世界最弱の勇者は、配信されるほど生き残れない 〜ダンジョンが学習する世界で、俺は嘘をつく〜

すぱとーどすぱどぅ

見られるほど、世界は賢くなる

第1話 最弱勇者は、配信を切れない

 配信を開始した瞬間、視聴者数が一つ増えた。

 その数字を視界に入れた途端、胸の奥が反射的に縮む。


 勇者登録番号七三四二号。職業、勇者。能力評価、最低。

 公式に認定された世界最弱の勇者。それが、今の俺だ。


 ステータス画面を開く必要はない。筋力は一般成人以下。魔力量は測定誤差扱い。耐久値には、注意書きまで付いている。


 それでも俺は、ダンジョンに入る。配信を切るという選択肢は、最初から存在しない。


 この世界では、探索者に配信義務が課されている。生存確認のため。不正防止のため。そして何より、救助判断の基準になる。


 配信を切った探索者は、救助対象から外される。事故死として処理される。それが、この世界の常識だ。


 胸元の魔導カメラが、低く唸った。最低ランクの機材で、画質も視野も悪い。

 だが、俺にはそれで十分だった。余計なものが映らない方が、都合がいい。


 石門をくぐった瞬間、空気が変わる。湿気を含んだ冷気が肌にまとわりつき、足音の反響が、わずかに遅れて返ってきた。


 第一階層。初心者向けとされる場所だ。

 本来なら、ここで命を落とす勇者はいない。


 視聴者数が三に増え、すぐにコメントが流れる。


 最弱って本当か

 死なない?


 画面は見ない。返事をする余裕はなかった。


 床の石に、不自然な欠けがある。罠だ。


 教本通りなら、壁沿いを進めば回避できる。だが俺は、あえて壁から距離を取った。理由は説明できない。ただ、嫌な感覚があった。


 直後、壁の一部が崩れ、鉄杭が飛び出した。教本通りに動いていれば、胸を貫かれていたはずだ。


 息が詰まり、膝に力が入らなくなる。

 視聴者数が、五に跳ねた。


 偶然だと自分に言い聞かせなければ、足が前に出なかった。それでも、進む。


 通路の奥に、小型魔獣が一体見えた。単体なら、危険度は低い。


 剣は構えられない。代わりに、足元の小石を拾い、横へ投げた。音に反応して魔獣が首を振る。その隙に、俺は静かに後退する。


 戦ったわけじゃない。ただ、逃げただけだ。

 それでも、生きている。


 視聴者数は七。コメントが一気に増える。


 逃げてばっか

 勇者だろ

 役に立たなすぎ


 視線を逸らし、呼吸を整える。今は相手をしている場合じゃない。


 敵の動きが、明らかに早い。こちらの位置を、正確に追ってくる。

 おかしい。


 視聴者数が九に変わった、その直後。背後で、風を切る音がした。


 反射的に転がる。刃が、さっき立っていた床を削った。

 心臓が、喉までせり上がる。


 視聴者数が十。


 その数字を認識した瞬間、通路の先で何かが動いた。影はすぐに、輪郭を持つ。魔獣じゃない。壁だ。


 さっきまで、そこには何もなかった。通路は直線で、見通しも悪くなかったはずなのに、今は岩壁がせり出し、通路を塞ぐように斜めに傾いている。


 足が止まる。


 こんな仕掛けは、教本にない。第一階層に可動壁は存在しない。公式資料では、そうなっている。


 視聴者数が十二。画面の端で数字が切り替わる。その瞬間、壁が、わずかに動いた。


 嫌な汗が背中を流れる。


 一歩、後ろへ下がる。壁の動きが止まる。

 さらに一歩。完全に静止した。


 息を殺す。

 視聴者数が十三。


 壁が、再び動いた。


 今度ははっきり分かる。偶然じゃない。距離の問題でもない。

 何かに、反応している。


 俺は視線を配信画面から外し、数字を追わない。腰を落とし、通路に座り込む。戦う構えでも、逃げる姿勢でもない。ただ、動かない。


 数秒。さらに、数秒。

 壁は動かなかった。


 視聴者数が十四になっても、変化は起きない。胸の奥に、形の悪いざわつきが残る。


 俺は、ゆっくりと口を開いた。


「罠があるみたいですね。第一階層にしては、珍しい」


 できるだけ平坦な声。感情を削り、情報だけを残す。


 視聴者数が十五。


 次の瞬間、壁が大きく動いた。さっきより、明らかに速い。


 その挙動を見て、確信に近い感覚が生まれる。見られているからじゃない。聞かれている。言葉に、反応している。


 俺は口を閉じ、そのまま壁の動きを観察する。動きは洗練され、無駄がなく、追い詰める軌道を取っている。


 心臓の音が、やけに大きい。

 視聴者数、十七。


 壁が、さらに距離を詰めてくる。


 逃げれば追われる。走れば、次は挟まれる。選択肢が、一つずつ消えていく。


 意を決して、もう一度声を出した。


「……行き止まりですね。戻るしかなさそうです」


 嘘だ。後方には、まだ細い隙間がある。俺一人なら、通れる幅。


 視聴者数が十八。

 壁の動きが、わずかに鈍る。


 その瞬間、俺は隙間に身体を滑り込ませた。背後で、岩が激しくぶつかり合う音が響く。


 振り返らない。足を止めない。


 呼吸が荒れ、視界が揺れる。それでも、俺は生きている。


 安全圏に出て、ようやく立ち止まった。膝に手をつき、呼吸を整える。


 視聴者数は二十。コメントが流れる。


 今の何

 偶然

 説明しろ


 画面を見つめ、ゆっくりと言う。


「今のは、たまたまです。運が良かっただけですよ」


 嘘だということは、自分が一番よく分かっている。だが、この嘘は必要だった。


 言葉にした瞬間、確信が固まる。


 このダンジョンは、配信を見て、配信を聞いて、学習している。

 そして、俺は最弱だ。


 だからこそ、生き残るためには。

 真実を、語ってはいけない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界最弱の勇者は、配信されるほど生き残れない 〜ダンジョンが学習する世界で、俺は嘘をつく〜 すぱとーどすぱどぅ @spato-dospado

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画