第3話 喧嘩

 兄貴が運転する中、兄貴が聴いているのか定かではないラジオから、とんでもなく古い曲が流れ出した。


「あ! この曲、じいちゃんがよく鼻歌歌ってたな。特にご機嫌な時に」


『What a wonderful world』


 粗悪な物言いをするじいちゃんだったが、洒落た男でもあった。ジャズが好きで、俺らがまだ生まれてもいない時代の音楽を、よく聴かせてくれた。おかげで、俺も兄貴も流行りの曲は一切知らずに育って、気が付けばCDまで買うほど気に入って……。数あるジャズの中でも、ルイ・アームストロングの『What a wonderful world』は、じいちゃんの一番のお気に入りで、機嫌がいいと鼻歌を歌っていた。


 なんで今、流れるんだよ……。


 運転席から鼻を啜る音が聞こえ、ちらりと視線を向ければ、真っ直ぐ前を向いたまま、口を一文字にし泣いている兄貴の姿が。すぐに視線を逸らしたが、気が付けば、自分のカーゴパンツにポタポタと雫が落ちていた。頬に触れ、泣いている事に初めて気がつく。目元を強く擦り、グッと奥歯を噛み締め、泣くことをこらえた。


 涙で滲む視界。実際に見えているのは、自分の服のはずなのに、目の奥にはじいちゃんがご機嫌で台所に立っている姿が浮かんでいた。


 中学、高校と。俺は、本当にどうしようもないクソガキだった。


 どこからどんな噂が流れたのやら。喧嘩が強いという噂を聞きつけた素行の悪い奴らが、俺を探し出しては喧嘩を売ってくる日々。誰かと連むとこの無かった俺は喧嘩三昧の日々で。それでも、ほんの束の間、じいちゃんの影響をモロに受けたジャズばっかり聴いていた中学と高校時代。

 高校に入ってからは、こっそりバイトをして二年に上がる頃に中古でトランペットを買った。中古とはいえ金額はピンからキリまであって、その中でも一番安い値段を探し歩いて。練習する場所は、学校の音楽室内にある練習室という小部屋だ。

 河川敷で吹いてるのを学校の教師に見つかって。なんでか、えらい興奮気味に吹奏楽部に入るように勧誘してきた。俺はバイトもあるし、誰かと一緒に何かする事が得意でも無かったのもあり、部活に入るのは断った。だが、教師は「時間がある時、君が好きな時に練習室を使っていい」と言ってくれた。


「河川敷だと、近隣からクレームが来る事もあるし」


 などと言って。それには一理あると思い、それからは練習室でバイト時間ギリギリまでトランペットを吹いていた。それもあって、俺の喧嘩三昧の日々は、中学の頃に比べたら少しだけ落ち着いていたけど。それでもまぁ、あるにはあって。ついに、高三の二学期。トランペットを壊される日が来た。

 それにより、俺は。初めて喧嘩で、己の身体以外の武器を持ち出したのだ。


 警察に補導され、じいちゃんが迎えに来て。相手から手を出して来たことや、トランペットを壊されたことには、気の毒がられた。だけど、拳以外で相手を叩きのめしたことで同情にはならず。学校は一週間の停学となった。

 その時、初めてじいちゃんから怒られた。だけど、拳以外で喧嘩したこと以上に、トランペットを持っていた事を隠していたこと。何故、相談してくれなかったのだと、怒られた。そして、今まで一度だって俺を疑わなかったじいちゃんが、言ったんだ。


「まさか、そのトランペット、盗んだもんじゃねぇだろうな?」


 たった一度。

 たった一度、拳以外の武器を使って喧嘩した。

 その、たった一度の出来事で、自分の全てを疑われたんだ。


「そんな事あるわけないだろ!? 自分でバイトして買ったんだ!」

「バイトしてるだぁ!? 嘘つけ! 喧嘩三昧で毎晩遅くに帰って! そんなんでバイトなんかしてる暇、どこにあった!?」


 帰りが遅くなっていたのは、本当にバイトしていたからだ。たまに、バイトの帰りに絡まれて喧嘩していたのは事実だけど。喧嘩だけの日々じゃなかった。ただ、じいちゃんを驚かせたかった。


 けど、俺はその時、そう言わなかったんだ。頭の片隅にずっと居座っていた言葉を、放っていた。


「俺が俺の金で何を買おうが、何をしようが、俺の時間をどう過ごそうが! じいちゃんには何一つ関係ないだろ! そもそも! じいちゃんは母ちゃん達が俺らに残した遺産、好きに使ってんだろ!? 遺産目当てで俺らを育てただけのクセに!」

「朔!!」


 俺の頬に当たったじいちゃん手が、大きな破裂音を立てて去っていく。頬がジンワリと熱を持つ。


「朔……お前は、そんな風に思ってたのか……?」


 いつも笑顔のじいちゃんの顔が、グシャリと歪んでいた。ボロボロと落ちていく涙が頬を濡らすのも構わず、俺の名前を何度も呼ぶ。


「ただいま……え!? なに! 何があったの、二人とも!」


 ちょうど仕事から帰って来た兄貴が、俺とじいちゃんの間に入ったが、俺は何も言わずに自分の部屋へ逃げた。

 しばらくして、兄貴が部屋へやって来た。


「朔、ちょっと話をしないか?」


 その声は、今まで聞いたことのないほどに、冷たく、怒りが込められていて。

 俺が拒否しても強引に部屋へ入って来ると、兄貴は俺に言った。


「お前は、じいちゃんに言っちゃいけない言葉をいった。何か、わかるな?」


 その日の夜から、俺とじいちゃんは、会話をしなくなった。

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2025年12月29日 08:00
2025年12月29日 17:00

Wonderful egg 〜遠くて近い、あなたへ 藤原 清蓮 @seiren_fujiwara

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