第3話 殻を狙うハイエナたち

 銃声と風切り音が、白銀の世界を切り裂く。


「ッ、この……!しつこいですね!」


 俺は雪を蹴立てて横に跳んだ。

 一瞬前まで俺が立っていた場所に、上空から急降下してきたスノー・グリフォンの鋭利な爪が突き刺さる。

 舞い上がった雪煙がドレスを汚すが、気にしている余裕はない。俺はとっさにマントをかき抱き、腹部の膨らみ――「卵」を衝撃から守る姿勢を取っていた。


(クソッ!身体が重い!重心が定まらねえ!)


 ドレスの中に抱えた金属の卵は、鉛の塊のようにずしりと重い。

 およそ一五、六キロはあるだろうか。華奢な少女の体で支えるには限界を超えている。

 走れば腹を圧迫し、屈めば太腿に食い込む。何より「転べない」という制約が、回避行動を著しく制限していた。


 妊婦が戦場を走るなど正気の沙汰ではないと、身を持って理解させられる。


「聖女様!下がっていてくださいッ!」


 リーゼロッテの怒声が響く。

 彼女は雪中仕様の重装甲を軋ませながら大剣を振り回し、迫りくる帝国スキー兵の銃撃を弾き返している。

 だが多勢に無勢だ。

 上空からはグリフォン、地上からは高速で機動するスキー部隊。立体的な包囲網がじわじわと俺たちを崖際へと追い詰めていく。


「……右、来る」


 セツナが雪中から飛び出し、俺の死角へ回り込んだ兵士の喉を切り裂く。

 彼女の動きは神速だが、この吹雪の中では索敵範囲が極端に狭まっている。守りきれない。


「チッ、埒があかないわね。毒の沼に沈めてあげるわ!」


 ヴェロニカが毒霧を撒くが、激しい暴風雪があっという間に紫煙をかき消してしまう。

 自然の猛威と敵の連携。状況は最悪だ。


「ははは!無様だな、サンク・ロリエの聖女よ!」


 吹雪の向こうから野太い嘲笑が響いてきた。

 地響きと共に現れたのは、通常の兵士の二倍はある巨体――蒸気機関で動く帝国製の重装歩行機械パワードスーツだ。

 本来は氷雪地帯での作業用だろうが、その両腕には巨大な削岩用ドリルとチェーンソーが装着されている。


「その腹に抱えている『生体コア』を渡してもらおうか。それは我々帝国が威信をかけて開発した、最強の竜騎士ドラグナー計画の要なのだよ!」


 敵の隊長機が、チェーンソーのエンジンをふかして威嚇する。

 俺は乱れた呼吸を整え、マントの隙間から冷ややかな視線を返した。


「……お断りします。これは私が拾ったものです。拾得権は私にありますよ」

「拾っただと?貴様のような素人が扱っていい代物ではない!その卵の価値が分からないのか!」

「分かっていますよ。……温めるとよく動く、少々腕白なお子様だということはね」


 俺が言い放つと同時に、腹の底で卵がドクンッ!と大きく跳ねた。

 まるで俺の言葉に抗議するように、あるいは敵の殺気に反応するように。

 ドレス越しに伝わる熱量は、もはや高熱といっていいレベルに達している。俺の柔肌が低温火傷を起こしそうだ。


(限界か……。こっちも、卵の方も)


 俺は太腿のホルスターに手を伸ばしかけて、止めた。

 パイルバンカーの威力なら、あの程度の作業用ロボットなど一撃で貫ける。

 だが、ダメだ。

 あの杭打ち機の衝撃リコイルは、華奢な聖女の身体全体を震わせる。今、至近距離でそんな衝撃を与えれば、不安定になっている腹の中の卵がショック死するか、魔力暴走を起こして自爆する。


 撃てない。

 最大火力を持ちながら、手足をもがれたも同然の状態。


「交渉決裂だな。ならば……死体から回収するまで!」


 敵の重機が雪煙を上げて突進してくる。

 回転するドリルが空気を切り裂く音が迫る。


「させませぇんッ!!」


 リーゼロッテが割り込み、盾で突進を受け止める。

 ガガガガガッ!と激しい火花が散る。

 だが重量差がありすぎる。重戦車のような突撃に、騎士団長の足が雪面を削って後退させられていく。


「ぐ、ぅぅ……ッ!重、い……!」

「ほう、流石は王国の騎士団長。だが、いつまで持つかな?」


 敵は嘲笑いながら、もう片方のチェーンソーを振り上げる。

 セツナがカバーに入ろうとするが、上空からのグリフォンの群れに阻まれる。ヴェロニカも魔力切れが近い。


 背後は断崖絶壁。前方は敵の大部隊。

 完全な詰み《チェックメイト》だ。


「聖女様……お逃げください……ッ!」


 リーゼロッテが血を吐くような声で叫ぶ。

 その背中を見て、俺の中で何かが冷たくキレた。


(逃げろだと?誰に向かって口を利いている)


 俺はドレスの上から、熱暴走寸前の巨大な卵を両手で抱え込んだ。

 熱い。熱すぎて皮膚が焼けるようだ。

 卵の中の怪物は今にも外に出たくて暴れている。だが、殻が硬すぎて出られないのだ。

 内側から破れないなら、外から手伝ってやればいい。


 俺の中で狂った方程式が組み上がる。

 敵を倒すための火力がないなら、こいつ《卵》を使えばいい。

 いや、こいつを孵化させるために敵を利用すればいい。


「……上等だ」


 俺はボソリと呟くと、大きく息を吸い込んだ。


「リーゼロッテ、下がりなさいッ!」

「えっ……!?」

「総員、私の背後に退避!巻き込まれても知りませんよ!」


 聖女の号令。

 部下たちは一瞬の戸惑いの後、主の言葉を信じて左右に飛び退いた。

 視界が開ける。

 俺の目の前には、回転するドリルとチェーンソーを振りかざした鉄の塊が迫っている。


「はっ!諦めて身を差し出す気になったか!?」

「ええ。差し上げますよ……『最悪のプレゼント』をね!」


 俺はマントを翻し、腹部から光り輝く熱塊――「卵」を取り出すと、それを雪の上に乱暴に叩き置いた。

 そしてスカートをまくり上げ、蒸気を噴き上げるパイルバンカーの杭を、敵ではなく足元の「卵」に向けた。


「なっ……貴様、何を!?」

帝王切開カイザー・セクションの時間です!!」

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