第3話(終) 青いトイプードルを探そう

坂道を走っている。


息が白い。

制服の袖が重い。


自転車は使えない。前も後ろもタイヤがへこんでいた。


坂は長い。

住宅街の同じ景色が、少しずつ後ろに流れていく。


友人の家は、坂のいちばん奥だ。

表札は小さい。


門の前で、止まる。

息を整える。


インターホンを押す。


反応はない。


もう一度押す。


少しして、ドアの内側で音がした。


「……誰」


声は小さい。


「ふぇると」


沈黙。


少し間があって、鍵の音がした


ドアが、ほんの少し開く。



部屋は暗い。

カーテンは閉まっていて、スマホの光だけが浮いている。


友人はベッドに座ったまま、こちらを見ない。


「どうしたの。わざわざ来るなんて」


「話しに来た」


「今さら?」


友人は小さく笑った。


「私、もうまともじゃないよ。学校にも行ってないし、やらかしたし、名前も顔も、検索したら全部出る」


「うん」


「うん、で済ませないでよ」


私は一歩、部屋の中に入った。


「済ませないから、来た」


友人はスマホを伏せた。


「……説教?」


「違う」


「同情?」


「違う」


「じゃあ何」


私は少しだけ間を置いて、言った。


「青いトイプードルの話」



友人はため息をついた。


「意味分かんないよ。存在しないんでしょ? 青い犬なんて」


「存在しない」


「だったら何の役にも立たない」


「役に立たないからいい」


「は?」


私は、ちゃんと友人の方を見て言った。


「紫の牛はさ、役に立つんだよ。目立つし、数字になるし、誰かを踏み台にすれば、ちゃんと成果が出る」


「……」


「でもその分、角がある。刺さるし、刺さる場所を選ばない」


友人は黙って聞いている。


「青いトイプードルは、角がない。噛まない。暴れない。存在しないから、誰も傷つけない」


「それ、現実逃避でしょ」


「現実だよ」


「どこが」


「現実には、説明できないのに、あってほしいものがたくさんある」


友人が眉をひそめる。


「例えば?」


「一度失敗しても、全部が終わらないこと」


「……」


「名前で人を切り分けなくていいこと」


「……」


「何も生産しなくても、ここにいていいって思える時間」


友人の指が、シーツを握る。


「そんなの、ないよ」


「だから探す」


友人が顔を上げた。


「探す?」


「うん。あるって証明するんじゃなくて、みんなが“あってほしい”って思ってるものを、名前つけて置いておく」


「私、まだ何も信じられないよ」


「うん」


「明日も無理」


「うん」


「ずっと無理かも」


「それでも、青いトイプードルを探そう」



坂道を下る。

走らない。


青いトイプードルは、まだいない。


それでも、探そうと言える名前がある。

失敗のあとでも、説明できなくても、

ふわふわと立ち止まっていい場所の名前。


私はそれを、青いトイプードルと呼ぶ。

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青いトイプードル まろえ788才 @maroee788

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