春のしたたかコンダクター

斬条 伊織

春のしたたかコンダクター

 モンシロチョウが朝の光に白い羽をひらめかせていた。


 ひらひら、ひらひら。


 窓を開けると、庭の向こうに小さな群れが春の陽射しを浴びて揺れている。初夏のような暖かさの中、少しひんやりした風が草の匂いを運んでくる。


 僕は机の引き出しから魔法のタクトを取り出した。細くて、少し歪んだ古い木の棒。小学生の頃、父が作ってくれた宝物だ。いつの間にか、色はすこし褪せ、手になじむ艶が出ていた。


 そういえば、父さんも昔、庭でタクトを振っていたっけ。あのときも、モンシロチョウが舞っていた気がする。


 よし、出番だ。


 庭に出て、タクトを静かに掲げる。



 最初は、ドビュッシー。「牧神の午後への前奏曲」。タクトを振ると、淡く溶けるようなフルートの音色がどこからともなく響き、白い羽たちがはっとしたように舞い上がった。


 次は、ショパン。「子犬のワルツ」。くるくると跳ねるピアノの音に合わせ、蝶たちはまるで子犬の尻尾を追いかけるように弾み出す。ひらり、くるり、春の光の中で踊っている。おお、楽しそうだな。


 最後は、グリーグ。「アニトラの踊り」。タクトの先から異国の風のような旋律が流れ、蝶たちはふわりふわりと音に引かれて漂い始めた。


 二つ隣の家の畑へと導かれるままに。



「はい、皆さん、こちらですよ」と声をかけると、蝶たちがふわっと舞い降りた。


「卵はここで産んでくださいね。うちのキャベツは勘弁してね」と小声で呟き、タクトをそっと仕舞う。


 風に揺れる緑の向こうで、蝶たちはまだ、ひらひらと踊っていた。


 春の光の中で、気持ちよさそうに。


 僕は心の中で、にんまりと笑った。





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春のしたたかコンダクター 斬条 伊織 @zanjo_iori

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