第3話 村人達との接触

昼を過ぎ、太陽が真上から少し西に傾き始めた頃。ついに、木々の切れ間から、わずかに草が踏み固められた「道」らしきものを発見した。


本当に人が往来する道なのか。また妖精の幻ではないのか。

カオルは四つん這いになり、指先で感触を確かめる。

湿った腐葉土の下に、確かに踏みしめられて硬化した土の層がある。

森の中の孤独と緊張から解放され、カオルは肺の奥から安堵の息を吐き出した。

道そのものを鑑定すると「車輪の跡」という結果もあった。

石畳のような文明の利便性とは程遠い。木々を切り開き、何度も人々が往来することで、自然と道として確定しただけの獣道に近いものだった。

両脇には鬱蒼とした森が広がり、いつ魔物が飛び出してきても不思議ではない。


「進むしかないな」

当初から目標にしていた山脈に向かって歩き続ける。

手にした長大な槍は杖代わりとなり、いざとなれば凶器へと変わる。重量を感じさせない漆黒の甲冑は、まるで第二の皮膚のように体に馴染んでいた。


土を踏む感触を確かめながら、カオルは思考を巡らせる。

女神から与えられた力は強力。ランスディア程度の魔物であれば、剣術の心得がなくとも制圧できた。だが、巨大な魔獣を相手にするには、心許ない。

スキル『無限の可能性』。

選択肢は多いが、ポイントという原資には限りがある。どの能力を、どの順序で獲得するか。安寧な田舎暮らしが許されるなら、何日でも時間を掛けて考えれば良い。だが、今日のような命のやり取りが続くのであれば、選択が生死を分ける。


思考の海に沈みかけていた意識を、背後から迫る蹄の音が引き戻した。

振り返れば、豪奢な装飾を施された馬車と、それに続く幌馬車の一団が近づいてくる。

この世界で初めて目にする他者。緊張と好奇心が同時に湧き上がる。

馬車の作りは、記憶にある欧州の様式に近い。


先導する騎兵が一人、カオルへ鋭い視線を向けている。

馬は太い首と盛り上がった肩の筋肉が躍動する、頑健な巨躯だ。手入れされた栗毛が、西日に照らされて艶やかに光る。

手綱を握る男もまた、只者ではなかった。

馬の立派さに負けない大柄な男。身に纏うのは、関節の可動域に合わせて丁寧に打ち出され、急所を的確に覆う本人仕様の特注の鋼鉄鎧。表面に刻まれた無数の傷は、研磨されてなお消えぬ戦歴を物語っていた。


(文化の違いは大きい。私の甲冑はかなり異質に見えるはずだ。慎重にいこう)


カオルは道の脇へ身を寄せ、騎兵に対して手のひらを見せながら、努めて礼儀正しく声を掛けた。


「すみません。少しよろしいでしょうか。近くの街まで乗せてもらうことは出来ませんか? 相応の謝礼は払います」


騎兵は手綱を絞り、カオルの眼前で馬を止めた。

見下ろしてくる視線は鋭く、全身、特に漆黒の甲冑を値踏みするように観察している。


「××××××××××××××××」

騎兵の口から発せられた音は、カオルには何一つ理解できなかった。


「すいません。何を言っているか分かりません」

カオルの耳には、意味不明な音の羅列としてしか届かなかった。致命的な問題―言語の壁に、彼は今さらながら気づいた。

(スキルポイントを残していて正解だった)

彼は、スキル一覧の中から意思疎通に必須と思われる項目を選択する。再び、不快な頭痛が走るのを覚悟しながら。

「自動言語習得」

能力を獲得した瞬間、ズキン、と脳の芯を鷲づかみにされるような鋭い痛みが走った。前回同様、痛みは一瞬で消え去ったが、直後、思考回路が嵐のように書き換えられていくような感覚に襲われる。


「もう近づくな。いいな!」

苛立ちを含んだ警告。


今度は意味のある言葉として、脳内で明確に認識された。

あまりに自然な変換に、カオルは戦慄すら覚える。


「あの、すいません。私の言葉は通じますか?」

「いまさら、話が出来ると思ったか。失せろ!」

騎兵は後続の馬車に合図を送り、一団は速度を上げて走り去っていった。

幌馬車に乗っていた他の護衛たちも、すれ違いざまにカオルの姿を脳裏に刻みつけるように睨んでいく。


(言葉が通じない、武装した男。警戒されて当然か。私でもそうする)


遠ざかる馬車へ、鑑定の視線を向ける。

豪華な馬車は「奴隷商人の馬車」。

後続の幌馬車は「護衛達の馬車」と表示された。


(奴隷商人がいるのか。魔物の出る森を抜けるのに、あれだけの武装した護衛が欠かせないとは。物騒な世界で確定だな)


馬車はそのまま視界から消えるだろう。そう思った矢先だった。

道の両脇、木々の陰から何人もの武装した影が飛び出した。馬車は行く手を遮られ、急停止する。

道に立ちはだかったのは二十名ほど。

軽装の男たちに加え、木陰には弓を構える者や、武装していない女性の姿も見える。森の奥には、彼らが乗ってきたであろう荷馬車が隠されていた。


「ゴルドー! 娘を返せ!」

ひときわ大きな怒声が森に響き渡る。

声の主は、立ちはだかる集団の先頭で鉈を構える。


カオルはすぐさま鑑定スキルを発動する。

待ち伏せしていた全員の名前と、【農夫】【狩人】【薬師】といった生活感のある職業が表示された。


声を上げた屈強な男はブロン。彼の隣では、まだ少年としか見えない細身の男性テオが、震える手で槍を握りしめている。後ろには、巨大な木こりの斧を担いだ大男ダン。身の丈に合わぬ大剣を構えるバルクモンド。その他、村人達が血走った目で護衛たちを睨みつけていた。


(奴隷商人の馬車に立ち塞がる農夫や狩人。何の騒ぎだ)

カオルは状況を把握しようと、走り出す。

(この世界の金持ちと庶民。どんな関係性か見させてもらうぞ)


現場では、一方的に激しい罵声が上がっていた。


村人達は手にした槍、鉈といった武器を手に、激しく奴隷商人を罵倒している。対する護衛たちは、幌馬車から降りてきても、武器を鞘に収めたままだった。

「道を空けろ。往来の邪魔をするな。下がれっ」

護衛は冷ややかな視線で、村人達の前に立ち塞がった。

「言い逃れはやめろ!」

豪華な馬車に詰め寄った村人の一人が、怒りに身を任せて叫ぶ。


「俺の、俺の妻を返せ!」

昼間から酒気帯びの男。

後方の木陰では、猟師のベンが弓を引き絞ったまま叫び続けている。張り詰めた緊張と筋疲労が、彼の理性を削っていく。


馬車の前では武装した村人たちが怒鳴り、護衛の男達は、機械的に警告を繰り返す。


「ゴルドーを出せ!」

限界に達したベンの指が、弦を離した。

放たれた矢に、護衛の一人である大柄な戦士が反応する。

急所をわずかに逸らしたが、矢は肩口の装甲を砕いて突き刺さった。


「俺たちを殺そうと武器を使ったな。こいつらに報いをくれてやれ!」

「おうっ!」

一斉に、護衛たちが武器を抜いた。

「風の刃を食らえ!」

護衛の一人である魔法使いが杖を振るうと、不可視の刃が空を裂き、村人たちを襲った。

鮮血が舞い、苦悶の声を上げて数名が崩れ落ちる。

林の影から薬師のエララが駆け寄り、必死に応急手当を始めるが、顔は絶望に歪んでいた。


遅れて村人達に号令が掛かった。

「突っ込むな! 助けあって戦うんだ! 人数は俺たちの方が多い」

後方で、足を引きずる壮年の男ガレックが叫ぶ。元兵士である彼は、烏合の衆である村人たちを必死に統率しようとするが、怒りに燃える村人らに声は届かない。


鉈を振り回すブロンは、護衛二人に挟み撃ちにされて防戦一方。

闇雲に大剣を振り回すバルクモンドは、距離を取られて相手にもされない。

木こりのダンだけは、護衛二人と互角にやり合っていた。それでも、相手を傷つけることはできない。

百戦錬磨の護衛たちは、隙を見逃さなかった。的確な連携で、戦い慣れていない村人たちを切り伏せていく。


(無駄な動きがない。連携が取れている。馬車を守る男達は戦うこと、人を殺すことに慣れた戦士じゃないか。それに比べ、待ち伏せした集団は、まともに武器も振れない農夫ばかり。無謀すぎる)


村人たちの装備は、急所を守るだけの革鎧が数着あるのみ。

大半は平服で、農具や粗末な槍を手にしているだけ。

対照的に、馬車を守る男たちは使い込まれた武具で身を固めている。兜、鎖帷子、そして手に馴染んだ愛用の武器。戦うための準備が整っている。

当初、倍以上の人数で立ちはだかった村人たちが、見る見るうちに数を減らし、地面に伏していく。


目の前で繰り広げられる、一方的な殺戮。カオルの胸中で、合理性と感情が激しく火花を散らす。


(事情は分からない。だが、これは戦闘と呼べるものじゃない。蹂躙だ。見殺しには出来ない……!)

カオルはたまらず叫んだ。

「やめろ!」

護衛の一人が、先ほど見かけた異様な鎧の男だと気づく。

「お前も仲間だったか!」


男は怒号と共に、手にした弓を引き絞った。

盾を持たぬカオルは、とっさに両腕を顔の前で交差させ、構わず突っ込む。

至近距離からの射撃。狙いは首の付け根。腕で防ごうとしても、防具ごと貫通する。痛みで腕が下がったところを眉間に追撃する。

射手の脳裏には、完璧な勝利の算段が描かれていた。


キンッ。

硬質な金属音がして、矢は弾かれた。

「なにっ」

カオルは顔面を自分の腕で覆ったまま疾走。馬車の前方に躍り出る。村人と護衛、死線に割って入った。

「やめろと言っているだろうが」

一人の戦士が、牽制のために剣を振るう。

カオルは反応できず、一撃をまともに胸甲に受けた。

ガキン! という衝撃音が森に響く。

「なっ!?」

カオルは揺らぎもしない。漆黒の鎧には傷一つない。


「話を聞く気がないんだなっ、わかったっ」

カオルが槍を振り回した。

素人の大振りな一撃は、戦士にあっさりと受け流された。穂先を跳ね上げられる。がら空きになった懐に飛び込まれる。

一撃、二撃と剣が叩きつけられた。

「いたっ、くない」

打撃を受けてカオルは二歩、三歩と後退。しかし、痛みはなく、鎧の表面に傷が付いただけ。叩きつけられる力だけで言えば、ランスディアの体当たりの方が強かった。

「なんだこいつ」

切りつけた戦士が、眉尻を上げた。

カオルが反撃すると、穂先は回避され、護衛の戦士は距離を取った。

「俺がやる!」

馬車の後方で叫び声が上がり、カオルの周りにいた護衛兵が一斉に散開した。

命を刈り取ろうと、赤熱する火球が飛来した。

回避は間に合わない。カオルは背中を向けるのが精一杯。せめて、鎧で守られていない顔面だけは避けようとする。

炎の塊が背中に直撃。爆音と共に、熱波と衝撃が背中を打ち据える。

「うわっ」

短く悲鳴を上げ、カオルは地面を転がった。だが炎はすぐに霧散し、何事もなかったかのようにカオルは立ち上がる。

「しぶとい」

「魔道具か何かだ!」

攻撃が全く効かない様子のカオルに、護衛たちは次第に動揺し始める。


一向に収まらない騒ぎ。

馬車に乗っていた奴隷商人が、豪華な馬車の小窓からそっと外を覗く。

異質な、漆黒と金紋様の鎧。腕利きの護衛達が倒し損ねる。カオルの姿を、目に焼き付けた。


カオルが「倒せない壁」として時間を稼いでいる間にも、周りでは戦いが続いている。

護衛たちは、馬車の進路を塞いでいた村人をまた一人排除し、道が開けた。


護衛隊長は、これ以上の戦闘は不利益と判断。

「何をしている。障害は取り払った。先を急ぐぞ!」

号令と共に、豪華な馬車が走り出す。他の護衛たちも、幌馬車に飛び乗り、去って行った。




馬蹄の音が遠ざかり、森に静寂が戻る。

後に残されたのは、土煙と鉄錆のような血の匂い、そして行き場のない憤怒を抱えた村人たちだった。


カオルは、ゆっくりと振り返る。

生き残った村人たちの視線が、一点に突き刺さっていた。瞳に宿るのは、感謝を上回るほどの強烈な「畏怖」である。金細工の施された漆黒の甲冑を纏い、魔法の直撃を物ともせず立ちふさがる存在。彼らの常識に、そのような怪物は存在しない。


沈黙が重い。

自身がこの場において決定的な異物であることを、カオルは肌を刺すような視線から冷徹に感じ取っていた。


悲痛な呻き声が、張り詰めた空気を切り裂く。

街道には息絶えた村人が何人も横たわっている。まだ息のある負傷者へ、唯一の女性であるエララが懸命に駆け寄ろうとしていた。

「痛い、痛い。早く何とかしてくれ!」

腕を押さえた男が、半狂乱でエララに詰め寄る。

魔術師が放った風の刃は、男の右腕を深く抉り、鮮血が止めどなく溢れ出していた。


カオルは倒れ伏す他の村人たちを瞬時に見比べ、優先順位を弾き出す。

「待ってください。治療できる者があなた一人なら、その男は後回しです。重症者を優先してください。まだ助かる命があります」

「えっ!」

脳裏に浮かぶのは、医療者の行う緊急時の負傷者選別。

痛みを訴え、自力で動き回れる者は後だ。自力で助けを求められない者こそ、死に直面している。

「腕の出血こそ多いが、動脈までは達していない。清潔な布を当てて傷口を圧迫させなさい。それだけで出血は抑えられ、時間を稼げます」

「でも、血が、こんなに……」

困惑するエララの手を引き、カオルは一際激しく血を流している少年、テオの元へと導いた。

「わかっています。恐怖も痛みもあるでしょう。ですが、今すぐ手当てをすれば助かる命が、目の前にある。こちらへ!」

カオルの断定的な口調に圧され、エララは吸い寄せられるように膝をつく。


テオの顔色は蒼白であった。鎧を持たぬ彼の上着は無残に裂け、傷口から溢れた赤が地面を染めていく。

「この人は、もう……」

絶望に染まるエララの横で、カオルは冷静に少年の体を検分する。

すぐ隣に横たわる遺体は、魔法の直撃を受けて絶命していた。だが、遺体が文字通りの肉の盾となったおかげで、テオへの被害は表面的な裂傷に留まっている。

「亡くなった方が盾になったのでしょう。傷は深いように見えますが、内臓までは達していません」

カオルは藍染の巾着袋へ手を差し入れ、水筒を取り出した。

惜しみなく水を注ぎ、傷口に付着した泥と血を丁寧に洗い流していく。

現代社会における「患部の洗浄」という鉄則。だが、エララは水を持ち合わせていないようだった。それは、傷口の洗浄が常識ではないことを示している。


傷口が露わになる。

「傷を癒す術や、魔法、ポーションの類はありますか?」

鑑定によって判明した「薬師」という彼女の役割に望みを託し、カオルは尋ねる。

「魔法は使えません。でも、私の作った治療薬なら……」

エララは陶器の小瓶を取り出した。だが、彼女が薬を塗るために手にしていた布は、他の負傷者の血に汚れ、不衛生極まりない。


「待った! 他人の血がついた布を当てるのは、傷口に毒を注ぐのと同義です」

カオルは自身の装備に目を向けた。

池でずぶ濡れになった際、漆黒の甲冑が備える「自動洗浄機能」によって、身に纏うものすべてが清浄に保たれていることを確信していた。


(私の服は、少なくともこの場にある何よりも清潔であるはずだ)


カオルは迷わず、甲冑の隙間から覗く自身の腰布を一部割いた。

滅菌ガーゼの代用として、エララへ手渡す。

「傷口を清潔に保つことが、生存への第一条件です」

「……わかりました」

エララは自身の盲点に気づいたように頷き、清浄な布に薬を移して、テオの傷口へ慎重にあてがった。


「えっ」

思わず声を漏らしたのは、カオルの側であった。

薬が塗り広げられるや否や、裂けていた皮膚が、薄紙を重ねるような速度でゆっくりと塞がっていく。


カオルは小瓶を鑑定の視界に収める。

【外傷用治療薬・上質・作成者エララ】


(現代の医薬品とは根本的に理屈が違う。これが、剣と魔法の世界の恩恵か)

皮膚の再生という未知の現象を目の当たりにし、カオルは内心で驚嘆する。

流れ出た血は補えないものの、この薬効があれば致命的な感染症は防げるだろう。


カオルは立ち上がり、周囲へ次なる指示を飛ばす。

「荷馬車を持ってきてください。負傷者を早く村へ。安全な場所で看病を続けるべきです」

エララが強く同意し、同じ指示を出すと、茫然としていた村人たちがようやく生気を取り戻して動き始めた。

「……ありがとうございます。あなたがいてくれなければ、テオは手遅れだった」

「出しゃばりました。一介の旅人の言葉を信じていただき、感謝します」


処置を終え、リーダー格の男、ブロンが近づいてきた。

顔は泥と汗に汚れ、仲間を失った悲痛な色が目に宿っている。

「どこの誰かは知らんが……俺たちを助けてくれたこと、心から感謝する」

「ただの通りすがりです。事情は分かりませんが、一方的な殺戮を見過ごせなかった」

カオルは慎重に言葉を選び、礼を述べるブロンへ静かに頷く。


片足を引きずりながら、ガレックという名の壮年の男が歩み寄ってきた。

「あんたがいなかったら、全滅していた。俺はガレック。この村で『静かな灯火亭』という宿を営んでいる」

差し出された無骨な手を、カオルはしっかりと握りしめる。

「俺はブロンだ」

鉈の男もまた、重苦しい表情のまま、名乗りを上げた。


応急手当を終えたエララも、輪に加わる。

「あらためて、私はエララ。テオを救ってくれて、本当にありがとうございました」

「彼は助かりますか?」

「出血がひどいので安静が必要ですが、あとはあの子の生命力次第です」

エララは、カオルの漆黒の甲冑を厳しい目で見つめていた。

激しい魔法の焦げ跡や斬り傷が刻まれているにもかかわらず、その下のカオル自身には掠り傷一つない。薬師として数多の負傷を見てきた彼女にとって、それは奇跡を通り越した「不気味な現象」ですらあった。


「あんたの身なり、旅人には見えないが……冒険者じゃないのか?」

ブロンの問いに、カオルはあらかじめ構築していた「合理的逃げ道」を選択する。

「……カオル、と名乗るのが精一杯です」

「どういうことだ?」

「森で目覚めたとき、自分の名前以外の記憶がありませんでした。どこから来て、何のためにこの鎧を纏っているのか……それすらも」

記憶喪失という、転生者にとって最も古典的で、かつ身元を洗われるリスクを最小化できる嘘。

「なんだって……」

「記憶がないのに、あんな戦い方ができたのか?」

村人たちの間に漂っていた畏怖が、急速に「同情」へと形を変えていく。カオルはそれを、計算通りの反応として受け止めた。

「それなら、なおさら村へ来い。この森で一夜を過ごすのは自殺行為だ。行き場がないなら、俺たちの村で休めばいい」

「助かります。ご厚意、ありがたく受けさせていただきます」


カオルが攻撃を一身に引き受け、仲間を救ったという事実は揺るがない。記憶のない不審な男として追及するよりも、今は恩人として迎え入れるべきだという空気が、村人たちの間に醸成されていく。


やがて、林の陰に隠されていた荷馬車が到着した。

「ここで話していても始まらない。村へ戻ろう。……すまないが、仲間たちの亡骸を運ぶのを、少しだけ待ってくれ」

村人たちは亡くなった者たちを、静かに、そして手早く幌馬車へと運んでいく。

傾き始めた太陽が、街道に長い影を落とし、幌の中を不吉な暗闇で満たしていった。


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転生者の野望 黄昏のグランディア 神河かおる @Kaworu2025

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