第7話 真の強さとは何か
第7話 真の強さとは何か
闘技場の熱狂は、最高潮に達していた。 砂埃が舞い、観衆の叫びが地鳴りのように響く中、シルヴィアは対戦相手の前に立った。
対戦相手は、二十歳(はたち)前後の青年、レオン。 彼は魔力による身体強化も、高価な魔導具も使っていない。ただ、鍛え上げられた剥き出しの肉体と、真っ直ぐな、あまりに真っ直ぐな瞳をしていた。
その立ち姿、そして一寸の曇りもない構えを見た瞬間、シルヴィアの心臓がドクンと跳ねた。 (……似ているわ) 前世、道場に通っていた最年少の門下生。不器用だが、誰よりも熱心に拳を振るっていた少年の面影が、異世界の戦士と重なる。
「レオンと申します。シルヴィア殿、貴女の戦いをずっと見ていました」
レオンが拳を握り込み、大地をしっかりと踏みしめる。 「俺には才能がない。だから、誰よりも体を鍛え、誰よりも速く拳を振るうことだけを信じてきました。――本気で、胸を貸していただきたい!」
シルヴィアは、自身の口元が柔らかく緩むのを感じた。
「……いいでしょう。ならば、言葉ではなく、拳で語り合いましょうか」
「いきますッ!」
レオンが地を蹴った。 速い。ボルドのような鈍重さはない。純粋な筋力と瞬発力による、カミソリのような踏み込み。 放たれた右の正拳。シルヴィアは首をわずかに傾け、それを紙一重でかわす。 拳が空気を裂く「ビュッ」という鋭い音が、彼女の耳をかすめた。
レオンは止まらない。左の連突、さらには重い回し蹴り。 シルヴィアはそれを一歩も引かず、**内受(うちうけ)、外受(そとうけ)、下受(したうけ)**と、流れるような円の動きで捌いていく。
パァン、パパァンッ!
肉と肉がぶつかり、乾いた音が闘技場に木霊する。 レオンの攻撃は力強く、重い。だが、シルヴィアの受(うけ)に触れるたび、彼の拳は不思議なほど軌道を逸らされ、空を切った。
「くっ……なぜ当たらない……!」
レオンが焦りとともに、さらに出力を上げる。 シルヴィアは、打ち合いの中で静かに口を開いた。
「レオン。あなたの拳には『力』があります。ですが、『心』が置いてけぼりですわ」
「何……!?」
「あなたは勝つために、相手を倒すためだけに拳を振るっている。……それは、ただの暴力です」
シルヴィアの動きが変わった。 受けるだけではない。相手の突きを引き込み、その腕に自分の腕を絡ませる。
――組手(くみて)。
一進一退の攻防。シルヴィアはレオンの目をまっすぐに見つめ、激しい打撃の応酬の中で語りかける。
「聞きなさい、レオン。私たちが拳を振るう本当の理由は、誰かを傷つけるためではありません。――『半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを』」
シルヴィアの掌が、レオンの胸に優しく触れた。 レオンは反射的に突きを放とうとするが、彼女の円滑な動きに封じられ、逆に重心を奪われる。
「自分を磨き、己の幸福を追求するのは当然のこと。ですが、その力を使って隣人を、弱きを、愛する者を支えてこそ、その拳に真の『命』が宿るのです。自分だけが勝つための力に、何の意味があるというの?」
「自分だけじゃ……ない……?」
レオンの動きに、迷いが生じる。 シルヴィアはその隙を突き、彼の手首を柔法で捕らえた。 無理にへし折るのではない。レオンが自身の力で自滅しないよう、最小限の力で地面へと導く。
――龍華拳、腕返(うでがえし)。
レオンの巨体が砂の上に転がった。 だが、シルヴィアは追撃しなかった。彼女は静かに手を差し出し、彼が立ち上がるのを待った。
「もう一度、来なさい。あなたの『理』を見せてごらんなさい」
「……ああ、まだだ。まだ、終われない!」
レオンは立ち上がり、吠えた。 今度の突きには、先ほどまでの「殺気」がなかった。 代わりに宿ったのは、何かを掴もうとする必死な「意志」。 シルヴィアはそれを受け止める。 二人の戦いは、もはや殺し合いではない。魂を磨き合う、清廉な「演武」へと昇華されていた。
打ち合うたびに、レオンの表情が明るくなっていく。 自分の拳が何のためにあるのか。その答えを、シルヴィアの拳が、肌が、呼吸が、彼に伝えていた。
「シルヴィア殿……俺、ようやくわかった気がします」
レオンが最後に放った渾身の一撃。 シルヴィアはそれを真っ向から受け、彼を力強く抱きかかえるようにして制圧した。
「……参りました。俺の負けです」
レオンは、清々しい顔で膝をついた。 会場は、しばしの静寂のあと、これまでにない温かな拍手に包まれた。
シルヴィアは、自身の道着を整え、少年のように笑うレオンに微笑みかけた。
「良い拳でしたわ。レオン。その心を忘れなければ、あなたはいつか、本当の強さを手に入れるでしょう」
前世で門下生にかけた言葉。 それが今、異世界の空に響く。 シルヴィアの胸には、勝利の味よりもずっと甘美な、師範としての誇りが満ちていた。
「さて。ランクアップは確定ですわね。……ご褒美に、今日は少し贅沢な夕食をいただいてもバチは当たらないかしら?」
戦いの余韻を楽しみながら、彼女は出口へと歩き出す。 その背中を見送るレオンの瞳には、かつての門下生たちと同じ、揺るぎない尊敬の念が宿っていた。
第7話 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます