第6話 格闘技大会への招待
第6話 格闘技大会への招待
王都の巨大闘技場。 すり鉢状の観客席から降り注ぐ怒号のような歓声が、熱気を帯びて会場を震わせている。 砂埃の匂い、観衆の汗、そして戦士たちが放つ昂揚した殺気。
「冒険者ランク一斉昇格試験、最終戦。――シルヴィア、前へ!」
シルヴィアは、漆黒の道着に身を包み、ゆっくりと白線の中へと踏み出した。 対峙するのは、王都騎士団でも屈指の実力者、重装騎士ボルド。 彼は頭から爪先まで、魔力付与(エンチャント)された重厚な青銀のプレートアーマーに身を固めている。その姿は「歩く鉄塞」そのものだ。
「……フン。魔法も剣も持たぬ小娘が、その薄汚れた布切れ一枚で俺の前に立つか」
ボルドの兜の奥で、傲慢な瞳が光る。 彼は巨大なメイスを肩に担ぎ、地響きを立てて一歩前に出た。
「この鎧は魔力によって物理衝撃を九割カットする。お前の蚊の刺すような拳など、触れることすら叶わんぞ」
シルヴィアは、静かに呼吸を整えた。 会場の喧騒が遠のき、自身の心臓の鼓動だけが、重低音のドラムのように耳に届く。
「魔力による防御、ですわね。確かに強固な理(ことわり)に見えますわ」
彼女は両手を柔らかく構えた。 「ですが、ボルド様。鎧は『外』を守るもの。……『内』まで守れているとお思いかしら?」
「抜かせッ!」
ボルドが咆哮し、メイスを振り下ろした。 ドォォォォン!! 激突した石畳が粉々に砕け散り、砂塵が舞う。 だが、そこにはシルヴィアの姿はない。
彼女は、ボルドが振り下ろしたメイスの柄を掠めるほどの至近距離、懐(ふところ)へと滑り込んでいた。
「な……ッ!?」
ボルドが腕を引き戻そうとするが、重厚な鎧が仇となり、わずかに動作が遅れる。 シルヴィアの瞳が、鎧の継ぎ目、そして魔力の流れが滞る「節(ふし)」を正確に捉えた。
「――お教えしますわ。本当の衝撃は、風のように抜けるものだということを」
彼女の右足が、ビシッ、と闘技場の石床を鳴らした。 踏み込みの衝撃が大地から脚、腰へと伝わり、鋭く回転する肩を通じて拳へと集約される。
――連突(れんとつ)。
一瞬。 重装騎士の胸板に対し、シルヴィアの拳が三度、爆ぜた。
「無駄だと言って……がはっ……!?」
ボルドの言葉が、血の混じった咳と共に止まった。 表面の鎧には、傷一つついていない。魔力結界も健在だ。 しかし、ボルドの巨体は、まるで見えない杭を打ち込まれたかのように硬直し、次の瞬間、内部から弾かれたように後方へと吹き飛んだ。
「な、何が起きた……!? 鎧は壊れていないぞ!」 「あんな小娘の突きが、ボルドを飛ばしたのか!?」
観客席から驚愕の叫びが上がる。 シルヴィアは、拳を引き、静かに残心を解いた。
「鎧の硬さに甘んじ、中の御身を支えることを忘れていらっしゃいますわね。……今の突きは、表面を叩いたのではありません。 ――あなたの筋肉の繊維、その隙間を縫って『振動』を送り届けたのです」
これこそが少林寺拳法の剛法の極意。 力をぶつけるのではなく、浸透させる。 鎧という殻の中で、ボルドの肺は空気を奪われ、心臓は衝撃に震えていた。
「……おのれぇ……!」
ボルドは膝を震わせながら、執念で立ち上がろうとする。 メイスを捨て、両腕でシルヴィアを押し潰さんと組み付いてきた。 「小賢しい技など、まとめて握り潰してくれるわ!」
シルヴィアは、その巨躯を真正面から受け止める……と見せかけ、指先でボルドの籠手(ガントレット)のわずかな隙間、手首の経穴(ツボ)を突いた。
「あ……がっ……腕が……!?」
「力みすぎですわ。筋肉が強張れば、それだけ振動は伝わりやすくなる。――最後ですわよ」
シルヴィアはボルドの懐に深く沈み込み、掌を彼の胸の中央に密着させた。 それは打撃というより、ただ「触れる」だけのような優しげな動作。
だが、次の瞬間。 ミシリ、と闘技場全体が震えるほどの踏み込み。
「はぁッ!!」
――浸透掌(しんとうしょう)。
ボルドの背中から、青銀の鎧が「キィィィィン!」と高周波の悲鳴を上げた。 魔法の結界が、内部からの衝撃に耐えきれず、目に見える光の破片となって四散する。 巨体は糸の切れた凧のように宙を舞い、闘技場の壁面へと深く埋まった。
静寂。 そして、割れんばかりの歓声。
シルヴィアは、乱れた旅装の襟を直し、壁に埋まったまま白目を剥く騎士に向けて一礼した。
「重い鎧を纏うなら、それに負けない強固な『芯』をお持ちなさい。……今のあなたでは、ただの重い置物ですわ」
審判が呆然としたまま、シルヴィアの勝利を宣告する。 彼女は勝ち誇ることもなく、ただ淡々と、次なる強敵を求めて出口へと歩き出した。
「……お腹が空きましたわね。王都の肉まん、楽しみにしていましたのよ」
戦場を支配した鬼神のような気迫は霧散し、そこにはただの、少しばかり食いしん坊な「元」令嬢の姿があるだけだった。
しかし、彼女の背中を見つめる群衆は知っていた。 どれほど硬い鎧を纏おうとも、この少女の拳からは逃げられない。 魔法という幻想を、たった二本の腕で打ち砕く「現実」が、今ここに誕生したのだ。
第6話 完
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