第2話 探索者登録とブラック企業の論理

適性検査の通知は、思っていたより早く届いた。


【探索者適性検査】

【日時:本日 18:00】

【場所:都内・異常空間対策庁 臨時施設】


「……今日?」


思わず声が出た。

その時刻、まだ普通に就業時間内である。


――無理やな。


そう判断した瞬間、スマホが震えた。


「遠藤くんさぁ」


嫌な予感しかしない着信表示。

上司の名前が、画面いっぱいに広がっていた。


「今日さ、ちょっとクライアントから追加要望きててさ。

 悪いけど、今日は遅くなるよね?」


疑問形。

だが、答えを求めていないやつだ。


「……どれくらい、でしょうか」


「んー、終電は無理かなぁ」


ですよね。


遠藤は、スマホを耳に当てたまま、天井を見上げた。

白くて、無機質で、感情のない蛍光灯。


――あかん。これ、あかんやつや。


「すみません。今日は、どうしても外せない用事がありまして」


一瞬、沈黙。


「用事?」


声の温度が、下がった。


「私用?」


「……はい」


その一言で、空気が変わった。


「へぇ」


笑っているのに、笑っていない声。


「君さ、自分の立場、分かってる?」


きた。


「今、繁忙期だよね?

 みんな頑張ってるよね?」


――みんな、って誰や。


「それにさ、君、まだ結果出してないじゃん」


胃の奥が、ぎゅっと縮む。


「私用を優先できるほど、会社に貢献してたっけ?」


遠藤は、反射的に謝りそうになる口を、必死で噛み締めた。


その瞬間、昨夜の通知が脳裏をよぎる。


【命の安全は保証されません】


――会社も、保証してへんやん。


「……申し訳ありません。ですが、本日だけは」


沈黙が、数秒。


「ふーん」


上司は、ため息をついた。


「まあ、いいよ。

 その代わり、分かってるよね?」


何を、とは言わない。

言わなくても分かるだろう、という圧。


「評価、下がるかもね」


――知るか。


喉まで出かかった言葉を、遠藤は飲み込んだ。


「……承知しました」


通話が切れる。


心臓が、やけに早く打っていた。


---


異常空間対策庁の臨時施設は、元は大型商業ビルだったらしい。

中身はほぼ改装され、簡易検査場と説明ブースが並んでいる。


人は多い。

スーツ姿、学生、フリーター。

共通しているのは、全員どこか落ち着きがないことだ。


「次の方、どうぞー」


番号を呼ばれ、検査室に入る。


中には、タブレットと簡易端末。

そして、白衣の職員。


「遠藤紘一さんですね。

 では、こちらに手を」


言われるがまま、端末に触れた。


ピッ、と音が鳴る。


【ステータス測定中】


画面に、数値が流れていく。


STR:低

AGI:低

VIT:やや低


――やろな。


予想通りの結果に、妙な納得感があった。


だが。


MND:異常値

END:高


職員の眉が、わずかに動いた。


「……精神耐性、かなり高いですね」


「そうですか?」


自覚は、ある。

毎日怒鳴られて、詰められて、責任押し付けられて。

それでも会社に行っている。


「……まあ、そういう方も、たまに」


職員は言葉を濁した。


「適性は問題ありません。

 ただし、探索は自己責任です」


【探索者:仮登録完了】

【スキル付与条件:未達】


画面が切り替わる。


「初回ダンジョンは初心者向けになります。

 ご希望があれば、日程を」


遠藤は、少しだけ考えた。


――今日、会社サボってきたんや。


「……最短でお願いします」


職員が、少し驚いた顔をした。


「分かりました」


---


その夜。

遠藤は、会社のチャットを開いた。


未読メッセージが、山ほどある。


上司からの追撃。


『今日の資料、まだ?』

『用事って、何?』

『社会人としてさぁ』


スマホを伏せ、深く息を吐いた。


――ダンジョンでも、会社でも。

――使い捨てられるなら、稼げる方がええ。


探索者アプリを開く。


【初心者ダンジョン:入場許可申請中】


画面の光が、やけに現実味を帯びて見えた。


「ブラック企業も、ダンジョンも……」


遠藤は、苦く笑う。


「ルール作る側が、全部得する仕組みやな」


けれど。


違いが一つだけある。


――ダンジョンは、成果を金で返す。


会社は、返さない。


遠藤紘一は、その違いを――

もう、見逃さなかった。

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