第2話 兄貴
「
聞き慣れた声に振り返れば、兄貴が車の運転席から助手席側に身体を倒しつつ、手を振っているのが見えた。
俺は軽く手を挙げ小走りで駆け寄り、助手席のドアを開ける。
「この時間に着くって、よく分かったな」
ドアを閉めつつ言えば、兄貴は柔らかい笑顔で「ああ」と頷き、車をゆっくり発車させた。
「朔がくれた、今から行くっていうメールから、このくらいの時間に到着するかなと思って待ってたんだ」
「葬儀の手続きとかで忙しいだろうと思って、到着時間、連絡しなかったのに」
「だろうと思ってた」
笑う兄貴を横目で見遣り、すぐに視線を前に戻す。目元が赤く腫れぼったい。いつも通りに笑っているけど、一晩中、泣き明かしたのだろう。
「手続き諸々、茨城のオジサンが率先してやってくれてるよ」
茨城のオジサンとは、茨城県に住んでいるじいちゃんの実子であり、俺ら兄弟の母親の兄でもある。長男だからか、こういう時だけ張り切ってやってくる。じいちゃんが倒れた時は、何もせずにいたくせに。いや、そこについては俺も人の事をどうこう言えないか。と思いつつも、口から漏れる本音。
「そういうとこ、本当、鬱陶しいな……」
思わず呟けば、兄貴が苦笑いしながら「こら」と言う。
「まぁ、言いたい気持ちはわかるよ。でも、俺も分からない事が多いし、今ばかりは助かってる。朔の迎えも来られたしな?」
笑いながら言っていた兄貴が「だから」と、急に声を落とす。
「そういう事、オジサンらの前では言うなよ?」
「言わねぇよ……。俺だって、なんもしてないし。人の事どうこう言えねぇよ」
無意識にしょぼくた声を出せば、兄貴は「そんなことない!」と声を張り、それに驚いた俺は兄貴を見た。
「朔は、仕送りしてくれていただろ? じいちゃんが倒れたって知ってから、速攻で仕送り額増やして。退院した後だって。この一年半、ずっと増やした額を仕送りしてくれてたじゃない。俺、正直、あれは本当に助かったんだよ。俺だけの給料じゃ、やっぱキツくてな。評判のいい施設のヘルパーさんお願いするのだって、評判が良いだけあって本当に良かったんだけど、料金も良いお値段でね。その他諸々含め、朔からの仕送りはめちゃくちゃ助かったんだ」
兄貴の言葉に、俺の心に燻る罪悪感が、ほんの少し軽くなる。
兄貴は子供の頃から優しくて、我儘も言わない物分かりの良い奴だった。けど、今思えば、ただ我慢していただけなんだ。俺が小さ過ぎたから。歳が離れていたから、自分が我慢しなきゃと、きっと思っていたんだろう。それに気付いてやる事は、あの頃の俺には幼すぎて、わからなかった。
兄貴は、誰が見ても好感を持てる見目をしており、成績優秀で。周りから本当に慕われていた。今もだけど。
国立大学に入学した時、てっきり一人暮らしすると思っていたら、じいちゃんと俺の事が心配だとか言って、頑なに一人暮らしはせず、毎朝4時過ぎに起きて朝一番の電車で4年間、都内まで通っていた。卒業後は、地元の市役所に勤めて。今では誰もが頼りにする役場職員となった。
一方、俺は。
誰が見てもわかりやすく反抗期を迎え、中学では喧嘩三昧。高校もろくでもない野郎ばっかりが集まった学校しか行けなくて。じいちゃんが学校に呼ばれる事もしばしば……。その度に、兄貴から小言を言われたが、怒りはしなかった。それは、じいちゃんも同じだった。
なんで俺が何をしても怒らないんだよと、訳の分からない怒りが込み上げて怒鳴ったら。じいちゃんが言った。
「朔は、盗みもしないし、詐欺紛いな事もしていない。ただ、売られた喧嘩を買ってるだけだろ? その喧嘩も、武器は持ってない。自分の拳と足だけでやってんだろ? 朔、じいちゃん昔っから言ってるだろう。盗みや詐欺はするな! 喧嘩は上等だ! だがな、喧嘩するなら、武器は使わず拳一つ! 正々堂々真っ向勝負で負けるんじゃないぞ! って。お前はそれを守っている。偉い!!」
唐突に褒められて、一瞬、唖然としたっけ。「何褒めてんだよ! クソジジイ!!」って言い返したら「俺がクソジジイなら、それに育てられてるお前はクソガキだな! わははは!」と、大口開けて笑っていた。
側から見れば危険でめちゃくちゃな日常でも、俺にとっては、家族といる時だけは、あったかくて平和な日常。それを俺は、高校三年の二学期終わりに、破壊した。
今思えば、なんて事のない。本当にくだらないやり取りだった。それを、絶対言っちゃいけない言葉で、俺はじいちゃんを傷付け、初めて泣かせたんだ……。
その時、兄貴が本気で怒った。後にも先にも、あれが初めて見たじいちゃんの泣き顔で、兄貴の怒りだった。
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