……でしょう?でも……放ってはおけない。」


言葉が自然とこぼれた。考えるよりも先に、胸がそう告げていた。


夜が歪む。裂け目は小さいけれど確実に"綻び"はじめている。


《夜羽……お前は境界に立つ者だ》


「選ばれた……とかそういうものじゃないでしょ」


《あぁ、偶然だ。だが偶然は無意味ではない。》


その言葉の後、月の気配が一瞬だけ強まった。その後はゆっくりと夜が縫い戻されていく。


私は何もしていない。ただこの場所に立っているだけ……


「……私、何になろうとしているの?」


問いかけても答えは返ってこない。けれど夜はもう静けさを取り戻していた。


《次に夜が裂けた時……その時は……》


声はそこで途切れた。続きを聞く勇気はまだ私にはなかった。私はゆっくりと空を見上げた。月は浮かんでいない。それでも確かに"見られている"気がした。


夜を守る為に私はどこまで近づいてしまうのだろうか……。まだ契約はしていない。名前もまだ呼んでいない。


けれど……確実に夜との距離は縮まり始めていた。

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