第3話 思わせぶりな距離

ディナーを終え、店を出た頃にはもう二十一時を回っていた。

ワインを飲んだせいか、晴香の頬はほんのり赤い。俺は最初から決めていた。このまま帰すつもりはない。


「この後、どうする?」


何気なく投げた問いに、晴香は一瞬だけ視線を彷徨さまよわせた。

その仕草が、なぜか胸に引っかかる。


「……まだ飲み足りないなら、俺んち来いよ。 新しいゲーム買ったんだよ」

「え、いいの? 大輝の部屋でゲームしたい!」


即答だった。

それなのに、胸の奥のざわつきは消えない。


途中で寄ったコンビニで、晴香はショートケーキと缶チューハイをカゴに入れた。

「まだ食うのかよ」と笑うと、「だってクリスマスだよ? ケーキ食べなきゃ終われない!」と唇を尖らせる。


可愛い。

そう思うのと同時に、独り占めできない苛立ちが、じわじわと広がる。


部屋に着くと、晴香は慣れた手つきでテレビをつけ、ゲームを始めた。

無防備にも、俺の肩に触れるか触れないかの距離まで身を乗り出してくる。


「あー! また負けた! 大輝、強すぎ! ちょっとは手加減してよ」

悔しがる拍子に、彼女の肩が俺の腕に密着する。

柔らかい感触と、甘いシャンプーの香りが鼻先を掠めた。


「ねえ、大輝。これ美味しいよ。ひと口飲む?」

口紅のついた缶チューハイを、ためらいもなく俺の口元に差し出す。


「いらねーよ。つか、お前さ、そういうこと誰にでもやってんの?」

「え?」


自分でも驚くほど、声が冷たくなった。


「勘違いするだろ。男は」


晴香は一瞬きょとんとして、それから少しだけ傷ついた顔で缶を置いた。

膝を抱えて、ぽつりと呟く。


「……勘違い、してくれないから困ってるんだよね」

「は?」

「私ね、今日のために新しい服を買って、素敵なレストランも一生懸命探したの」

一拍置いて、視線を伏せる。

「一番好きな人と、クリスマス過ごしたかったから」


その瞬間、頭の中で何かが切れた。


一番好きな人。

それは、あの店に行くはずだった“誰か”のことだ。


「そんなにそいつがいいなら、今からそいつのところに言って伝えてこいよ」

「え? なに言って——」

「どうせ俺は誰かの代わりなんだろ?」


言葉が止まらない。


「目の前に俺がいるのに、他の男の話されて……笑って話聞くような『都合のいい男』でいるつもりないんだよ」


衝動のまま、晴香の肩を掴んで自分の方へ向かせた。

驚いて見開かれる瞳。


「大輝、ちが——」

「違わねーだろ。なんとも思ってない男の部屋に、のこのこ来て。意味、分かってんのかよ」


逃げ道を塞ぐみたいに距離を詰め、吸い寄せられるように唇を重ねる。


──もう後戻りできないと分かっていながら。

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