幕間
幕間: 監視する男
交差点は日常を取り戻し、街は夜を迎えようとしている。交差点の日常とは、すなわち、夜に活動する人々を安全に反対側の歩道まで送り届けることだ。かつてその役目は、死をもたらすことであったかのように、ふと思い出してしまいそうな違和感。それが今は全く感じられない。
交差点で起きていた、不穏な流れはすっかり消え去ったと言えるだろう。
不穏さが取り除かれた交差点近くに、黒塗りのセダンが滑り込んできた。運転しているのは、三雲圭介、内閣官房特別怪異対策室の室員であり、表向きは調整屋として行動している。
止まったセダンの助手席の窓をトントンと叩く音がして、圭介はドアロックを外した。
ドアを開けて車内に乗り込んできたのは、ギャルのお手本のような少女だった。
蒼木柚希。
青の子。
彼女と圭介の関係は、実際のところ「無関係」というのが形式的にも本質的にも、事実だった。柚希は特別怪異対策室とは、完全に無関係なのだ。──少なくとも、柚希に言わせれば。
ただ、彼女を監視し、補助するのが、圭介の任務の一部でもあり、柚希のやることを逐一記録して報告しなければならないというのもまた、事実だった。
「お疲れ、だな」
「そーねー、疲れたと言えば、疲れたかなー」
柚希は助手席に軽く腰を沈めながら、あくびを一つ。髪を指でかきあげると、細い首筋が露わになった。
圭介は、一瞬だけ視線を向けたが、すぐに前方に戻した。
「今日は、いろいろあったな」
「うん。あの交差点、ひどかったね。ずいぶん、ズレてたよね。あれじゃあ、普通じゃ見えないし聞こえない」
柚希は、窓の外を見ながら言った。交差点の様子は、もう普通に戻っている。歩行者が行き交い、車が流れている。まるで、何もなかったように。
「だから、お前は監視していたのか?」
「んー、まぁね。なんとなく、気になって。で、行ってみたら、案の定ってやつかな。あの子、自分で気づいてなかったみたいだし」
「でも、うまく落とし込んでくれた」
「あの音屋、けっこう使えるじゃん。耳が良いってのは武器だね」
「だが、民間人の協力者はリスクだ。今回は不問にするが、次は巻き込むな」
「そーねー」
圭介は冷淡に返すが、ダッシュボードにはコンビニで買った「甘いカフェオレ」が置かれている。柚希は黙ってそれを手に取り、ストローを刺した。
三雲圭介が作成した公式報告書は、以下の通りだ。
『港区××交差点における信号制御ユニットの不具合。近隣工事の振動によるセンサー筐体の傾きが原因で、歩行者用信号の演算に0.3秒の遅延が発生。事故防止のため緊急メンテナンスを実施済』
霊的干渉によるタイミングのずれと、調整による問題解消の部分を、それらしき原因「センサー筐体の傾き」という物理的事象に置換した。
圭介は、交差点の監視カメラ映像から、黒い少年が写っている部分だけを抜き出し、ノイズ処理をかけて《データ破損》としてアーカイブ(封印)する。
彼の仕事は、調整と監視だけではなく、こういった後始末も網羅していた。
車窓の外、少し離れた場所に立つ来夢の姿が見える。
圭介はウィンドウを少しだけ下ろす。来夢と目があった。
直接の言葉は交わさない。ただ、圭介は指先で自分の耳を軽くタップし、次に口元で「シーッ」というジェスチャーを一瞬だけ見せた。
『聴いたことは忘れろ。だが、その耳は信じていい』
官僚である圭介なりの、最大限の賛辞と警告だった。
助手席の柚希は、その行為に気づかないふりをする。彼女にとっての圭介と、特別怪異対策室は、あまり付き合いたくない嫌な存在でなければならなかった。そんな人間的な部分を見せられても、知らんぷりするしかない。
車が走り出す。
圭介は車載端末のマップから、当該交差点に表示されていた赤い警告色のマーカーを消去し、緑色の通常色に戻す。
「オール・グリーン。……業務終了だ」
街は夜をむかえ、これから一番騒がしい時間になる。都市のノイズは今日も膨大だが、その中に「死を誘う交差点のずれたリズム」はもう混じっていない。
セダンが品川駅近くの立体駐車場に入っていくとき、柚希は窓越しに高架線を見上げていた。
深夜二時過ぎ──電車はとうに止まっている。照明の落ちたホームとホームの間を、トンネル内でだけ光る列車がゆっくり渡っていく。
「ねえ」
柚希は空に向かって呼びかけるように、ぽつんと言った。
「今回の事件ってさぁ……結局誰が『仕掛けた』と思う?」
圭介はエンジンを止めながらわずかに眉を動かした。
「……誰がでは片付かないと考えている。人為か偶発か、あるいは自律進化した都市構造が単に悪意を生成したのか──すべての可能性を考えて、だな」
「難しく考えすぎじゃない?」
「いや、むしろ簡単だな。答えが出ないままに安定した例として、考えておくにとどめたほうがいい」
「安定?」
「死者や負傷者が出たわけではない。ネット上の異変検索ワードは昨日比0.8%減。新聞朝刊にも信号誤作動の一行記事が出るだけだろう」
「……でも」
と柚希はサイドブレーキの金属棒を人差し指でたたいた。
「あの交差点、またいつか同じことが起きるんじゃない?」
「可能性はある」
圭介はスマホを取り出し、画面をちらと見て、すぐ閉じた。
「だが次の異常が起きたときに、我々が同じ場所に立てば、対処できる」
「また信号機の角度いじったことにする?」
「必要とあらば」
「ふーん」
柚希は鼻歌をうたいはじめた。拍数は60。都市の生活脈拍よりもかなりスローテンポだ。
しばらくすると、柚希は圭介の手の甲を見た。スーツの袖から覗くスマートウォッチの表示が、今夜は「63」に落ちている。
「ねえ、ちょっとだけ耳貸して」
彼女は自分のネイルケースから、1ミリ幅の薄いブルーチップを取り出した。蛍光灯を受けて、青紫に光る。
「なにをする」
「ホントはダメなんだけどさ、サービス」
彼女は爪楊枝ほどの幅しかないチップを、圭介の小指の爪の根元にそっと挟み込んだ。
「1週間で剥がれる。落としたくなったら、お湯に30秒つけてから爪楊枝でツンツンすればすぐ取れる。痛くないから安心して」
「──なぜこれを」
「青は落ち着く色だよ。怒り狂った時は効かないけど、眠れない日くらいなら静かになる」
圭介は反射的に指を引っ込めようとしたが、柚希の手の方が早い。彼女の手の温度が、チップを通じて伝わってくる。
「あたしだって、いつも24時間動けるわけじゃない。もし次の事件のとき、あたしが間に合わなくて、あんたがひとりで対処することになったらイヤでしょ?」
「俺は死なない」
「嘘。死ぬよ。あんたもわたしも」
静かな事実確認の声だった。
「でも、死なないように『調整』するのが仕事でしょ? だったらさ──」
柚希は小指を丸めてみせた。
「お互いに一本ずつ、保険入れとこ。今夜はそれでチャラ」
圭介は返事をしなかった。ただ、小さく息を吐いて、腕時計のバックライトを再点灯した。心拍数は変わらず63。だが指先のチップを境に、わずかに血流が促されている気がした。
「──わかった。感謝する」
「べつにいいって。貸しとか思わないでね。ただのギャル心遣い」
そう言うと柚希は助手席のドアを開けた。夜風が吹き込み、彼女の髪を一瞬だけ揺らす。
「帰るわ。いつも送ってくれて、サンキュー。おやすみ」
軽い挨拶とともに彼女は降りて行った。背中越しに片手を振る。
その背中がエレベータに消えるまで、圭介は車内灯をつけずに見送っていた。
監視対象、蒼木柚希は、今のところ圭介が知っている女性の中では、最強のギャルだ。
都市伝説ギャル柚希無双 木本雅彦 @kmtmshk
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