第3話 初ダンジョン、最初の死線

集合場所は、使われなくなった地下鉄の駅だった。


改札は封鎖され、壁には「立入禁止」のテープ。

その奥に、黒く歪んだ空間が口を開けている。


――あれが、ダンジョン。


テレビで見た映像より、ずっと近くて、ずっと不気味だった。


「……飲み込まれそうやな」


遠藤は、唾を飲み込む。


周囲には、同じ初心者探索者たち。

大学生らしき若者、フリーター風の男、スーツ姿の中年。


誰もが、強がっている。

けれど、足元は落ち着いていない。


「それでは、注意事項を説明します」


管理員が淡々と話す。


・死亡の可能性あり

・自己責任

・救助は保証されない


聞き慣れた言葉だった。


――会社と一緒や。


違うのは、ここでは最初から嘘をつかないことだけ。


「では、入場を開始します」


一人ずつ、歪みに入っていく。


遠藤の番が来た。


一歩踏み出した瞬間、世界がひっくり返る。


視界が暗転し、耳鳴り。

胃が浮き、足元の感覚が消える。


――あ、これ、あかん。


次の瞬間。


コンクリートの床に、膝をついた。


「……っ」


咳き込みながら顔を上げる。


そこは、見覚えのあるようで、決定的に違う場所だった。


地下鉄のホーム。

だが、線路は途中で途切れ、壁は苔むし、天井は異様に高い。


照明は、点いていない。


暗い。


静かすぎる。


「……誰か、おる?」


声が、やけに響いた。


遠くで、誰かの足音。

別の方向から、すすり泣き。


遠藤は、壁際に寄った。


――営業やってて、良かったかもしれんな。


初対面の場では、まず「動かない」。

状況を見て、空気を読む。


そうしないと、いらん仕事を押し付けられる。


「……っ!」


不意に、背中がぞわりとした。


――来る。


理由は分からない。

けれど、確信だけがあった。


遠藤は、反射的に後ずさる。


次の瞬間。


影が、動いた。


小柄な人影。

緑がかった肌。

歪んだ顔に、ぎらつく目。


「……ゴブリン、か」


ゲームでしか見たことのない存在。


現実感が、遅れて追いつく。


――これ、ほんまに、死ぬやつや。


ゴブリンが、甲高い声を上げて突進してきた。


「うわっ!」


遠藤は、咄嗟に転がる。

風を切る音。

さっきまで頭があった場所を、錆びた刃が通過した。


心臓が、喉まで跳ね上がる。


――速い。思ったより、ずっと。


立ち上がろうとして、足がもつれた。


「くっ……!」


ゴブリンが、再び迫る。


――あかん、詰んだ。


その瞬間。


別方向から、悲鳴。


「や、やめ――」


鈍い音。

何かが倒れる音。


遠藤の脳が、一気に冷えた。


――今、判断せな。


助けに行く?

無理だ。距離がある。武器もない。


――逃げろ。


それが、最適解だった。


遠藤は、全力で走った。


肺が焼ける。

足が重い。


それでも、止まらない。


後ろから、足音。

追ってきている。


――残業三日目の、終電ダッシュ。


あの感覚が、蘇る。


「……っ、はぁ……!」


角を曲がり、瓦礫を越え、暗闇に身を滑り込ませる。


ゴブリンの足音が、遠ざかった。


壁に背をつけ、ずるりと座り込む。


全身が、震えていた。


――生きてる。


それだけで、胸がいっぱいになる。


その時。


視界の端に、文字が浮かんだ。


【スキル獲得】


【社畜適応(パッシブ)】


【長時間の精神負荷・疲労環境への耐性を確認】


「……は?」


思わず、声が出た。


【効果:疲労・ストレス影響軽減】

【END・MND 微上昇】


「……なんや、それ」


笑うしかなかった。


初めてのダンジョン。

初めての死線。


そこで得たスキルが、これ。


「どこまで、会社に評価されとんねん……」


けれど。


震えは、いつの間にか収まっていた。


呼吸も、落ち着いている。


――あれ?


さっきまでの恐怖が、少し遠い。


「……慣れてきた?」


自分でも、信じられない。


だが、身体は正直だった。


遠藤は、ゆっくりと立ち上がる。


「……まだ、いけるな」


暗闇の向こうで、何かが動く気配がした。


それでも、足は止まらない。


ブラック企業で鍛えられたのは、

根性でも、根性論でもない。


――逃げ時を見極める、生存本能だ。


遠藤紘一は、知らず知らずのうちに、

探索者としての第一歩を踏み出していた。


それが、

「最悪で、最強」な形だとしても。

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